第70話 強者どもの夜8~死体が満ちた部屋で立つ者~

 「ぐっ……」


 体に痛みが走る。

 とんでもなく痛い。

 転移の光を抜けた時、弾かれるように床に叩きつけられたからだ。

 全身強打。

 呼吸もしたくないくらい、内臓に負担がきていた。


 「どこだよ、ここ」


 見知らぬ部屋だ。

 広さは、そんなに広くない。

 四畳くらいの広さ。


 そして、辺りには物が散乱している。

 埃を被った物品の数々。

 物に統一感はない。

 保管されている、という印象。

 てことは……


 「倉庫か……?」


 恐らくは、だが。

 そして、今いる部屋の出口。

 そこから、ここ二週間聞き慣れた音が響いてくる。

 ゴウンゴウンという、機械的な音だ。


 「逆戻りしたのか」


 そういうことだった。

 空中要塞にまた戻ってきてしまったみたいだった。

 せっかく転移したのに、このざまだ。

 ルフェシヲラが張った結界のせいだ。


 心の中で舌打ちをする。

 全てがおじゃんになった気分だ。

 いやいや、卑屈はダメだ。

 自分を弱くする。


 ただ、牢屋に捕まっていた時とは違って、閉じ込められているわけじゃないみたいだ。

 そこは不幸中の幸い、と言ったところか。


 俺の横には、気絶したララがいる。

 残った右手には魔剣もある。

 武器は一応取り返したってことでいいだろう。

 要塞内をウロウロする時、得物があればと何回も思った。

 これでその不安要素は解消ってわけだ。


 頭をガツンと叩かれたような痛みが、頭に残っている。

 まあ恐らく、あの女秘書の仕業だろう。

 転移に入る前に何か能力を唱えてたし。

 結界系か何か、だろうか。

 不明だが、ただそれはラース街を出るために転移した時の状況によく似ていたと思う。


 フワリとした浮遊感は感じなかった。

 光に乗ったと思った瞬間に、頭をガツンとやられた感じだ。

 弾かれたんだろうな。

 俺はそう思った。


 考えても仕方ないか。

 今後のことを考えるべきだ。

 過去より現在、そして未来だ。


 外からは、未だに爆発音が聞こえてくる。

 その度に床が少し揺れている。

 要塞自体が揺れてるんだろうな。


 あの規模の攻撃を連発してたんじゃあ、そりゃそうだろうと納得するしかない。

 攻撃の規模が違いすぎるもんな、アレ。

 

