第24話 悪魔の生活16~スーラン~
俺の周りには、白い煙がモウモウと漂っている。
その煙の正体は水蒸気だ。
水蒸気の発生源は水であり、その水は俺とスー君の体をスッポリと覆っている。
水の上には黄色いみかんのような果物が浮かんでおり、時折発生する水の波にゆらゆら揺られていた。
つまりだ。
今現在、俺とスー君は入浴中だった。
結構な広さの檜風呂で。
まさかの風呂である。
悪魔世界に風呂の文化があったとは……
「気持ちいいねぇ、お兄ちゃん」
ホッコリ顔の少年である。
かく言う俺も似たような顔なんだろうな。
もう死んでるくせに生き返るような心地の良さが全身をめぐり、なんかよー分からん複雑な気持ちである。
「まさか死後にまた風呂に入れるとは……」
「へー、人間の世界にもお風呂ってあるんだね」
「風呂だけじゃなくて、色んなものが人間の世界と同じだな」
「どうしてだろうねぇ」
「分からん……」
「ぼくもしーらない」
だろうなぁ。
他世界を知っている者すら稀だというのだから。
「ところで、スー君の学校ってどうなのさ?」
「僕の学校?」
「いや、人間の世界にも学校があってさ。地獄の学校ってどんななのかと」
時折子ども部屋でスー君が勉強しているのを俺は見ている。
その度に彼は、背後の人間から膝カックンされた時のようなイラついた顔で「学校なんてリラックスの海に飲まれて消滅しちゃえばいいのに……」と呟くのだ。
覚えたての難しい言葉を使いたいお年頃なんだろうが、普通に言い間違えをしていので無視して差し上げたわけだが。
それはともかく、学校である。
学校……まだ未熟者が通う場所ではあるものの。
同時に可能性の象徴でもあり。
育みの場でもある。
ポジティブなイメージをしてみたわけだが、反面ネガティヴなイメージも付きまとう。
いじめ。
格差。
嫉妬。
シンプルに単語を並べてみたが、実態は酷いものだ。
学校が無条件で素晴らしい場所などと断言することはできない。
未熟者が閉鎖空間に集まることで排斥が起こり、結果人が死ぬこともある。
そこに加え未熟だからこその陰湿な空気感というものもある。
その未熟から出た膿は人間の本質の一部である。
人間の闇の縮図でもあるのだ、学校という環境は。
しかしじゃあただ単純に学校が絶対的に悪い場所だと言えるわけでもない。
闇を孕んでいるとはいえ、同年代と学べる教育の場は大切だしな。
とまあ俺の思う学校はこんな感じ。
学校に対してなんとも中途半端な煮え切らない印象を持っている俺ではあるが、それはあくまで人間世界での話。
地獄の学校とはいかなる場所か、かなり気になるところではある。
「んーとね、友達と遊んで、勉強する所だよ」
まあそれは大体分かる。
「もっと他にはないのか?」
「だって、簡単に言うとそれだけなんだもん」
「部活とかないのか?」
「何それ?」
逆に聞かれてしまった。
そういえば小学校に部活とかはないんだっけか。
「じゃあクラブは?」
「それはあるよ」
「どんなのがあるのさ?」
「美術クラブとか、ボードゲームクラブとか」
「サッカークラブとかは?」
「あ、それもある」
そこも人間の世界と一緒なのか。
ここまで文化が似通ってくると、ただの偶然じゃないことぐらいは分かる。
ここは、人間の観点から見れば死後の世界。
輪廻転生が理の世界。
転生の際に記憶や姿形がリセットされるとはいえ、因果のようなものは続いているのかもしれない。
因果の収束の表れとしてこの悪魔の文化が形成されているというのであれば……
俺は死んでそのままこの世界に来たというよりも、もしかしたら第二の生を与えられたと考える方が正解なのかもしれない。
「それにしたって人間の学校とあんまり変わらないなぁ」
「人間の世界の学校でも同じことしてるの?」
「勉強して、友達と遊んで、クラブか何かやって、家に帰って……」
こんなこと言っているが、自分が学校に通った自覚などこれっぽっちもない。
記憶を失っているから、だろうか。
なんか、違う気がする。
そもそも俺は、学校に通っていなかったような気もする。
気がするだけで、確信や具体性のようなものはない。
でも、引っかかる。
「あんまり変わんないんだね」
「……ダゴラスさんとかに人間の世界について教えてもらったりすることはないのか?」
「お兄ちゃんがこの家に来るまで、人間がいることなんて知らなかったし。昨日お父さんに聞いてみたけど、全然教えてくれないんだ。でも、お兄ちゃんは色々話してくれるから楽しいよ」
「そりゃどうも」
ふと頭がクラクラしてきた。
風呂に入ってからかれこれ二十分。
十分浸かったな。
上がるか。
「さて、俺はもう出るぞ」
「えー! もう上がるの?」
スー君が不満駄々洩れ。
子どものくせに長風呂は珍しいな。
「だって俺、もうのぼせそうだよ」
「お兄ちゃんのヘタレー!」
「何とでも言ってろ。風呂で倒れたくないんだ」
「僕なんかあと一時間は平気だよ」
「悪魔の体と人間の体を同じに見るな」
「なんでさ?」
「多分、人間の方が悪魔よりも弱いからだよ」
「なんで?」
「知らん」
「むぅ。お兄ちゃんがいないとつまんないから僕も出る」
意外にあっさり切り替えたな。
流石マリアさんの息子だけあって賢い。
湯船から上がり、タオルで体を拭く。
廊下から浴室に流れ込んだ冷気のせいで体が冷える。
普通にさみぃ。
「もしかして今の季節って冬?」
「ううん、夏だよ」
「異様に寒くないか?」
「そう? あったかいと思うけど」
「……まじで?」
「まじ!」
でも悪魔の体は人間よりも体温高そうだし、改めて考えてみるとそんなに違和感は感じないかもしれない。
そういえば寒いと言えば、この世界には太陽がない。
地球は太陽があるから温かいわけだが、ならこの世界は?
太陽のような天体がなければ、この星はガチゴチの氷河期のはずだが。
……まさかあの赤い月が熱源というわけでもあるまい。
きっと太陽に代わる熱源がどこかに存在しているのだろう。
そして今更気付いたのだが、タオルで体を拭いているスー君の尻には尻尾がついていない。
某宗教が言い伝えるところの悪魔には尻尾があるはずだ。
獣性の証として悪魔には角や尻尾が備わっていると。
けど、実際は違ったようだ。
ま、書物や口伝の類で伝えられてきたものなんてそんなもんだ。
所詮は人間が残してきた物だし、時の流れの中で改変された可能性のあるものを信用する方が間違っている。
人類の歴史の中で事実としてこれがあったなんて確証を得られるような資料の方が少ないわけである。
俺の視線が尻を向いていたので、スー君がプリプリと尻ダンスを始めた。
注目されたいのだろう。
子どもによくありがちなものだ。
顔がニヘラとしている。
子どもって単純でいいなと俺は思った。
もちろんいい意味でな。
「へあっ!」
「はうっ!」
スー君の尻をパシンとひっぱたいてやった俺なのだった。
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