第10話 ふたりの決心

 会場の時計が9時になると、メンバーのブースとファンが並んでいるレーンとの境にあるカーテンが一斉に開き、各レーンの先頭に並んでいたファンが、メンバーが待つブースに向かって進んで行き、時間通りに向日葵16の握手会が始まった。

 次々とファンが推しのメンバーの元へ足を進めていくと、会場自体が大きく動き出したかのように見えていたが、何故かルミのブース前のカーテンはまだ閉まったままの状態でいた。

「ルミさんいけますか?」

 ルミの横にいる係員がルミに声を掛けていたが、ルミは何故か後ろを向いて目をつむっていた。

(多分いる、そこにいる。多分・・・。いや、絶対に・・・。)

 大半のメンバーは、握手会の開始前にファンとの境にあるカーテンの隙間から、自分のレーンにどの位ファンが並んでいるのか、のぞき見していたのであったが、ルミのレーンには決まってオサムしか並んでいなかった為、ルミにはそういった習慣はなかったようだ。

「ルミさん、大丈夫ですか? もうカーテン開けていいですか?」

「すみません。お願いします。」

 ルミは大きく目を開き、クルッと振り返って係員に向かって返事をすると、すぐにルミのブースのカーテンが開いた。

「どうぞ。」

 係員が先頭?のオサムに声を掛けると、オサムはその声を聞き全く成長がない感じでいつもと同じ様に驚いて、緊張の具合をドンドン高めながら、かなり上ずった声で返事をした。

「は、はい。」

 緊張しながらも足を進めて行きルミのいるブース内へ入って行った。

「こんにちは!」

 いつもと変わらない元気なルミの声が聞こえてきた。今オサムの前には笑顔で手を差しだしているルミの姿があるのだが、オサムは顔を上げられないでいた為、ルミの笑顔は見えていなかった。

 ルミは手を差し出したまま、もういち度オサムに向かって、1回目より大きな声で挨拶した。

「こんにちは!」

 ようやくオサムもおどおどしながら手を伸ばし、触れているか触れていないか位の感じで、そっと握手のようなものをしながら、いつもの早口でオサムは言った。

「こんにちは。いつも応援しています。お仕事頑張ってください。」

 そして自らそっと握っていた手を放して、そのままルミのブースから逃げるように出て行ってしまった。

「ちょっと、まだ時間あるよ!」

 ルミがオサムの背中に向かって声を掛けたが、ルミの声はオサムの耳には届いていなかったようなのだが、それは決してルミの声が小さいとかではなく、オサムがいつも通りにテンパってしまっていて何も聞こえない状態だった為で、オサムはスタスタ早足でそのままルミの元から去って行ってしまっていた。

「もう! 何!」

 ルミは少し感情をあらわにして、大きな声を出してしまった後、すぐに下を向きながら、誰にも聞こえない位の小さい声でつぶやいていた。

「・・・ちゃん。」

 


 オサムはルミのブースから毎度のことだが逃げるように出てきてしまっていた。

(心臓が破裂しそうだ。あぁ、またまたやってしまった。ルミちゃんの顔も全然見られなかった。どうしていつもこうなっちゃうんだろう。2部こそ・・・。)

 オサムは毎回握手し終わって(実際には握手してるのかどうかわからあい感じなのだが・・・。)ルミのレーンから離れると、こういった後悔を毎度のように繰り返していてた。

(次こそは! しっかり握手するぞ、ちゃんと話もするんだ!)

 毎回のようにそんなことを思ってはいるのだが、それが改善されたためしはなかった。

 今日の握手会は3部制で、オサムは当然、全部の回ルミの握手会チケットを持っていて、もちろん全部の回にに参加するつもりで、ルミを目にするまでは今度こそ今度こそと毎回チャレンジ精神をもってのぞもうと思っているのであったが、それでも実際にルミに会った瞬間すべてが吹き飛んで行ってしまい先ほどの状態を繰り返して終わらせてしまうのであった。

 今日の向日葵16のイベントは握手会が終わると昼休憩をはさんで、ミニライブが開催される予定であったが、そのライブも皆勤賞のオサムは当然観戦するつもりで、もしかしたら握手会よりライブの方がルミとの距離があるので、緊張しないで楽しめるような気さえもしていた。


 そんなチャレンジ精神でのぞんだ2部も安定の玉砕で終わってしまうと、オサムはいち度会場から出て気分を変えようとしていた。残りの握手券は3部の1枚のみとなっていたことで、さすがのオサムもこのままじゃいけないと、より一層強く考えるところがあったようだ。

「何とか普通にできないかな? 何もそんなに頑張らなくていいんだよ。普通に握手して、普通にお話しを楽しめれば・・・。」

 オサムはぶつぶつ独り言を言いながら会場外の広場をひとり練り歩いていた。



 ルミのレーンのファンが途切れたのを見て、係員はブース前のカーテンを閉めた。部の開始時こそオサムしか並んでいないルミのレーンであったが、時間がたつと自分のイチ推し(一番の推し)のメンバーとの握手会を終えたファンが流れてきていて、当然ルミはオサムとだけ握手をしているわけではなかった。

 ルミは置かれていた椅子に腰かけ何かを考えていた。

(もう、この前お店で会った時も変だったし、今思えば握手会も毎回毎回早口で何か言って、すぐ手を放していなくなっちゃうんだから。大体握手する手もなかなか出してこないし! 握手してるのかもわからないし! これじゃ・・・。)

 そんな感じで怒っていたのだが、今回の握手会でオサムに対してルミは何かを考えていたようだ。

(よし、次こそ、次こそ頑張るぞ! 3部こそ!)

 オサムと同様に3部に強い意気込みでルミはのぞもうとしていたのであった。


 オサムはクールダウン?が済んだようで、握手会の会場へ向かって歩き始めていた。その表情にはいつも以上に何か強い決心をうかがわせるような顔をしていたが、会場に入ると表情が徐々に情けなくなっていき、ルミのレーンが見えるところまで来る頃には、いつものオサムの顔に戻ってしまっていた。

 それでも残るは3部のみとなっていたので、せめていつものように3部の開始もまた、ルミのレーンの最前列で待とうとさらに足を進めていくと、今までとは変わった景色が目に入ってきた。

(あれ? 誰か並んでる?)

 

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