 「こんなことを繰り返してたら、いつか死ぬな……」


 本音だ。

 本音の一つでもぼやいておかないと、やってられない。

 が、その後に訪れるのは静寂だ。

 機械音が空しく聞こえる。


 「……やるか」


 誰に言うわけでもなく、一人で寂しくそう呟いた。




 ---




 倉庫から出ないといけない。

 俺は強く魔剣を握り締める。

 大丈夫だ。

 ちゃんと対抗手段はあるのだ。

 悪魔相手にあれだけ戦えたんだから、大丈夫。

 自身を落ち着かせる。


 ララは物置部屋にあった長く頑丈そうな紐で、俺の背中にガッチリと固定してある。

 そうそう簡単には外れはしないだろう。

 これで自由に魔剣が振れる。

 ……行こう。


 俺は大きな音を立てないように、静かにドアを開く。

 そこには……


 「うっ」


 死臭が漂っていた。

 目の前は死体の山だ。


 魔物の死体、悪魔の死体。

 それぞれがごっちゃに、バラバラに、区別が付かないぐらい散乱していた。


 森で処理したサルの死臭は血の匂いだった。

 これはそれよりも濃度が酷い。

 室内なのも関係しているかもしれない。


 床は内臓が散乱していて、魔物が食い散らかしたことがよく分かる。

 それを止めさせようと、悪魔が攻撃して、それで魔物と交戦して……

 戦闘が頭の中である程度イメージ出来る。

 酷い戦いだったろうな。


 ふと壁を見る。

 腰から下のない、悪魔の死体が壁に寄りかかっていた。

 涙を流したであろう痕が顔に残っている。


 ダゴラスさん達の言うことが本当なら、人間よりは争い慣れしていないはずだ。

 そういう社会だから。

 狩りはあっても争いはない。

 だから、泣いたのか。

 ……俺に想像できるのはここまでだ。


 俺にとっては幸い、生きた魔物や悪魔はいない。

 戦わずに済むならそれがいい。

 俺は先を見やる。


 「行かせないが?」


 唐突に悪魔の声が聞こえた。

 女の声だ。

 しかも、聞いたことがある。

 この声は、


 「セスタ、だったっけか」


 忍者の格好をした悪魔。

 電撃の固有能力を操っていた強い悪魔。

 いつの間にか目の前に立っていた。

 いつから立っていたのかは分からない。


 確か、ポポロが足止めしてくれていたはずだ。

 それが今、こうして俺の前に現れている。


 「ポポロはどうしたんだよ」

 「答える必要が?」

 「ここの女悪魔はみんな冷ややかな返事しかしないのな」

 「……」


 冷たい態度だ。

 いや、まあ敵だから当然なんだろうけど。


 彼女は血まみれだった。

 自身のものかもしれない。

 魔物の返り血を浴びたものかもしれない。

 いずれにしろ、血まみれだ。


 服は所々破れていて、深い疵口がそこから確認できる。

 えぐり取られたようなものであるから、魔物との交戦によるものだろう。

 態度には表していないが、どことなく疲れた印象を感じた。

 肉体的にも、精神的にも。


 「これは……お前が生み出した光景だ」


 少し溜めて、セスタはそう言った。

 積み重なる悪魔の死体を見ながら。

 

 「……俺がやった訳じゃない」

 「いや、やったんだよ。お前が」


 ……理不尽だ。


 「俺を物みたいに奪うか奪われるかで結局こうなったんだろ。こっちはどんだけ死ぬ思いをしたか分かってんのか?」

 「お前がいなければ、こうはならなかった」

 「お前ら……悪魔が勝手にやったことだ。俺はお前らが襲ってくるから……逃げただけだ。そう、正当防衛なんだよ」


 俺は思ったままを言う。

 そうだ。

 正当防衛なんだ。

 しかも相手は殺す気で来てたのに、俺は一人も殺してない。

 悪いのは、


 「悪いのはお前ら悪魔だ。俺のせいじゃない」


 悪魔は。

 嘘を吐く。

 拘束する。

 攻撃もする。


 当初聞いた話と全然違う。

 悪魔は殆ど酷い奴ばかりだし、容赦ない。

 優しくもない。

 まるで……人間みたいな奴ばっかりだ。


 ララやポポロみたいに俺を助けてくれる奴もいた。

 だけど、そういうところがまさに人間と似ている。

 混沌としているところこそが。


 「悪魔って……悪魔って一体何なんだよ!!」


 いきなり捕まって、追い掛け回されて、死ぬ直前まで追い詰められて、閉じ込められて。

 酷い。

 あんまりだ。

 俺は何にもしてないのに。


 しかも、それが全部俺のせいだって?

 ありえない。

 俺は何をした?

 俺はここにいてはいけないのか?


