第9話 悪魔の生活1~目覚め~

 夢を見ている。

 俺が光になって宇宙に行く夢。

 とても気持ちいい夢だ。

 ずっと見ていたい夢。

 なのに。


 バフン、バフン。


 夢から現実へ強制的に引き戻される不快な衝撃が俺を襲った。


 お、重い。

 下腹部に圧迫を感じる。

 なんだこの重みは……

 バフン、バフン、と布団が衝撃を吸収している音がして、その度に俺のお腹にも衝撃が伝わっていく。

 

 痛い、止めてくれ……こんな朝っぱらから。

 そう、朝だ。

 目をきつく閉じていても、まぶたの内側から日光がうっすらと差している。


 もう起きる時刻だ。

 起きなければいけない。

 それは分かる。

 分かるんだが……


 まあ眠い。

 重いし痛いが、何より眠い。

 どんな外部からの刺激よりも、睡眠欲を満たそうとする俺の怠惰っぷりの方が勝っていたのだ。

 ということで、この衝撃を我慢しながら目を閉じることにした。


 「お兄ちゃん!! 起きろーーー! あっさだぞーー!!」


 ……鼓膜が破れるかと思った。


 


---




 本日、悪魔少年であるスー君のでかい叫び声で俺は目を覚ました。

 最初に目が覚めたあの子ども部屋で。

 ベットが三人分以外この家にはないということで、スー君と添い寝する形で寝たのだ。


 それにしても、子どもというのはどうしてこんなに朝から元気なんだろうか……

 なんでこんな朝っぱらからはしゃぎ回れるのか分からない。

 眠くないのかよ。


 逆に、俺は朝は弱い方だったようだ。

 眠くて眠くてたまらん。

 すっかり熟睡してしまっていたみたいだ。

 夢を見ていた割にはな。


 でも、こんな安心して俺が眠れたのは、ダゴラスさん達に会えたからだろうな。

 逆にダゴラスさん達に会えていなかったら、今頃ビクビクしながら地獄を彷徨っていたかもしれない。

 本当に出会えてよかったよ。


 そんなことを思いながら、昨日夕食を食べた広間に行く。

 部屋に入ると、魅惑的な料理の匂いが漂っていた。

 マリアさんが料理を作っていたようだ。

 

 「あら、二人ともおはよう!」

 

 マリアさんはスー君に負けず劣らずの快活さで俺達に挨拶してくる。

 息子が元気なら母親も元気だ。


 「おはようございます」

 「おはよーママ!」


 二人同時に挨拶したところで、広間の中央にある席に着く。

 となりにはスー君が着席。

 キッチンとテーブルの距離は近く、料理をしているマリアさんがここからでもよく見える。

 包丁を駆使して野菜を切ったりしているのだが、他にも人間の世界で見られる調理器具がそこかしこに見られる。

 意識してなかったが、昨日フォークとかナイフ使ってステーキ食べてたし、なんだか人間の世界の道具と同じもの多くね?

 偶然なのか、それともこれは必然なのか……


 「おはよう!!」

 

 俺が感慨にふけっていると、また声が聞こえてきた。

 大きな声で部屋に入ってきたのはダゴラスさんだ。

 上半身裸で、パンツ一丁の姿。

 上半身の筋肉が凄まじい。

 頭はボサボサで、豪快な寝癖が付いている。

 2本の細長い角に髪がくっついて、大層変なことになっていた。

 まるで鬼やな。


 そんな彼が、マリアさんに近づいて挨拶したかと思うとフレンチキス。

 マリアさんは嫌がる素振りはせず、ごく自然なものだった。

 夫婦なんだなぁ、やっぱ。


 でも、なぜかそんな二人を見ていると、胸が痛い。

 喜ばしいことのはずなのに。

 俺だけ遠いところでそれを見ているような、そんな感じ。

 

 嫉妬しているわけではない。

 それは決してない。

 もしかして、俺の生前はこういうことで何かトラブルがあったりしたのだろうか?

