第69話 強者どもの夜7~雲海、そして~

 耳のすぐ近くで音が鳴る。

 今現在、空中にいるからだ。

 落ちている。

 命が、危ない。


 「うおああああ!!」


 落ちる!

 どうする!

 どうしようもない!

 だって、俺は鳥ではないのだから。

 飛べはしない。

 イカロス。

 人間が単体で飛べる道理はない。


 以前、赤い海にダイブしたことがフラッシュバックする。

 あの時は海があったから助かった。

 今は果てしなく広がっている雲海が見えるのみだ。

 下に何があるかは分からない。

 だから、助かるかどうかも分からない。


 だが、こういう時こそ落ち着かなくちゃならない。

 だてに何回か死線を潜り抜けてきたわけじゃない。

 落ち着け。


 心臓の鼓動を落ち着かせるように、呼吸を整える。

 空気が勢いよく当たって呼吸しずらいが、何とか我慢してコンディションを整える。


 まあ、これ以上どうしようもないんだが。

 空中でどうしろと?

 手足をバタつかせればいいのか?

 そんなので今の現状が変わるとは思えない。

 変わるとすれば、俺と一緒に落ちてきた数人の悪魔達次第だろう。


 ララ、魔王、ペガサス、ルフェシヲラ。

 合計三人と一頭が、俺と一緒に落下していた。


 魔王とルフェシヲラは気絶していた。

 ルフェシヲラが気絶しているので、床代わりに結界を張ることも出来ない。

 ペガサスは落下している魔王を回収しようと、全速力で魔王を追いかけていた。

 銀騎士は液体金属を空中要塞に刺して、難を逃れていた。

 理性がないと思わせといて、ちゃっかりしてやがる。


 「カカカ」


 銀騎士は俺を補足すると、液体金属を触手のように伸ばしてきた。

 狙いは俺だ。

 俺に向かって触手が何本も向かってくる。


 「くっそ……」


 俺を捕まえる気だな。

 道中はガン無視だったくせに。

 生命の危機は看過できない、ということだろう。


 まあ、このまま掴まってやってもいい。

 落下死するよりは大分マシな選択だから。

 だが、その前にやってみたいことが俺の頭に浮かぶ。


 俺の目の前に、要食いの直剣が回転しながら落ちてきていた。

 魔王が気絶した時に手放したんだろう。

 手を伸ばせば、何とか届く距離にその魔剣はあった。

 僥倖すぎる。

 俺は必死に手を伸ばす。

 それをさせまいと、触手が俺に迫る。

 触手が俺を捕まえるまで、あと数秒……


 「届け!!」


 ガシッと右手に感触が伝わる。


 「よし!」


 俺はしっかりと魔剣を握って、すぐ傍まで接近していた触手を斬りつけていく。

 たちまち触手達は消滅していく。

 やっとこさ魔剣を手に入れた。


 脱出方法は転移だろうと俺は最初に考えた。

 ポポロは物資補給庫にそれがあるとも。

 だが、よくよく考えてみればもう一つあるじゃないか。


 俺は思い出していた。

 魔剣で何が出来るのかを。

 ドレイン以外にも付加されているこの魔剣の能力。

 魔剣の転移だ。


 転移にはエネルギーがいる。

 それも莫大なエネルギーが。

 このままでは、この魔剣の転移は使えない。


 じゃあ、このまま落ちていくだけか?

 そのまま触手に捕まえてもらった方がよかったか?

 いや、違う。


 多分、魔石はある。

 どこにあるか見当は付いている。


 俺は目線をある者に向ける。

 魔王だ。

 たった今、俺と一緒に落下している魔王。


 あいつは銀騎士との戦いで魔石を使っていた。

 戦闘に使うと見越して、予め持っていたのだろう。

 魔石の所持数は銀騎士との戦闘で使ったもののみだろうか?