 なら、とっとと地獄から抜け出させてくれよ。

 手伝ってくれよ。

 何で俺を殺すとか、封印するとか、そんな話になってるんだよ。


 ……疲れた。

 しんどい。

 心が重い。


 一気に心が老けたような疲労感を感じる。

 今までめげなかったのに。

 何で、今になって。


 「被害者面するなよ、人間」


 俺を攻めるような冷たい声が響く。

 冷えているが、熱気はある。

 矛盾した表現だが、成立している。

 これは憎しみの声だからだ。


 「お前が最初、素直に魔王様の言うことに従っていれば、こんな大惨事にはならなかった」


 だから、戦闘はお前ら悪魔側が始めたことだ。

 仲間が死んだのだって、お前らのせいだ。

 俺のせいじゃない。


 「それは……」

 「黙れ!!!」


 空気がピリッとする。

 張り詰めた空気だ。

 俺の声は気迫で流されてしまった。


 「仲間が大勢死んだんだ。魔物の討伐で死んだ仲間は前にもいた。だが、魔物以外で死者を出したのは初めてだ。それはお前が来てから始まった」

 「俺は、違う」

 「違わない。おとなしく封印されていればよかったんだ、お前は。この……害獣めが」

 「害獣……」


 害獣。

 ダゴラスさんと一緒に狩っていた。

 サルや、ネズミ。

 狩って殺した。


 あの時、俺は毒を木に塗った。

 それが原因で死んだ。

 確かに、俺はあの生き物達を殺したんだ。

 ……害獣を。


 今、俺は害獣と呼ばれた。

 害獣は殺されるべき。

 頭ではよく考えていなかったが、害獣を殺した。

 俺は、行動で肯定したんだ。


 害獣は木を食べたり、死体を食い散らかす。

 それが行き過ぎた量になると、自然のバランスを崩してしまう。

 自然のバランスは地獄のバランス。

 バランスを保てなきゃ、悪魔は生きてはいけない。

 悪魔も地獄の恵みを享受しているに過ぎない存在だから。

 人間みたいに。


 生物の為に大地があるわけじゃない。

 大地の為に生物がある。


 生き物は大地のバランスを崩してはいけない。

 バランスを取るために、ダゴラスさんは狩りをしていた。

 害獣と呼ばれる生き物を狩っていた。

 他の悪魔も、多分そうだ。


 もしかして、悪魔もそんな感じで俺を殺しにきたんじゃないのか?

 俺みたいに、何にも考えないで殺そうとしたんじゃないのか?

 殺される立場の、サルやネズミのことも考えないで。


 悪魔は俺の心を読めない。

 きっとそうだ。

 みんな読めないみたいだった。


 悪魔は心を読める。

 心を読めない奴の気持ちを理解しようだなんて、無理だ。

 心を読めるのが常識の世界なんだから。

 俺が初めて地獄に来た時、マリアさんの説明してくれたことが俺の頭をよぎる。


 人間の世界と、悪魔の世界の常識は違う。

 表面上のことは似通っていても、根本は違う。

 いずれ齟齬を生む。

 きっと、それはどんどん大きくなっていく。


 「もう死んだ同胞は喋らない。息もしないし笑ってもくれない。一緒に仕事をすることも出来ない。お前が来て、争いを呼んだからだ。お前が殺したんだ……」

 「俺は……」

 「お前が殺したんだ!!」

 「俺は殺してない!!」


 バチバチと音が聞こえる。

 放電音だ。

 危険な現象。

 ……俺を殺す気らしい。

 俺は握っていた魔剣に力を込める。


 もういい。

 聞き飽きた。

 理解は出来る。

 でも、理解したくない。


 悪魔は俺と同じだ。

 無知だ。

 少しだけ、モノを知らないだけの生き物だ。


 知らないことはいけないことか?

 知らないからいけないことも出来る?

 無知は罪か?


 腐ってる。

 こんな世界。

 理不尽だ。

 道理では正しいとしても。


 辛い。

 責められるのは辛い。

 心が痛い。

 締め付けられるみたいだ。

 もう、痛いのは嫌なんだよ。


 逃げたい。

 逃げたい逃げたい逃げたい。

 ここから逃げたい。

 逃げなくちゃダメだ。

 ここは俺がいるべき場所じゃない。


 かと言って、ララも捨ててはいけない。

 助けてくれたんだ。

 ……助けてくれたんだ。

 見捨てるのは、嫌だ。


 気持ちがぐちゃぐちゃになる。

 視界が歪む。

 心が荒れる。

 黒く、濁る。

 タールのように粘つく。


 もう、いい。

 ……やってやる。


 気持ちをぶつけられる相手がいるじゃないか。

 今の俺なら、戦える。


 人間の、せいで。

 人間のせいで。

 人間のせいで!

 人間のせいで……!!!


 「俺のせいじゃないって言ってんだろ!!!」


 死体だらけの空間で、死闘が始まった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る