第23話 悪魔の生活15~記憶喪失に関して~
昨日はそのまま夕食時まで寝て、起きて、食べて、マリアさんと雑談して、スー君とも少し話して寝た。
マリアさんとの雑談と言っても、俺の好みの料理とか、得意なことなんだとかそんな感じのありふれた話題だ。
だが、俺は記憶喪失なので俺自身に関するもので答えられるものはそうない。
それでも気まずい会話にならなかったのは、マリアさんが精神感応能力のスペシャリストだからだろうか?
そして今日。
赤い月が夜闇を照らす頃合になると、ベットから自由に移動することを許された。
広間に行って、みんなと夕食を食べることに。
食卓では、スー君と一緒に学校の話題で持ちきりになったりした。
聞いてみると、スー君が学校で習っていることは人間の世界の学校とは所々相違点があるようだった。
悪魔の社会は能力があることを前提に成り立っている。
だからまず子どもが学ぶべきことは能力の種類や使用用途。
何故悪魔や魔物が能力を使えるのか。
そういったことをまず土台として学び、そして能力の適性を見極めて練習と実践を行う。
その上で数字や言語、歴史の勉学に励むという。
スー君が学校のことを説明するその様子は楽し気で。
少し羨ましいなと思った。
……羨ましい。
そうか、俺は羨ましいと思ったのか。
俺、生前の幼少期はあまり学校でいい思い出を作れなかったのかもな。
もしくは、学校に通えていなかったのかもしれない。
羨望の感情を持つってことは、そう言うことなのだろうか?
人間の世界の教育は、その国に住む人間達が勝手に決めた道徳観念を正しいものだと思わせることから始める。
社会のルールを破ってはいけません、大人の言うことは守りましょうなどなど。
別に、社会のルールなど破っているお偉い大人はいくらでもいるし、逆にルールを守り貧困に陥る大人も吐いて捨てるほど存在している。
また、国が違えば全く逆の価値観を教えられる場合もある。
つまり、学校で教えられることの大半は、社会に生きる上で殆ど役に立たないものばかりだということだ。
所詮は歴史の中で最も力の強かった人間が作り出した、社会を出来るだけ都合よくコントロールするためのルールだ。
教育を受けた子どもは大人となり、社会へ。
そして社会で生み出された利益の多くは権力者に。
おこぼれではあるが、ギリギリ不満を持たない程度の利益を一般の層に流している。
基本的にどの国も共通してそうだ。
それを社会のルールとして、一方的に正しいと認識させているに過ぎない。
それを成立させるための教育。
それを前提にした上での学び。
程よく洗脳し、程よく学んでもらう、ということだ。
一方で、学校の作り出す環境は否定出来るものではない。
子ども同士が相互的に関わり合い、多様性というものを感覚的に知っていく。
それは大事なことだし、必要なものだ。
他者と関わって得るものほど子どもの将来に必要なものはないのだから。
きっとそこかな、俺が羨ましいと思う部分は。
そんなこんななことを聞き、そんなこんなな考察をさせられた夕食。
その後、体の調子を見るからとマリアさんに言われたので、ベットの上で腕を見せているところだ。
「だいぶよくなってるわね。かなり回復が早いわ」
「早く治りそうですかね」
「そうね。一週間と言わず、腕の方は四日で治っちゃうんじゃないかしら?」
朗報だった。
切断されて諦めていた腕が全快して後遺症もなく戻ってくるのだ。
そりゃ嬉しくもなる。
トカゲの尻尾みたいだなぁとか野暮なことは言わないさ。
俺の嬉々とした表情を見て、マリアさんはこう付け加えた。
「けど、大事を見て家で安静にしてるのは変わらないわよ」
まあ、ね。
しょうがない。
分かってたことさ。
「君の場合腕の損傷もそうだけど、失血と衝撃による内蔵の損傷が酷かったから」
「内蔵の損傷……」
失血というのは分かる。
腕からダラダラ血を撒き散らしてたもんな。
衝撃はどこで受けただろうか。
ああ、ダゴラスさんの背中から転げ落ちた時か。
一瞬息が出来なくなるぐらいの衝撃だった。
馬上落下がどれだけ危険なものなのか、容易に想像がつく場面であった。
