第7話 悪魔の家族
今、俺は一軒家の広間で食事をしている。
眼前のテーブルには、ステーキに焼き魚、新鮮な野菜が所狭しと置いてあり、そのどれもが香ばしい匂いを放っている。
フォークとナイフを使ってステーキを口に運ぶ。
何ということだろうか。
口の中で油が広がり、柔らかい感触が舌に伝わってくる。
あの世にはこんな絶品があったのかと感心してしまう。
そばにあった水を手に取り、口に含んで一息つく。
なんという満足感。
なんという穏やかな光景。
俺個人の幸せ指数が爆上がりである。
……そんな空間には、俺の他に楽しく談笑している三人の人達がいる。
いや、人じゃないな。
悪魔だ。
人間ではないのだ。
「君がすぐそばの海岸で倒れてた時なんてビックリしたわ、ホント!」
快活な声の持ち主である悪魔の女性、マリアさんは俺を見ながら笑顔でそう言った。
「ホントだな! 人間なんてここに来ること自体が珍しいのに、それが海に浮かんでるときたもんだ!」
その言葉に対して、マリアさんの隣にいる、逞しい肉体を持つ悪魔の男性、ダゴラスさんも同調して答えた。
そして俺の背中をバシバシ。
「ハハッ、ホントに助かりましたよ」
棒読みみたいな感じでその言葉に同調する俺。
表情は恐らく乾いた笑いである。
背中バシバシ。
「ねえねえお兄ちゃん! これもおいしいよ! これもおいしいよ!」
元気に俺にチキンを差し出すのは、悪魔の少年、スー君だ。
さっきから俺達の会話に混ざらず、俺の腕を引っ張りながら気を引こうとしているようだった。
悪魔の手は硬く、爪が鋭いのでちょっと痛い。
ということでこの家。
女性に男性、そして子どもの三人が一軒家に住んでいる。
どういうことかって?
答えは一つ、真実も一つ。
ここは三人の悪魔の家族が住む家ってことだよこの野郎。
ちくせう……俺には分からぬ。
何故さっきまで俺が怖がっていた悪魔と、楽しく談笑して食事をしているのか。
俺にはマジでよく分からん。
いつの間にかこうなってたとしか言い様がない。
いや、ガチっすほんとに……
ついさっき目が覚めて、悪魔の眼光に怯えていたら急にマリアさんに腕を掴まれてここに案内された。
なんの説明もなく、「私はマリア! あっちにいるのが夫のダゴラスよ。こっちのちっちゃいのがスーだから」と、それだけ言って三人家族は食事をしながら世間話に入った。
ダゴラスさんが「さあ食べるか!」という言葉を合図にして。
ついでに俺も混じえて。
明るく楽しそうに。
俺のことも詳しく聞かずに。
ただそれだけ。
それだけ。
そして今に至る。
衝撃である。
悪魔がこんな温かい家族みたいに生活してるのだから。
幸せかっ!とツッコんでしまいそう。
寂寥めいたものが微塵も感じられない。
そういえば、悪魔は伝承や神話では人間を騙す存在である。
とある宗教の創世記にも、蛇となって知恵の実を食べさせるきっかけを作ったりだのなんだのと悪意で余計なことをしでかしているわけだが。
そういった輩というのは、最初は超優しい。
優しいのだが、後から鬼畜外道の如く豹変し、自分の利益達成のためにその者の運命をめちゃくちゃに狂わせるのである。
ということを考えてみると、今この三人家族が俺を無条件で受け入れてくれているのには何か裏があるのではと勘ぐってしまうのも致し方ないのではないだろうか?
これが本当の親切心で、マジのガチの本気で俺を受け入れてくれているのであれば、あとから罪悪感コース一直線であるわけだが。
でも、警戒するよなぁ。
ってことで、緊張しまくって急に腹が痛くなったし、うまく声が出ずに棒読みで会話に対応している状態な俺なのであった。
逃げようにも、逃げられないし。
逃げたらまあ十中八九追いつかれるだろう。
逃げの一手はなしだ。
俺は、ここで何とかこの状況を乗り越えなくてはいけないのだった。
「おいおいお前さん! もっと食べろ食べろ! 倒れてたんだからいっぱい食べなきゃ体力だって回復せんぞ!」
「は、はぁ……」
背中バシバシ。
「食事は人間の三大欲求を満たしてくれるもので、その欲求が満たされれば自然と心も落ち着いてくるものよ。体力も回復するし、私からももっと何か食べることをおすすめするわ。拒食症ってわけでもなさそうだしね」
「ま、まあそうっすね……」
そんなマリアさんの優しい声掛け。
そして大男による背中バシバシ。
てかさっきからダゴラスさん、俺の背中叩きすぎじゃね?
