第2話 四神世界

「まず、聞いておきたいのですが、ここがどこか検討はつきますか?」


 天使……いや、サリアが俺を椅子に座らせたあと、彼女も隣に座って質問してきた。

 彼女との距離が少々近いが、気にせず続ける。


 ここがどこか、か……

 まあ大体検討は付いている。


 「俺は死んだんだから、あの世にいるんだろ?」

 「その通りなのですが、あなたの想像していたあの世とはイメージが違いますよね? ここ」

 「そうだな、あの世がこんな映画館だとは思わなかったよ」


 素直な気持ちを述べておく。


 「厳密言うと、ここはあの世ではありません」

 「……んあ?」


 ここはあの世じゃないのか?


 「ここはあなたの記憶を具象化した場所です。死後の世界は、銀色の扉の向こう側です」

 「記憶を具象化?」

 「生前あなたの見た世界そのままをここは再現しているということです。あなたの心をそのまま写した場所がここなのですよ。いきなり地獄に放り出されても嫌でしょう?」


 にしても、何故映画館?

 何かとてつもなく感動する映画をここで見て、すごく記憶に残っているとか?

 いや、それよりも……


 「俺は地獄に行かなきゃならないのか?」

 

 地獄という言葉が嫌に耳に残ったので聞いてみる。

 いや、聞かなきゃならないだろう。


 地獄ってあの地獄だよな?

 生者であるうちに、悪を犯した者が死後に行く場所。

 霊魂が厳しい責め苦を受ける世界。

  

 「やっぱ俺って生前何か悪いことをしたのか?」


 俺がもし、生前に悪いことをした犯罪者か何かだったらちょいショックだ。

 しかもそれが原因で地獄に行かなきゃいけないとしたら……それこそ地獄。

 気分はもうメランコリー。

 八つ裂きにされたり、焼かれたりするんだろうか。

 あるいは水責めや、皮膚をはがされたり。

 永遠に近い時間そこに縛られ、苦しめられるのだ。

 想像するだけで吐き気がする。

 俺がしかめっ面を顔に出すのを見た彼女は、話を続ける。


 「生前あなたが何をしたのか、記憶はありませんね?」

 「……ああ」

 「あなたはその失くした記憶を取り戻さなければいけません。そのために地獄へ行くのです」

 「はい?」


 何だって?

 地獄に行って記憶を取り戻す?

 何故?

 記憶を取り戻すことには同意する。

 だが、そのために地獄に行くのは何か違わないか?

 むしろすべての事情を知ってそうな彼女が、俺の生前を教えてくれればいいだろう。


 「お前、というかサリアが俺の生前ことをここで話してはくれないのか? そしたらここで思い出すように努力するからさ。なんでわざわざ地獄に行くんだよ。俺は地獄なんかに行きたくないよ」


 正直に話した。

 地獄に行きたくないことを。

 もしかしたら考慮してくれるかもしれない。


 でも、本当はわかってる。

 俺に拒否権はないんだろう。

 人知を超越していそうな存在に、ただの人間が意見なんて出来ないだろう。

 でも、言うだけは言ってみた。

 ものすごい低い可能性でも、完全に希望を否定してはいけない。

 天使ならば慈悲だってくれるはずだ。

 某宗教を信じるのであれば、だが。


 「残念ながら、私はあなたについての全てを話すことができないのです。これはあなたに課せられたルールであり、私への縛りです」


 さっそく希望は打ち砕かれた。

 短い希望だったな。

 思わず俺は目を伏せる。

 オヤジ特有の嗚咽を漏らしたい気分である。

 うぇっ、うぇっ。


 「あなたが自分の意思で地獄へ行って、自分の記憶を取り戻さなければいけない。それがルールです。しかし、あなたが地獄に行くことは救いの始まりでもあるのですよ?」


 悲観的になっていたら、意外な回答が返ってきた。

 救いがあるらしい。

 なんかどこぞの嘘くさい宗教指導者みたいな物言いだが……

 地獄で永遠に苦しめられるわけではないのか?


 「あなたが思っていることは分かります。地獄は人が拷問を延々と受け続ける場所などと思っているのでしょう?」

 「違うのか?」


 違うのだったら、地獄とは一体どんな場所なんだろうか?


 「どこから説明したものでしょうか……」


 サリアが悩ましげに目を細めると、次にこう言った。


 「では、まずこの世界について簡単にお話しましょう」




  ---




 サリアの教えてくれたことをまとめよう。


 俺が今まで生きてきた人間たちの暮らす世界。

 なんと、それ以外にも三つの世界が存在しているらしい。

 地獄、煉獄、天獄……そこに加えて辺獄と呼ばれる人間の世界の四つ。


 死んだ者はまず例外なく地獄に落とされる。

 煉獄や天国には行けないのだという。

 例え、生きているうちにどれだけの徳を積み重ねようとも、絶対に地獄へ来るようになっているのだそう。


 悪人でも善人でも誰でも地獄へ落ちていく。

 地獄に落とされると、全員記憶を失う。

 地獄に落ちる際は、魂がどんどん削れていってしまうのだが、魂は本能的に自分の身を守ろうとする。

 だがどんなに必死に守っても、削れるものは削れていってしまう。


 だから、魂を存続していくのに必要のない記憶を盾にして、落ちていく。

 だから、地獄に来た者は記憶を失っている。

 だから、俺は何も覚えていない。


 そして地獄には扉がある。

 破壊不可能の超常物体。

 扉の先は、また別世界が広がっている……らしい。

 恐らく、煉獄か天獄だろう。

 サリアは詳しく話してくれない。


 扉を潜り抜けると、試練が待ち受けている。

 自分の人生を問う試練だ。

 ちなみに、扉の試練に失敗するとどうなるのか聞いてみた。

 そうしたら、トンデモなことが聞けた。

 なんと、試練に失敗したらその時点で魂が転生されるらしい。

 

