第2章 地獄篇 ラース領辺境

第5話 黄昏の空、黒い雲、そして赤い海

 風を切る音がする。

 鼓膜に突き刺さるような鋭い音だ。


 せっかく気持ちが良かったってのに……

 何だっていうんだ。

 何故そんな音がするのか気になって目を開けてみた。


 ……俺は空中にいた。

 しかも下に落ちていた。

 黄昏に輝く空の中で、黒い雲を横切りながら。

 

 「スウウゥゥゥ……」

 

 勢いよく肺に空気を溜め込む。

 そして吐く。

 声を乗せて。

 高らかに。


 「嘘だろぉ!!」


 やばいやばいやばいやばい!

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!

 なんで落ちてるんだよ!


 どうして?

 分からない!

 分からない!!!!

 

 思考がまとまらない!

 死ぬことしか考えられない!

 死んでしまう!


 「死ぬうゥゥゥゥゥ!」


 本能からの絶叫。

 脳からの危険シグナル。

 目の前の世界が、俺を待っていた。




 ---




 色々叫んでいるうちに落ち着いた。

 いや、パニックは抜けて切っていないが、さっきよりはまだマシである。


 少なくとも、もう死んでるのにどうして「死ぬうゥゥゥゥゥ!」なんて言ったんだろう……と、思える程には回復していた。

 人様には見せたくもない醜態。

 一人だから別にいいんだが。

 

 これだけ叫び続けても、一向に大地にダイレクトアタックするような展開になっていない。

 これは相当な高さだろうなと思う。

 一体何メートルの高さから落ちているのやら。


 とりあえず。

 落ち着いたらまず先にすること。

 状況の確認だ。

 まず、下を見るのだ。

 

 空気が顔にあたってついつい上を向いてしまうのを、グッとこらえる。

 顔だけではなく、眼球も下の方を見るように動かす。

 顔が風に当たって痛いが、ここは我慢だ。

 そうして俺が見た景色。

 それは海だった。


 見渡す限りに広がる海があった。

 ただし、地球にあるような青い海ではなく、赤色の海。

 血を半透明にしたらこうなるような色をしていた。

 邪悪な血色の海。

 

 見て思う。

 とりあえず、落下の衝撃でどうにかなるのは避けられそうだ。

 ひとまずホッとする。


 ……次だ次。

 状況は動き続けている。

 思考を切り替えなければ。

 

 自分自身に注意喚起を促したところで、さらに注意深く下を見てみる。

 真後ろを見るために半回転。

 すると、なんと巨大な大陸が視認できた。

 

 島ではなく、明らかに大陸。

 森や山脈が広がっているのがここからでもよく分かる。

 かなり険しそうだ。


 山脈のそのまた奥を凝視してみると、平原のようななだらかな土地があり、街のような小さな光が確認できた。

 これが、俺の見える今の全てであった。


 俺は落ちながら考える。

 これからどうするか。


 海に落ちる。

 それは確定だ。

 地面に落ちたら間違いなく俺は無事じゃすまない。

 死んだ後のこの状況で、さらに死ぬのかどうかは分からないが、あえてリスキーな選択肢をとる必要性はないだろう。


 問題なのは、海のどこに落ちるかだ。

 泳ぎ疲れて海の底なんて展開にはなりたくないから、陸地に上陸できるような岸辺の近くがいいに決まっている。

 ……俺のちょうど真下だった。


 巨大な大陸。

 実際に人がいるかは分からない。

 実は無人島なのかもしれない。

 というか人ですらないかもしれない。


 けど、誰かいるかもしれない。

 助けてもらえるかもしれない。

 反対に襲われるかもしれない。

 ここはサリアが言うに、地獄なんだろ?

 どんな奴がいるかも分かりやしない。


 地獄なんてロクなものじゃない。

 俺に限らず、人間みんなそう思うだろう。


 そして、大陸に広がる森や山脈。

 現世では多くの動物が山に生息している。

 人を襲うタイプの動物も数多くいるし、場合によっては命の危険すら覚悟しなくてはいけない。

 いや、もう死んでいるから命の危険とかおかしい言い方ではあるのだけども。


 地獄に動物がいるのかはまだ分からない。

 だけど、もしいるのだとしたら、それもマズイ。

 動物に襲われて対処出来るような武器とか持ってないし。


 映画館では、サリアに扉を目指せと言われた。

 けど、こんな広大だとどこに扉があるかも分からない。

 誰かに聞く必要がある。


 街の光が見える場所。

 どんな奴が出てくるかは確かに分からない。

 でも、俺はその得体の知れない奴らに頼る必要があった。


 クソッ、こんな広大な世界から扉を探せなんて、無茶にも程があるだろ。

 そもそも、こんな高度から落ちるなんて聞いてないし。

 落ちるかどうか最初に教えてくれてもいいだろうに。

 飛行石ぐらい持たせてくれていいんじゃないか?

 まったくもって不親切な魂のパートナーである。

 

 ……考えても仕方ないことだった。

 とりあえずやることは決まったな。

 決まったんなら話は早い。

 そして俺は即座に考えたことを実行したのだった。

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