「普通に歩けるようにはなっても、まだ内臓にダメージが残っているの。走ったりしたら激痛が走るんだからね」
「戦闘の最中は激しく動いても痛みなんか感じなかったんですけどね。感覚的には無理はしてないつもりでした」
俺の発言に対して、マリアさんは眉を潜めた。
「これで無理をしていなかったって言うのなら、大概のことは無理じゃないで通るわね」
「……今は振り返ってみて無理してたなぁって思いますけど、あの時は……まあ、ただ魔物を倒すことだけしか考えてなかったというか。無茶ではなくて、確実に倒せること前提で動いていたというか……」
事実こう感じてしまったのだから仕方ない。
俺は軽くそう考えていたのだが。
マリアさんはどうやらそうではないらしく。
少しだけ険しそうな顔をしていた。
「あえて正直に言うけど……大半は、そうとは思わない。行動に移そうとも思わない。片腕を切断された上で君がその状況を無理だと思わなかったのなら、君の精神に何らかの異常があると考えたほうが違和感がないわ」
「俺の心に問題があるってことですか」
あらやだ。
随分と率直にマリアさんは言ってきた。
あまりポジティブに受け止めることは出来ない言葉だ。
なんだか自分を否定された感じ。
そうではない、と分かっていはいても。
「正常な精神を持っている者でも、極限状態の中で平静を保つことは出来るものよ。ただし、それはしかるべき訓練と、経験を積み重ねた場合に限り。要は慣れと克服。けど、君の場合は手練れでも逃げの一手を選択するような状況で、相手と交戦してそれを無茶だとは思わなかった。つまり、慣れと克服をしていたとしても、今回のあなたの行動は異常、ということよ」
異常、と言われても困ってしまう。
生前が何者であるかも分かっていないのに。
「丁度いいから、今お話ししましょうか」
「……何をですか?」
本当は分かってはいるが、ちょっと気後れして質問する形になってしまった。
「君の記憶喪失について」
俺の記憶がないこと。
本音を言うと、あんまりこのことについて深堀りしたくはなかった。
乗り気では、ない。
俺が現世で生きていた頃、何をしていたかは分からない。
もしかしたら最低なことをしていた人間だったかもしれない。
今回の件で表出した、俺でも把握出来ていないような俺の一面。
不安にもなるだろう。
明らかに常人ではない。
俺は、一体誰だったのだろう?
かつてはその疑問に対して興味だけがくすぐられた。
今は、半分恐怖に変じている。
「あなたは今、記憶がないわよね?」
「……何も思い出せないです」
「と言うことは、君はストレスや心的外傷による影響から最も遠ざかっている状態なの」
「心的外傷……トラウマ?」
「そうね。記憶障害になる原因というのは、本当に色々あるわ。外部からの衝撃によるもの、精神的な負担から来るもの、薬剤などの作用によるもの。トラウマもその一つ」
「俺はあんまり記憶喪失とか詳しくないから分からないですけど、その分じゃあ記憶喪失にも色々種類がありそうですね」
あのー、あんまり難しい話になって欲しくないんだけど……
そろそろ知ったかぶりゾーンに入りかねないんですが。
「ええ、その者が何を忘れるかなんて、状況とタイミング次第で変わってしまうわ。君を見つけたのが、すでに記憶喪失になった後だったから私達にはその原因を探ることは出来ない。けど、どんな分類に分けられる記憶障害だって一つの共通性がある。何だと思う?」
そこで振られても分からないんですけど。
急に質問されるのは知ったかぶりちゃんの困るやつなんですよ姉さん。
知ったような顔で聞くのはもう限界であった。
「何なんでしょうかね?」
「純粋になるのよ」
「純粋? どういう意味で?」
「そのままの意味でよ」
「……記憶喪失になると?」
「記憶喪失になると」
純粋だけじゃあ分からない。
もう少し説明が欲しいな。
もちろんベリーでイージーな表現でおなしゃす。
「何回も申し訳ないですけど、よく分からないです」
「いえ、こちらこそごめんなさい。あんまり分かりやすく伝えられなくて」
いや、理解力が足りないこっちも悪い。
実際には言葉にせず、心の中で呟くだけにしておく。