太鼓じゃないんだぞ俺の背中は……
ダゴラスさんの声が快活なものからやかましいものへ性質をチェンジする中で、相変わらずスー君はスー君で俺に興味津々で話しかけていた。
「ねえねえ、お母さんの料理おいしい?」
「お、おいしいよ」
「どれがおいしい?」
「……これかな?」
そう思って指さしたのはステーキである。
安直なチョイスと言えばその通りだが、素直な感想でもある。
「そうだよね、そうだよね。えっへん」
母親が作ったもののはずだが、スー君本人が作ったかのような自信満々の態度である。
でもまあこういう母親自慢したい子どもって人間の世界にもいるよな。
「そういえば、これって……何肉?」
「気になるかしら?」
「まあ、気になります」
「人肉よ」
「……」
上げて落とされた気分になった。
「冗談よ! 普通に牛肉よ。あなた、いいリアクションするわねぇ」
「そんな冗談にも引っかかるとは、そんなに緊張してんのかお前さんは!」
まーじーで、ビビった……
いやだって悪魔から人肉のワードが出たらあかんでしょ。
冗談に聞こえない。
デビルジョークは心臓に痛みをもたらすようである。
にしても、牛肉か……
「何気に牛ってこの世界にもいるんですね」
「そりゃあなぁ。というか人間の世界にも牛はいるんだな」
「まあ」
「うまいんだろうなぁ。一回食べてみたいもんだ」
「人間の世界に行けるようなことがあるなら、ぜひ」
「そうだな!はっはっはっ!」
元気な人、じゃなくて元気な悪魔だなぁ。
「そうだ、人間の世界の色々なことを教えてよお兄ちゃん」
「いいわね! 人間とこの世界で会うなんてまずないし、色々と聞きたいものだわ」
息子と母の二人の同調に、父親もますますヒートアップである。
ちなみにダゴラスさんは、アルコールらしきものを一口も飲んではいない。
シラフである。
シラフでこれか。
「……そもそも、俺が別世界から来たってことはもう分かってる感じなんですね」
「ああ、この世界に人間はいないしな。地獄に人間がいたら、それは別世界からやってきた者だけだよ」
「他に、俺以外に人間はいるんですか?」
「いないよ。断言できる」
断言されてしまった俺であった。
「まあそんなにしょんぼりするな! 運がよかったぞお前さんは。何せ俺たちの家にやってきたんだからな。世界一安全な場所だ」
「そうそう! あんぜんあんぜんだよ!」
そして二人から背中をバシバシバシバシ。
しつこいなぁとは思いつつ、感謝の気持ちが芽生えてくる。
考えてみれば、この家族からしたら得体の知れないやつなのである。
そんな俺を……海岸に打ち上げられていたらしい俺を助けてくれただけでなく、こうして食事も提供してくれている。
人間の世界でも、こんなことは中々ないだろう。
この家族には恩がある。
しかし、怖い気持ちがあることもまた事実だ。
一見矛盾した感情だが、それを同時に内包するのが人間というめんどくさい生き物である。
この家族が俺に何かを要求してくるのなら、出来る限り答えねばと思う。
一方で、悪魔だから命を差し出せとか言われかねない可能性も考えている。
これが俺の偏見であるのかどうなのか。
なら、どうする?
どうしたら良いのか?
「なんで、俺を助けようと思ったんですか?」
唐突であったが、家族の会話を遮って聞いてみる。
相手の態度は至って善人だが、しかし悪魔……
結局はそれで俺は突っかかってる。
サリアと出会ってから疑問だらけだ。
キリがない。
見慣れない異形に出会う機会も、これからは沢山あるんだろう。
だからせめて、友好的に接してくれる者には普通に対応しなきゃならない。
今後のためにも。
今のように、外面を堅いもので維持するのではなく、中身もちゃんと伴って。
だから聞く。
真面目な顔で、一番の疑問。
悪魔達とは姿形の違う人間を……
会話を聞くところによると、この世界でただ唯一の人間を。
何故助けたのだろうか?