 俺の予想は違う。

 魔王は他にも魔石を持っている。

 予備用にもう一つ持っていると考えるのが自然だ。

 ……違うかもしれないが。

 と言うか、銀騎士の触手を払った時点でその方法しか生き延びる手段がないし。

 可能性を探るだけ探るしかない。

 そして、その前にやるべきもう一つのこと。

 ララの回収だ。


 アイツを助けなきゃ、俺がここまで苦労した意味がない。

 最初の助けを無視して、ここまで遠回りした意味がなくなるのだ。

 ……絶対助ける。


 俺の左腕は切り落とされてなくなっている。

 魔剣は口にくわえる。

 幸いララは、俺から遠く離れないで落ちていた。

 腕を伸ばせばすぐ届く距離だ。


 こんな状況になっても、彼女は一向に目覚めない。

 ……仕方ない。

 俺を守ってこうなったのだから。


 彼女の肩を無理矢理掴む。

 彼女を引き寄せるのはさほど苦労しない。

 落下している以上、体重が無に等しいからだ。


 俺はうまく片腕を使って引き寄せて、腕を組む。

 もう二度と離さないようにしっかりとだ。


 俺は地獄に初めて来た時のことをイメージする。

 体を大きく広げたり、小さくしたりして空気抵抗の度合いを変えていく。

 空気が顔にぶつかって痛い。

 目をつぶりそうになる。

 しかし、ここで目を閉じたら魔王が見えなくなる。

 目を見開き、狙いを定める。


 「カッカカ」

 空気がぶち当たる轟音の中で、異質な音がかすかに聞こえてくる。

 一発で分かる。

 銀騎士だ。


 銀騎士の方向を見てみると、自身と空中要塞に留めていた液体金属を離し、空中へと落下していた。

 再度触手を無数に伸ばして、攻撃を仕掛けている。

 今度は俺ではなく、ペガサスにだ。

 空中に落ちていても、まだ戦いは続いていたのだ。


 ペガサスは主を守るために。

 銀騎士は恐らく、戦いたいがために。


 空中戦だ。

 聖馬は華麗な動きで触手を掻い潜っていく。

 うまい。

 人間的な効率性を意識した動きに思える。

 頭を使っている。


 魔物はどう見たって、本能に支配されているように見える。

 相手が格上だろうと、猪突猛進するのがいい証拠だ。

 ペガサスは違った。

 周囲からの攻撃を、四本の足や長い首、背中までも細かに意識して避けているのが分かる。

 自身の体がどういう構造をしていて、どういう動きならあの攻撃をかわせるかをしっかりと理解している動きだ。

 合理的動作。

 

 頭の後ろに第二の目があるみたいに、感知能力にも優れている。

 四方からの同時攻撃も難なくかわしていく。

 もちろん、回避している間にも不可視の能力を使って処理しきれない触手を弾き飛ばしている。


 その攻撃は通っているのだが、聖馬は主である魔王には近付けなかった。

 触手の数が激増していた。


 液体金属は液体状なのに硬いし重い。

 それを自由自在にあんな数で攻められたら、普通は対処出来ない。

 魔王を救おうとしてなら、まず接近は出来ない。

 なら、銀騎士を倒すしかない。

 そう思ってか、ユニコーンは銀騎士と戦い始める。


 ……チャンスだ。

 両者の戦いの場はどんどん魔王から離れていっている。


 聖馬が魔王に接近出来ないなら、当然俺も接近出来ない。

 が、銀騎士の妨害がない今なら行ける。

 やってみせる。


 「ガアァァ!!」

 「うおわ!!」


 急にでかい叫び声が聞こえて、熱風が俺の近くで巻き起こった。

 何だ?