「つまり、記憶喪失の症状が深刻であればあるほど嫌なトラウマなんかを忘れることが出来るから、本来の自分の本質にどんどん純化していくのよ。性格も綺麗になっていくの。大雑把な言い方だけど」
「ああm純粋になるってそう言うことですか」
なるほど。
確かに生前にあったトラウマなんかを脳から除去することが出来たのなら、性格も本来のものを取り戻しもするだろう。
例えば、PTSDと呼ばれる戦争体験や性的暴行などからくるストレス障害。
忘れたと思っていても、フラッシュバックなんかで再びストレスを感じてしまう症状が特徴の障害だ。
そんな症状も、そのトラウマとなる記憶があるからこそ引き起こされるものだ。
きっとそれは苦しいし、負担がかかることだ。
長く続けば心は荒み、本来の自分とは違う精神状態に追いやられたりもする。
でも、ストレスを感じる要因である記憶が元から失われたのであれば、ストレスによる性格の歪曲も失われる。
自己の同一性はそのままに、元の自分にリセットというわけだ。
結果として、マリアさんが言ったような純粋に近い形で性格が形成される、と言うことだろう。
俺はそう理解した。
なーんか知ったかぶりとか自己評価してたが、結構理解度高くね俺?
PTSDなんて言葉がパッと思い浮かぶぐらいだし。
なんかムラッけを感じる……
「けど、それと俺の記憶喪失にどんな関係があるんですか?」
「魔物と戦った時の君、生死が関わる極限状態で、無理はしなかった、と言ったわね」
「言いましたね」
むしろ楽しんでいる節があるとも。
「君は私達に会った時点で、地獄のことを何も知らなかった。でもこの世界に来る経緯は覚えている。ということは、この世界に来てからそんなに時間は経ってないことが証明されている」
「多分、気絶した日も含めて、地獄に来てから今日で五日目です」
「と言うことは、少なくとも魔物と対峙した時の君の精神状態は、本来の君のもの……。少なくとも、君は地獄に来て性格が変質した、とはあまり考えられない。つまり、君の心の状態は純粋に近い形を維持してるってこと」
それが何だと言うんだろうか?
「それはそれでいいんじゃないんですか?」
俺の問いに対して、マリアさんは首を振る。
「今はそう言えるけど、あなたが記憶を取り戻した時。どんな人間になっているのか……」
……マリアさんの言いたいことが何となく分かってきたような気がする。
「正直な話、俺は俺のことがさっぱり分からないです。俺の名前も、住んでた場所も、年齢も。何一つ自分のことに関する確かなことは分からない。だから、これから何かしたほうがいいのなら、俺はそれに従います。マリアさん達のことは本当に感謝してますから」
本当のことを言った。
以前の俺について何も分からないのなら、今の俺が思っていること、考えていることを誠実に話すしかないだろう。
話すべきだろう。
ただそう思った。
「あっ、いえ。何かするべきだとかそういうことじゃないの。変ね、私。こんなに胸がざわつくのは、本当に久しぶりなの。辛口になっちゃって、ごめんなさい」
「あ、いや、全然そんなことなかったです。逆に感謝してますよ、俺」
俺のことを嫌って、わざわざこんな話をする訳がないじゃないか。
ありがたいんですよ、ホント。
「結局は私も何も分からないの。けど、こっちの考えていたことは伝えたほうがいいと思ってね。人間は心を読めるわけじゃないし、フェアじゃないと思ったんだけど……余計なお節介だったかなぁ」
いやいや、そんなことは微塵もございません。
「……なんだかしめっぽくなっちゃったわね。普段はこんな感じじゃないのに」
「そういえばダゴラスさんも言ってましたね。あんまり謝るなって。それがこの家族のノーマルスタイルなんですっけ」
「そうそう。いったん謝っちゃうと、どうしても遠慮しがちになっちゃうから」
マリアさんがコホンッと一回咳払いをする。
「だけど、これだけは聞いておいて?」
と、前置きして。
生涯決して忘れないであろう言葉を俺に送ったのだった。
「私はあなたの味方。だから、いつでもどんな時でもあなたを見守っているわ」
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