 輪廻転生というやつだ。

 魂がまっさらな状態になり、また人間の世界で新しい生を受けて生きていくのだ。

 魂は循環していたのだ。

 輪廻転生という部分だけを聞けば仏教的な世界観だが、今目の前にいる奴は天使であるので世界観がごっちゃまぜである。


 しかしここで一つの疑問が俺に生まれる。

 ……転生先って人間だけだよな。

 間違っても虫だとか、魚だとか、あとわけの分からない生き物に生まれ変わるわけじゃないよな。


 恐る恐る聞いてみたら、サリアは何も言わなかった。

 納得がいかない……

 いや、逆にそれでいいのかもしれない。

 知らぬが仏。

 知らない方が良いこともある。


 まあとりあえず、地獄に来たらやるべきこと。

 それは、扉の試練を超え、別世界……煉獄や天獄への道を進んでいくということ。

 サリアが教えてくれたことをまとめると、そんな感じだ。




  ---





 「なにか他に聞きたいことはありますか?」


 一通り説明し終わり、一息ついたみたいな表情のサリア。

 おいおい、まだまだ聞きたいことがいっぱいあるんだが?

 疑問が不完全燃焼だ。

 ということで聞いてみた。


 「こんなルールを作ったのは誰なんだ? 神様か?」

 「言えません」


 ……バッサリやん。

 即座に拒否された。

 聞きたいことがあるかと聞かれたから質問したのに、拒否されるとはこれ如何に?

 まあいいや、聞きたいことは他にもあるし。


 「天獄がゴールみたいなことを言ってたけど、たどり着いたら何があるんだ?」

 「言えません」

 「というか天獄ってどんなところなんだ?」

 「言えません」

 「扉の試練って具体的に何をするんだ?」

 「言えません」

 「じゃあ地獄ってどういうところなんだ? 結局説明に出てなかったけど」

 「それは、これからすぐに分かることです」


 まともに答えが返ってこなかった。

 最後に至っては意地悪みたいに聞こえる。

 この天使は俺を助けたいのかそうじゃないのか……

 けっ、そうかい、そんなに言えないのかい。

 俺のお先はあまり明るくないようだ。


 地獄とやらに行く前に、出来るだけ情報を聞きたかったんだが……

 というか俺がなんで天獄に行くことを目標にするのか明確な理由も分からない。

 理由も分からないまま行けってか。


 「なんで言えないんだよ」


 試しに少しだけ強気に言ってみる。


 「すみませんが、それも言えません」


 むむっ。

 彼女の言葉に変化は見られない。

 表情も穏やかなままで、俺に恐怖心は抱いていない様子だ。

 そりゃそうか。

 ただの人間如きに天使が恐れるわけはないわな。


 しかし、やっぱり言えないものは言えないらしい。

 だけど無理に聞き出そうとしてもなあ……

 天使に見放されるとどんなことが起こるか分からないし。

 この先何があるのかも分からないんだから。

 味方は多ければ多いほどいい。

 ここで敵は作れない。


 こんな性格だが、仕方がない。

 これが俺なんだろう。

 死んだ後になってまで、自分を偽る気にはなれない。

 記憶を失っている状態で、本当の自分も何もないかもしれないが……今は少なくともそう思う。


 「サリアは、この先俺についてきてくれるのか?」


 本音だった。

 一人で行くのは心細いんだ。

 ついてきてくれないというなら仕方がない。

 一人で行くさ。

 でも、ついてきてくれるのならこんな嬉しいことはない。


 「ええ、もちろん。最初に言ったでしょう? あなたという魂のパートナーだと。ずっと見守っています」


 良かった。

 安心した。

 本当に安心した。

 言葉としては簡素かもしれないが、心の底から安堵したのだ。

 それと同時に、さっきまでの負の感情が嘘のように感謝の気持ちで打ち消されていく。


 もしかしたら彼女は、仕事の役割みたいな関係で、仕方なく付いてくるのかもしれない。

 が、それでも感謝した。


 「ただし、道中会える場所は限られています」

 「ん?」


 あれ?

 最初から最後まで付いてきてくれるんじゃないのか?

 どこに消えた、俺のインフォメーションは。


 「この場所、あなたの心を写した場所ですが、ここから一歩でも外を歩くと、彼岸の回廊にあなたが入るまで会えません」


 「彼岸の回廊?」


 どこにあるんだ、そこは。


 「光が運ぶ記憶の回廊です。私の魔法で創る、一種の中継地点のようなところですよ」

 「そこだけでしか会えないのか?」

 「そうです」

 「どうしてそこだけでしか会えないんだ?」

 「言えません」


 またしても言えないのか。

 いや、いいんだ。

 ついてきてくれないよりはよっぽどましだ。

 そう思って自分で納得する。


 納得し、感謝する傍ら、頭の隅で考える。

 天獄に行こうとしなくては現状が進まないのはよく分かった。

 けど、これ自体は何のためにやるのかはよく分からない。

 何かの陰謀っぽい香りがする。


 でも、結局彼女に従う他はないんだよなぁ。

 これじゃあ脅迫されてるのと何も変わらないね。

 とか愚痴っぽく思ったり思わなかったり。

 さきほどから感謝したり愚痴を心の中で吐いてみたり、なんだか小物臭がすごいな俺。


 「分かった。もう聞きたいことはないよ」


 俺がそう言うと、満足したように彼女は口の端を吊り上げた。

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