 くそ、全然分からんな。

 分からなくて当然だ。

 記憶がないのにどうやって分かれと言うのか。

 アイボに電池なしで動けと言われてるのと同じくらい無理だ。


 でもまあ、悪魔もああやって愛し合うのか。

 夫婦二人を横目で見ながら思う。

 やっぱり悪魔のアレも人間と同じような感じなんかね。

 ……子どもの前でゲスイ想像は止めておこうぜ、俺よ。

 

 「お兄ちゃん。これ、フォークとスプーン置いとくよ!」


 スー君は、テーブルに置いてあった食器類を丁寧に並べ終えていた。

 俺の分も合わせて四人分。

 後はマリアさんの料理待ちだった。

 

 「料理が出来るまで暇だねー」とかスー君は言っている。

 同感。

 俺も暇だ。

 何か手伝おうにも、周りを見る限りやることはもう残されていそうにない。

 俺が行っても邪魔なだけだろう。


 テーブルでの待ち時間。

 俺はふと思う。

 朝食を食べた後はどうするんだ?

 もちろんみんな予定があるだろう。

 聞いてみるか?

 

 「スー君は朝食を食べ終わったら何するんだ?」

 「僕、すぐに学校に行かなきゃダメなんだよ。遅刻すると先生に注意されるんだ」

 

 ちょっと驚く。

 悪魔って学校に行っているのか。

 いや、昨日の話を思い出すとそんなに不思議なことではないな。

 それにしても本当にやってることは現世とあんまり変わらないな、この世界は。


 「お父さんとお母さんはこのあと何をするんだろうな?」

 「学校に行ってる時は僕、家にいないからあんまり分かんないけど、帰って来る時はママがいるよ!」

 「お父さんは?」

 「多分ダーはお仕事じゃないの?」


 妻は家事で、夫は仕事か。

 うん、極めて普通だ。

 古来から人間文化に伝わってきた悪魔的要素が欠片もない。

 全部嘘やんけ。


 じゃあ、俺はどうする?

 俺の予定。

 のんきなことに、俺は現状で満足しかけていたのだが、しかし忘れてはいない。

 そう、俺が地獄で何をするべきなのかを。

 

 扉を、見つけなければならない。

 サリアに教えてもらったことだ。

 では、そのために何をすればいいのか?


 「おまたせ! 今日の朝食はスープにサラダ、手作りパンよ」

 

 朝から悲観に暮れていると、料理が運ばれてきた。

 いい匂いが漂い、嫌な気持ちを追い払ってくれる。

 視床下部の中枢を通して、食欲が頭を支配し始めるからだ。

 いいね、美味しそうな料理っていうのは。


 「よし。食うぞ!」

 

 いつの間にかマリアさんと、ダゴラスさんは席についていた。

 みんなダゴラスさんの号令を聞いた後、思い思いに大皿に入った食材を自分の皿に盛って食べている。

 これぞ家族の食事風景。


 そして思った。

 聞くなら今しかない。

 食べ終えたらみんな用事に取り掛かるだろう。

 だから、みんな揃っているここで話すべきだ。


 「ダゴラスさん」

 「お、なんだ?」

 

 ダゴラスさんは、サラダを口に含んだまま喋った。

 咀嚼した食べ物が見えている。

 汚ねぇ。


 「突然なんですけど、聞いていいですか?」

 「ああ、いいぞ」

 

 口から食べ物が若干飛んでくる。

 いや、気にはするまい。

 彼は恩人ならぬ恩悪魔よ。

 俺は話を続ける。


 「扉って知ってますか?」


 我ながらヘタな質問の仕方だった。

 もう少し他に言い様があったろうによぅ。

 

 「扉? そりゃあもちろん。家中にあるだろ」

 「その扉なんですけど、そうじゃないっていうか、なんて言うかな……」


 うまい言葉が口から出てこない。

 頭の回る人間ならこういう時なんて言うのだろうか。


 「それは家にある扉とは違うものなの?」

 