 いきなり。


 見てみると、空中要塞の方向から落ちてくる影が二つある。

 ヴァネールと襲撃者の女悪魔だ。

 二人が一気に落ちてきた。

 その目線の先は……俺のようだ。

 目的は俺か。


 またあの炎に襲われるのかよ。

 勘弁してくれ。

 今、逃げ場なんてないのに。


 ヴァネールが炎の龍を顕現し、俺に襲わせようとしている。

 うわ、絶対当たる。

 ヴェネールの炎はどのくらい広がるか知っている。

 それは空中だろうと何だろうと関係ない。

 全て引火して燃やすのだから。


 「行って!」


 それをさせまいと、女悪魔は黒い巨大な龍に指示を出す。

 多分、助け舟だ。

 炎に対して炎が効くのかは分からない。

 が、ヴェネールはその攻撃に対して防ごうと、より大きい炎の壁を作る。

 見事に炎の壁に黒炎が衝突して、互いに互いを燃やしていた。

 炎が喰い合っている。

 熱の波紋が空気を伝って、俺まで届いてくる。


 「うっ……!!」


 熱が半端じゃない。

 ブワッと汗が出てくる。

 実際に熱いのと、恐怖心のためだ。


 どうやら、両者の力は拮抗しているようだった。

 ヴァネールは行きたくても行けず、といった感じだ。

 いいぞ。

 そのまま頑張ってろ、襲撃者。


 「まだいるのか」


 そして、その巨大な存在の隙間を縫うようにして、こちらにくる影が三人。

 ロンポット、エイシャ、召喚王だ。


 ロンポットが岩を作って足場にし、それをエイシャが重力を使って浮かしている。

 手馴れた連携って感じだ。

 エイシャが操作している足場をうまく乗りこなしている。


 制約練成ラピデウス アルケミア・黒曜石!!」


 能力を唱えながら、黒く綺麗に反射する大きな岩を作り出しているのは、ロンポットだ。

 前にも見ている能力だが、作り出した岩が違う。


 「割れろォ!!」


 そう言って、黒い岩にハンマーを叩きつける。

 すると、たちまち黒い岩はガラスのように割れて、細かい破片になる。

 一つ一つが鋭く、小さな針の弾丸みたいだ。

 あれに当たれば、たちまち俺は穴だらけだ。

 てか本気で俺を殺す気か、ロンポット……


 「引力操作アトラクト!!」


 それに加速をつけるように、重力の能力を行使するもう一人の悪魔、エイシャ。

 牢屋を挟んで話したような、普通の雰囲気ではない。

 歴戦の戦士の顔だ。

 殺す気の顔。

 殺気を重力に乗せて、俺に攻撃を仕掛けてくる。


 口にくわえている魔剣に意識を集中させるが、魔剣を持っているとは言っても、あれだけの細かい破片は打ち消しきれない。

 体のどこかかしらに被弾はするだろう。

 防ぎようがない。


 「フンッ!」


 召喚王の杖からすさまじい赤い光が発せられる。

 赤い光といえば、もう決まっている。

 召喚光だ。

 あれだけ召喚しても、まだ召喚出来るらしい。

 流石にララが強大な悪魔だと言っていたことだけはある。


 しかも、その召喚スピードは異常な程速い。

 速攻の召喚だ。

 パッと連続して光が明滅する。

 そこから現れたのは、黒龍を召喚する時に三つの召喚魔石を持っていた、黒いカラスのような鳥だった。


 強そうな雰囲気はまるでない、普通の鳥だ。

 攻撃を防ぐ手段にはなりえないと思ったのだが、それらが大量に、本当に大量に召喚されていく。

 赤い光が周りに連続して発生しているので、周囲が真っ赤に染まる。


 その大量の鳥達は、ロンポット達の攻撃と俺とを挟むような形で召喚された。

 召喚数が異常すぎるせいで、鳥達が黒い一つの集合体のように見える。

 バッサバッサと羽音がうるさい。


 ザザザザザッと鳥達に黒い破片が突き刺さっていく。

 これもまた、大量に鳥達が雲海へ落ちていく。

