第20話 悪魔の生活12~反撃~

 記憶。

 魂に刻み込まれた転生前の履歴。

 

 俺は俺ではなかったが、それでも俺だった。

 「矛盾じゃね?」とか言われそうだが、これ以外今の俺の状態を表現する言葉が見つからない。


 やけに体が熱い。

 煮えたぎったオイルを全身の血管に流しているかのような、苦痛を伴う熱さ。

 オイルが体を循環する度に、体が軽くなっていく。

 油をさした機械のように。


 何故、俺の体はこうなったのだろう?

 あの時俺は、怪物の目の前で意識を失って倒れようとしていた。

 怪物による攻撃を受けて、左腕がスッパリ切れて。

 その次の攻撃で俺は殺されるはずだったのだ。


 だが、それはなかった。

 意識を失ってはいなかった。

 倒れていなかった。

 攻撃すら受けていなかった。

 俺がその攻撃を避けたからだ。


 言っておくが、俺はあの怪物の攻撃を避ける自信というのは全くない。

 微塵もない。

 ないったらない。

 なのに避けてしまえた。

 

 俺が俺を動かす以上に滑らかに、かつ素早く、隙なく避けた。

 俺の肉体が可動することの出来る、限界値ギリギリの体さばきで。


 人は普段体を動かし使っているが、その使い方はとても雑なんじゃないかと思う。

 例えば歩行。

 人間の肉体構造から考えて体力の消費が最も少ない歩行法が存在しているのにも関わらず、何も訓練を受けていない人間は非効率的な歩行を行う。

 他もそう、走ったり、投擲なんかにも効率的な動作がある。

 何だって突き詰めれば、最適の動きが存在しているのだ。

 今の俺ならそれが分かる。

 俺はその効率的な、最適化された動きによって、相手の攻撃を避けたのだ。

 身体能力が覚醒かなんかにより急激に上がったとか、そういうご都合主義ではないのだろうという確信が何故か頭の中にあった。

 

 「ァ……」


 目の前のアイツ。

 殺したいくらい憎いアイツ。

 俺の恩人のダゴラスさんをあんな目に合わせやがって。

 

 ダゴラスさんは、うつ伏せで倒れていた。

 片足は大きくえぐれて地面に血が広がっている。

 頭からも多少の出血が見られた。

 ピクリとも本人は動かない。

 気絶しているのだろう。


 左の方を見てみると、俺の腕が落ちていた。

 刀のような鋭利な形状のもので切断されたのか、やけに傷口が鮮明に見えて綺麗だった。

 左腕からの出血が止まらない。

 ……時間はあまり残されてはいないようだ。

 動けば動くほど、俺の血は早く失われていく。

 それまでに決着をつけないと、死ぬ。


 何の能力も持たない奴が生き残れる道理はないのかもしれない。

 俺もそう思ってる。

 でも、ほんの少しだけ、根拠のない自信があった。

 

 俺なら殺せるかもしれない。

 本当に、根拠のない確信。

 ロジックのない、ただの勘。

 でも、俺の体が怪物に対抗する方法を覚えていることを、俺は思い出していた。

 先ほどの体への衝撃がトリガーだったのかもしれない。

 俺じゃない俺のよう。

 でもそれは俺だ。

 俺なんだ。


 体が勝手に動く。

 それに呼応するかのように、黒い霧の怪物も戦闘態勢に入った。


 「ァァァァァァァ」

 

 化物は、体の両サイドから腕を生やし、中間部分を鎌に変成させた。

 さきほど生やした両足を駆り、こちらに接近。

 俺に到達するまで一秒。

 

 速いが、動きに無駄が見られた。

 対して俺の体は遅いが、戦闘に際し最適化された動きだった。


 両側から迫る鎌を、下にくぐって切り抜ける。

 その隙に背中へ蹴りを食らわせる。

 相手は一歩よろめいた。


 この好機を俺が逃すはずがない。

 素早く横に離脱して、ダゴラスさんの元へ行く。

 目的はあの大剣。

 得物なくして怪物には勝てない。

 人は生まれつき武器を持たないのだから。


 大剣の柄を掴み取り、構える。

 相変わらずその大剣は軽かった。

 流石魔剣だ。

 ナイフを持つより軽いので、色々な使い方が出来そうだ。


 怪物の方を見てみる。

 相手が反撃しようと、鎌で襲いかかってくるのが見えた。

 