 マリアさんが助け舟を出すかのように口を挟む。

 そうそう、そうなんすよマリアさん。


 「なんていうか、天獄に行くための扉らしいんです」

 「天獄の扉?」


 英語に直すとヘヴンズゲートである。

 きっと盛んに使用されるのは中学二年生あたりの、羞恥心が刺激されそうな言葉である。


 「俺、それを探しに地獄に来てるらしいんですよね」

 「来てるらしいって、他人事みたいに自分のこと話すのねぇ」

 「まあ、まだ半分実感がわかないというかなんというか……」

 

 一同沈黙。

 そりゃそうだろ。

 こんな下手な説明じゃあなぁ……

 

 「とりあえず、天獄に行かなきゃダメなんですけど、そこに通じる扉が地獄のどこかにあるらしいんです」

 「うーん、悪いな。俺達にはよく分からない。その天国への扉?ってやつ」


 そうだろうな。

 聞いてる途中の様子で何となく分かっていた。


 「天獄があるのは分かるんだ。けどなぁ」

 「……天獄ってどんな場所か知っているんですか?」

 「天使の世界、とだけは。大抵の連中は天使の世界なんてものすら知らんだろう」

 

 歩き回って聞くのは絶望的ってことか。

 希望が見えてきたと思ったらこれか。

 世の中やっぱそうは上手くいかないか……


 なら、どうする?

 聞くのが無理なら、自分の足で探すしかないのか?

 俺が空から落ちてくる時に見た、広大な大陸を思い出す。

 ……いつまでかかるか想像もつかなかった。

 おいおい、どうすりゃいいんだサリアさんよぉ。


 ……ん、ちょっとまてよ?

 映画館では、人間は地獄にまず落ちるとか聞いたな、確か。

 順当に考えると俺と同じように天獄への扉を探している人間がいるはずなのだが、じゃあ他の地獄に落ちた連中はどうしてるんだ?

 更に疑問が浮かぶ。

 ダゴラスさんは、ここでは人間は俺以外にいないと断言していた。


 「俺以外地獄に来た人間はいないんですか?」

 「ん、殆どいないなぁ。地獄に来た人間はお前で三人目か」

 「たった三人……」

 「その一人目二人目だって、やってきたのは数千年前って聞くけどな」


 まあ、なんということでしょう。

 数千年前って無駄にスケールがでけぇではありませんか。


 人間の世界じゃあ毎日毎年とんでもない数の人間が世界規模で死んでるのに、いくらなんでも少なすぎなんだがっ。

 死んだ数だけ地獄に人間が落とされてるはずなのに。

 会わないはずはないのだ。

 地獄がよっぽど広くない限りは。

 

 「地獄ってどのくらいの広さなんですか?」

 「次から次へと質問が変わるなあ。いいけど。えーと、大雑把でいいなら、お前さんの世界……地球か。まあ辺獄だが、それとそんなに変わらないと思うぞ。知り合いの話でしかないが、でも確かだとは思う」


 地球か。

 広い……が、そこまでじゃあない。

 人間と出くわさないほどに広いわけではない。


 ……サリアは俺が例外だと言っていた。

 例外の俺が人間。

 俺が人間ってことは、例外じゃない普通な方は……

 

 「なんかいっぱい考え事をしてるね、お兄ちゃん」


 考え込んでいる俺を見て、スー君が心配してくれたようだ。

 子どもにも心配されるとは……

 サリアにも言われたが、そんなに顔に出てるのか俺って?


 「まるである日の朝ベットから起床すると、十数本の抜け毛を自分の枕元に発見しまい小さな絶望を感じている時のような顔だな」

 「ダゴラスさん、細かすぎてその例えはよく分かりませんがなんか違うことだけは分かりますはい」

 「そうか、俺は禿げてないからその気持ちは分からんけどな、はっはっはっ!」


 「ならどうしてその例えを出したのよ」とマリアさんに突っ込まれるダゴラスさんである。

 グッジョブマリアさん。


 「ま、色々聞きたいことがあるんだろ? だったら良い方法があるぞ」

 「え、どんな方法ですか!」


 思わず前のめりの俺である。

 期待させて落とすのはやめてくれよダゴラスさん。

 そして彼が言った言葉は……


 「一部の例外……知っている奴に聞けばいいだけの話さ」

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