「……困ってる人を助けるのは普通でしょ?」
当たり前でしょ?みたいな感じでマリアさんに言われた。
まあ、そりゃそうなんだが。
なんて言えば良いのか……
そう思っていると、ダゴラスさんは俺の思っていることを見透かしたように口を開いた。
「お前さんの言いたいことは何となく分かるよ。人間からしてみりゃあ、俺たちは恐怖の対象だろうさ。人間の世界に行ったことがあるやつからも仕事がらみで聞いたことあるしな」
「人間の世界に行ったことがあるんですか!」
思わず大きな声で聞いてしまう。
「俺ではないが、あるよ。理由は色々だが」
悪魔はどうやら人間の世界に行けるらしかった。
人間の世界に悪魔の伝承が残っているが、もしかしたらそういうことなのかもしれない。
ダゴラスさん達を見る限り、現世で伝えられている悪魔のイメージとは全然違うけども。
「言っちゃあ悪いが、人間の心ってのは汚れていることも多い。疑心の念が吹き出すこともあるだろう。酷く暗い気持ちになることもあるだろう」
生前の記憶を俺は失っているから、明確にはそうだと言えない。
だけど、そうだなと心の中で何となく思ってしまう。
「そんな中で俺達の世界に来たんだ。なんでお前さんを助けたのかって疑うのも当然の話だ」
図星だった。
当たってるよ、ダゴラスさん。
「……はい」
「お前は正直だなぁ! まあ俺達は大丈夫だ。 そんな悪い悪魔はここにはいないよ!」
「そうだよそうだよ!」
笑顔でダゴラスさんとスー君も言ってくれる。
人を安心させてくれる笑顔だった。
……何となく、だが。
信じる気になれた。
何となく、とはいい加減に聞こえる言葉っぽいよな。
実際勘みたいなものだ。
しかし、勘は大事だ。
余計な思考が介在しない、自分の本当の意思とでも言うべきだろうか?
或いは、自分が意識しない情報を脳が拾い集め、今までの経験も合わせ無自覚的に判断を下してくれていると言ってもいいかもしれない。
無意識の計算。
自分の意識を介在しなければ、合理的ではないとは言い切れないだろう?
俺は、ダゴラスさん達に対して正直に話すことにした。
さっきまで疑ってたくせに。
でも、俺の無意識はどうやらそれをしたがっている。
好意には誠意で返す。
俺の誠意は正直に、だ。
今はそれくらいしか結局返せるものはない。
失礼なことでも何でも聞いてみよう。
「ダゴラスさんたちは……その、悪魔、なんですよね?」
「そうだよ。お前さんのイメージとは違ったろ」
「……そうですね。最初に目を合わせた時ビビっちゃいました」
マリアさんに目線が合うと、にっこり微笑み返してくれた。
よく見れば、端正で美しい顔をしている。
だからというわけでもないが、笑顔がとても素敵である。
「はっはっはっ、そうだろそうだろ! こんな怖面じゃあ何説明してもアレだからな。そういう時はこうやってみんなで食べて喋ってが一番だ!」
いきなりテーブルに俺を連れてってくたのは、やはり気遣いだったらしい。
「俺達悪魔は基本険悪な関係や争いを好まない。例外はいくつかあるが、人間も似ようなもんだろそこは」
「悪魔って、平和的?」
「んー……本当に何も知らないんだなぁ。まあ当然と言えば当然だが」
またしてもダゴラスさんは、俺の心境を察しているような顔をして話した。
「そもそも、この世界で同族同士争うってこと自体が意味のないことだったりするから、平和とかそれ以前の話だったりするんだよな」
強調して言われると、その言葉は深い意味を持っているのだと無意識に気付く。
だが、その言葉の真意は分からない。
そんな様子の俺を見て、ダゴラスさんは口を開く。
「それ以前の話……?」
「気になるみたいだな。興味ありか」
「そりゃあまあ」
「じゃあ俺が講釈を垂れない程度に教えてやろう!」
聞けるというなら、ぜひ聞いとくべきだろう。
恐らく彼から聞ける話というのは、有益な類の話だろうから。
それに、天使であるスティーラから聞いた情報だけでこれから生きていけるかと問われると、それは無理な話である。
いくらなんでも情報が少なすぎるのだ。
この世界について、俺は何も知らなさ過ぎるのだ。
知らぬ赤い海を見て、赤い月を見て、悪魔を見て、改めてそう思う。
「お願いします」
俺は椅子に座りなおしてそう言った。
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