第3話 出発

 話しを終えた後、サリアは俺を席から立たせ、先程まであった扉の場所へ。

 現在、俺の先をサリアが歩いている。


 いよいよ地獄に行くんだろうか。

 短い距離だが、長い距離を歩いているように感じる。

 これはあれだな、相対性理論。

 嫌なことに対しては時間が長く感じ、嬉しいことに対しては時間が早く感じるものだ。

 一旦意識し始めると心拍数がどんどん上昇し始めていき、手がつけられない。

 ああ、緊張してきたぞこれ。


 行くことはもう決まっている。

 覚悟も……まあ決めた。

 なのにこうだ。

 俺の心臓は言うことを聞いてくれない。

 俺の体の中で、別の生き物が生きているかのような気持ち悪い感覚。


 ふと思った。

 俺、心臓があるのか。

 試しに胸を抑えてみる。

 確かに、胸を抑えた手から鼓動が伝わってくる。


 死んだのに心臓を俺は持っていた。

 しかも動いている。

 すごい身近にあるから今まで気付かなかったぞおい。


 「なあ、サリア。ちょっと聞いていいか?」


 立ち止まって、彼女に聞いてみることにする。


 「俺、死んでるのに心臓があるんだけど。どういう事なんだ、これ。しかもちゃんと動いてるし」


 もしかしたら俺が死んでいることは嘘で、これは何かタチの悪いドッキリだという考えが一瞬よぎる。

 さっきの超常現象や、天使の頭に浮かんでいるヘイロウは、何かのトリックなんだと。

 そうであって欲しいと。

 一方で、そんなことは多分無いだろうということも分かっていたのだが……

 サリアは歩みを止めると、俺の方に向き直る。


 「あなたは、特別ですから」

 「特別?」

 「魂の形は現世での肉体の形と同じです。死んだ直前の体を魂が再現したもの、それがあなたです。だから、心臓があるし、他の臓器もある」

 「だから緊張したりしていたのか、俺は」

 「しかし、大概の魂は地獄につくまでに削り取られる記憶と共に形を変えていきます。脳も心臓も別の形で再形成していきます」

 「でも俺、ちゃんと人間の形をしてるんだけど……」

 「だから特別なのです」

 「どう特別なんだよ?」

 「言えません」


 ピシャリ、だった。

 彼女の中で、言えないラインが明確に決まっているようだ。

 一体どういった基準なのだろう?

 そこに悪意があるわけではないみたいだが……


 「俺、魂だけの状態って中身が何もないのかと思ってた」

 「あなたがこうやって言葉を話しているのも、脳があるおかげでしょう?」


 確かにそうだ。

 脳がなければ話すことも、歩くことも出来ない。

 脳があるからしっかりと体が動作するのだ。

 脳がなければ何も出来ない。

 意思なしに動く臓器はあるんだろうが、結局外界への干渉は何も出来ない。


 「それじゃあ死んだ直前の体を再現ってことは俺、結構若く死んだんだな」


 自分の腕を見る限り、シワのない筋肉質で健康そうな感じだった。

 切り傷や火傷の跡が多いは多いが、それらの傷を除けば普通の健康的な腕だ。

 残念ながら自分の顔を見ることはできないが、少なくともそんなに歳をとっていないことは分かる。


 「……」


 しかし、彼女は何も答えてくれなかった。

 あれ、なんか気分を害したか?

 言えないんじゃなくて、無言ってことは彼女の気を悪くしたってことなんだろうか?


 サリアはまた前の方に向き直って先を歩き始めてしまった。

 なんか気まずいんですが?

 いつの間にか、心臓の高鳴りは収まっていた。




 ---




 銀色の扉のあったところまで来ると、今度は彼女の方から話しかけてきた。


 「この扉、文字が彫られているのを見ましたか?」


 いきなり変なことを聞いてくるな。

 銀色に鈍く輝くこのドアの中心

 そこに掘られていた言葉、それは……


 「確かステラ、とか書いてあったと思う。英語で」

 「stella(ステラ)は英語ではありません。イタリア語です」


 普通に間違っていた。

 馬鹿丸出しである。

 恥ずいっす。


 「その調子だとstella(ステラ)の意味も忘れてしまったみたいですね」


 心なしか、サリアはちょっとだけしょうがないなと思ってそうな表情をしていた。

 心なしか、遠い目。

 何かを思い出しているような、そんな感じ。


 「stella(ステラ)とは星という意味です」

 「星?」

 「そうです。星の扉に掘られたこの言葉は、あなたにとって、そして私にとって大切なものです。よく覚えておいてください」


 そうか、大切なのか。

 なんで大切なんだ?


 「なんで大切なんだ?」


 心に思ったことをそのまま口に出して聞く。

 ちょっと単純だなとか思ったのはまあどうでもいいことだ。


 「思い出だからですよ」

 「誰の?」

 「あなたと私の」

 「……初対面ではないって言ってたよな、俺とお前」

 「ですね。あなたが忘れているだけで」

 「前はどういう知り合いだったんだ?」

 「それは自分で思い出すべきことですよ」

 「それも教えてくれないのか?」

 「答えは、すぐに得ようとしない方がいい。自分で探した答えと、簡単に得た答え。どちらを持っているかで、あなたの行く先が大きく変わっていくでしょうから。これはどんな人間にも言えることですよ?」


 合理主義者には納得のいかない返答だろう。

 何もかもが曖昧過ぎる。

 でも、俺は不思議とその答えに納得していた。

 理屈ではない。

 俺、多分合理主義ではないな。


 「地獄はこの星扉の先です」

 「……ああ」

 「心の準備がよろしければ、どうぞ」


 簡素な言葉が返ってきた。

 なるほど、俺の気持ち次第か。


 心の準備。

 今ここで考えても、延々と迷う気がする。

 こういう時は深く考えず突っ込んだほうがいい気がする。


 直感だ。

 いい加減な考え方だ。

 考えてすらいないかもしれない。


 でも、記憶も何もないのに、自分が何者かも分かっていないのに、自分の何を根拠にして決断すれば良いのだろうか?

 覚悟はしたつもりだが、それはきっと何となくでしかない。

 結局、直感で行くしかないだろう。

 身をゆだねよう。

 自分を信じて。


 「行くよ。また会えたら会おう」


 別れは簡素である方が良い。

 銀色の扉を押し開く。

 金属質で重い印象を漂わせていた扉は、思いのほか軽かった。


 ドアの先は光でいっぱいになっていた。

 目を細めなければ、まともに直視出来ないほど光で溢れている。

 すごく強い光だった。


 光に向かって手を伸ばす。

 変な言い方だが、光に触れているのがよく分かる。

 光はとても暖かく、とてもこの先が地獄だなんて思えないくらいに神聖だ。


 不安なんかとっくのとうに吹き飛んでいた。

 心を洗ってくれるかのように、光は俺の体を包み込んでいく。

 どうやら待ったなしらしい。


 光から目をそらすかのように、もう一回彼女の方を見る。

 サリアは、はっきりとした微笑みを見せて口を開いた。


 「またあなたと会う時を、私は楽しみにしています」


 その瞬間俺は光に包まれ、視界が真っ白になった。

 

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