 まず縦に切りかかる鎌を見切り、サイドステップで避ける。

 追撃の二擊目も大剣で受け止めて防ぐ。

 距離をいったん離そうとするが、怪物が二本の鎌を振るい追撃を仕掛ける。


 回避、回避、回避。

 避け続けていると、相手に隙が生まれてくる。

 戦闘相手に合わせた最適な動きをとっていないからだ。

 斬撃の隙間を縫って、俺は大剣で突きの攻撃を繰り出す。

 怪物は斬られまいと、両方の鎌を交差させ俺の斬撃を刀身で防いだ。

 相手の両手が使えなくなったところで俺はすかさず蹴りを入れ、怪物がまた一歩二歩と後ろによろける。

 そこへ俺が飛びかかり縦に一閃。

 簡単に、何の抵抗もなく片方の鎌は切断されポトリと落下した。


 殺しの感覚が、俺の体から蘇る。

 多分、生前の記憶。

 残酷な俺の一面が表出していく。


 俺の殺気を感じ取ったのか、笑っていた口を怪物は閉じた。

 相手からも殺気を感じ取れる。

 だが大したものじゃない。

 この程度のプレッシャーなら体が慣れているようだ。


 怪物は鎌を不定形の黒い霧に戻し、本体に収納する。

 そして直後、体を急激に膨らませると、全身から針を突出させ凄まじい勢いで伸ばしてきた。

 凶悪な攻撃手段。

 まるでウニのようだと言えばチープな攻撃に聞こえるが、しかし即死の可能性を孕んだ冗談では済まされない一撃だ。

 俺の全身を貫いて死に至らしめるには十分なものであった。


 俺は瞬時に後方へ飛びのき、攻撃範囲から離脱。

 しかし怪物は、俺の行動を見た直後、全身から生やした針を全て射出した。

 全方位からの遠距離攻撃。

 速く、避ける隙間もない。

 死が、飛んでくる。


 俺はすかさずその攻撃に反応して、大剣を地面に突き刺す。

 全身を覆うほどの巨大な刀身を盾代わりにし、無数の針攻撃を全て防ぎきる。

 そこを狙っていたのか、大剣の刀身の横から怪物がヌッと現れ、生やした槍で俺を貫こうと襲い掛かる。

 だが甘い。


 俺はシラカバの木に毒を塗る際に使用したナイフを一本素早く取り出す。

 ナイフを構えながら槍の矛先を確認、射出先を判断する。

 銃弾を避ける時の基本だ。

 フェイントを混ぜつつサイドステップで横に逃れる。

 怪物はフェイントの動きに惑わされたか、俺とは逆の方向に槍を射出。

 俺は怪物へ一気に肉薄し、球体の額部分にナイフを突き立てた。


 が、怪物は額に薄い盾を瞬時に形成し、ギリギリのところでナイフを防ぐ。

 でも、まだまだだ。

 ナイフを突き立てた盾の形状が不安定になっていく。


 「ァ……?」


 ナイフには毒が塗布してあった。

 どうやらこの実体があるんだかないんだかよく分からない怪物にも、毒の効果はあったようだ。

 隙が出来た。


 ナイフを離し、大剣を引き抜く。

 そして横に一閃。

 巨大なのに存在感を感じさせないこの大剣に奴は反応出来なかった


 「……ァ」


 怪物が地面に倒れた。

 あっけない、と言えばあっけないな。

 もう動かないであろう怪物の死体を見つめる。

 死体からは黒い霧が払われていた。

 真っ黒な口のついた黒い玉。

 どうやら実体はちゃんとあったみたいだ。

 しかしそれが何故かドロドロに溶けていく。

 戦闘が終わった。

 後は帰るだけ。


 そう思って気付く。

 どうやって?

 どうやって帰る?


 ダゴラスさんは気絶している。

 ダゴラスさんを背負おうにも、重すぎて無理くさい。

 というか俺には片手がない。

 帰る前に失血で死んでしまいそうだ。


 「ああ、俺、死ぬの?」


 さっきまでの自信が喪失した。

 煮えたぎったオイルのようなものが流れている感覚はもうない。

 戦闘前に感じていた死の恐怖が、みるみるうちに蘇った。

 

 そうだった。

 俺、死にかけだった。

 

 左腕は、ドクドクと脈打つように血を流している。

 本当は戦闘する前の時点で、いつ意識を失っていてもおかしくはなかったんだ。


 さっきまでの調子の良さはどこへ行った?

 どういうこと?

 分からない。

 分からないが、マズイ……


 目がまたぼやけ始めている。

 体の力も入らなくなってきている。

 立ち続けることもしんどくなって、膝をつく。

 

 その時に地面を見た。

 俺が立っていた場所は、血の池だった。

 戦った辺りが血でビショビショだ。

 ダゴラスさんはある程度俺から離れている場所で気絶している。

 怪物の死骸からは血が流れていない。

 ってことは……


 「これ、全部俺の血か」


 ああ、大剣なんか振り回しているからこうなるんだ。

 いよいよ全身の力が抜けて、上半身が血だまりに吸い込まれるようにバタリと倒れる。

 パシャリと音がした。

 衣類が血で濡れる。

 染み込んでいく。

 血ってこんなに温かいんだな。


 今度は急に、恐怖心が薄れてきた。

 痛いのに気持ちいい。

 全身が冷たくなっていく。

 眠たくなってきたぞ……


 多分、寝たらダメなやつだこれ。

 けど、無理だわ。

 眠い。

 睡魔に勝てる自信がない。

 全身を血のベットで濡らして、俺はこれから眠るのだ。


 もう辺りは見えなかった。

 さっきの転移の光とは真逆。

 真っ暗。

 でも、森の暗さとはまた違う、優しさのある暗さだ。


 俺はついに暗闇の抱擁を受け入れて、目を閉じたのだった。

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