 まるで、黒い滝でも見ているような。


 後続して、赤い光は黒い鳥を召喚し続ける。

 もう無茶苦茶だ。


 上空は炎が凄まじいことになり、時折液体金属とカマイタチのような衝撃波がぶつかり響く。

 そして、下ではカラスが続々と死にながらも、ロンポット達を数の力で徐々に追い込んでいく。


 いつ流れ弾が来てもおかしくない。

 不意に攻撃がこられても、空中で、両腕を使えない状態で対処は難しい。

 一刻も速く魔王の元へ行かないと。

 俺は精一杯体を伸ばして、空気抵抗を作り魔王に接近していく。

 あと、少し……


 「行かせるなぁ!!!!」


 燃えるような怒号が聞こえた。

 ヴァネールが叫んでいる。

 初めて叫んでいる声を聞いた。

 きっとあせっている。

 それはチャンスの知らせと同義であった。


 「ぐっ……」


 ロンポット達は黒いカラスの対処に全力を傾けていた。

 全力を傾けないと、肉をついばまれてしまうからだ。

 サポートのエイシャは目を閉じて、重力の力を行使しながらそこを動かない。

 何をしている?

 あの目を閉じるような場面、どこかで見たような。


 いや、それもどうでもいい。

 もうここしかない。

 俺が脱出出来る場面は、もうここしかない!


 「うおおおお!!」


 気合を入れて、魔王を両足でキャッチした。

 腕が使えないんだからしょうがない。

 魔王相手に恐れ多いが、緊急時だ。

 遠慮なくいかせてもらう。

 魔王の体を片足で固定して。


 「だらあ!」


 もう片方の足で、ダイナミックに背中の方から蹴りつけた。

 魔王の体が軽く曲がり、マントに衝撃が伝わっていく。


 「あった!!」


 マントからポロッと出た物。

 目的の魔石だ。


 やっぱりあった。

 予備用を持っているという予想はやはり正解だったみたいだ。


 魔剣を腰のズボンに刺して、空中に浮かぶ小さな魔石を口でくわえる。

 口の中から感じられる、魔石に込められたエネルギー。

 それを全て、魔剣へパイプで流し込むイメージをする。


 「よっし!」


 エネルギーの装填が終わる。

 ようやくだ。

 口から用済みの魔石を吐き出して、魔剣を口にくわえ直す。

 これで準備は整った。


 「ガアァァ!!」


 龍が叫んでいる。

 ゴゴゴと空気が振動している。

 紅蓮の炎で出来た巨大な龍が、巨大隕石の如く俺に向かって落ちてきていた。

 炎が叫ぶとか、尋常ではない。

 物理現象としておかしすぎる。


 炎の熱気が波紋の形になって、黒いカラス達を燃やしていく。

 しわがれた声を出して、燃え尽きていく。

 喉が一瞬で焼かれているんだろう。

 ゾンビみたいな声だ。

 死の断末魔。


 ロンポットとエイシャは退避していた。

 今、分かった。

 エイシャが目を閉じていたのはテレパシーだ。

 ヴァネールが攻撃してくるタイミングをやり取りしていたのだ。


 逃げねば死ぬ。

 逃げねば。


 ……魔剣。

 ふと、頭をよぎる。

 映像が。

 俺の記憶が。


 そして感じる。

 魔剣の意思が流れるのを。

 俺の危機感に呼応して、流れてくる。

 生きる意志を伝えてくる。


 魔剣の刀身が赤く光る。

 ラース街から逃亡した時と同じだ。

 あの感じが体を巡っていく。


 炎の龍は、もう目の前まで迫っていた。

 俺の体は光に置き換わっていく。

 炎の赤色と、転移の赤色が俺の視界をいっぱいに埋め尽くす直前。


 目覚めたルフェシヲラが、大声で俺達がラース街を転移で脱出する時のように、大声で何か言ったのを俺は見逃さなかった。

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