第9話 握手会

沙由さゆさん、沙由さん、今日も沙由さんのレーンにファンの皆さんが大勢並んでいて大盛況ですよ。今見てきたんですけど、すごい行列になってますよ。すごいですねー!」

 向日葵16のメンバーのひとり、北乃真理きたのまりが会場をのぞき見して戻ってきて、沙由に報告していた。


美里愛みりあさん、美里愛さん、今日も美里愛さんのレーンにファンの皆さんが大勢並んいて大盛況ですよ。今見てきたんですけど、すごい行列になってますよ。すごいですよねー!」

 ほぼ同時に向日葵16のメンバー紅梅玲こうばいれいが戻って、美里愛に報告していた。

 沙由と美里愛は控室の中央一番奥の椅子に隣り合わせて座ったまま、その報告を受けると満足そうな笑みを浮かべて、そのまま正面の鏡を見て入念にメイク直しをしていた。

 ふたりは時折、お互いを意識してなのか、鏡越しに目を合わせて微笑み合っていたのだが、控室の他のメンバーはふたりのその動きには誰ひとり気付いている者はいなかった。


 向日葵16はグループの名前にあるように総勢16人で活動していたが、前にも述べたようにリーダーの桜志桜里さくらしおりと沙由、美里愛に人気が集中していて、テレビ番組やラジオ番組の出演、また雑誌の撮影や取材もこの3人が中心となっていた。その為その他のメンバーはグループ全体での仕事以外は、この3人といっしょに数名が呼ばれてローテーションを組んで交代で仕事に参加しているといった状態なのであった。

 このことからもわかるように日向坂16はこの3人以外のメンバーは世間からは、ほぼ知られていないといったグループなのでもあった。

 もちろん神宮ルミもその知られてないメンバーのうちのひとりで、特にルミは全員で出演する歌番組でもMCから声を掛けられたこともなく、歌やダンスのパフォーマンスの時も、最後列の端っこにポジションしていて、全体を映す引きの画以外は、テレビの画面から見切れてしまっていることも多々あったようだ。


「そろそろ時間だけど、みんな準備はいいかな?」

 プロデューサー兼マネージャーの大森聡おおもりさとしが声を掛け控室に入ってきた。

 大森はこのグループの結成を企画したプロデュサーであったが、まったく売れていない結成当初から数年は、移動の為の運転手やその他の雑務も行っていたこともあって、結成時のメンバーとは特に強い絆で結ばれていた。

 その大森がリーダーの志桜里にアイコンタクトを送った。


「はい! 準備OK です。」

 志桜里はすぐに反応してまわりを確認し、大きな声で返事をしていた。


「よし、時間通り9時に開始しましょう。それじゃあ、志桜里よろしく!」

 大森から指名された志桜里が立ち上がり前に出て行くのと同時に、メンバーのほぼ全員が、それぞれが座っていた場所で立ち上がった。そしてワンテンポ遅れて、沙由、美里愛も立ち上げり、それを待つようにしてから、志桜里が大きな声をメンバーに向けて掛けた。


「みんな今日も元気出して行きましょう! 笑顔を忘れずに、精いっぱい頑張りましょう!」

「はい!」

 全員が声を揃えて返事をし、それぞれがファンが待つ自分の握手会のレーンへ進んでいった。


 会場は小さい規模ながら結構にぎわっていた。いや、小さいからにぎわっているように見えたのかもしれないが、とにかく会場はそれなりの人で満たされていて、オサムも会場に入って手荷物検査を終えると、いつものようにルミの握手会レーンの先頭に並んでいた。

 先頭と言うと大勢並んでいるように聞こえてしまうが、実際にルミのレーンに並んでいたのはオサムしかいなかかった。

 人気メンバーのレーンは、すでに数十人ほどの行列ができていたのと比べると、その人気・知名度の差は歴然としていたが、オサムはそんなことは気にしてい無い様子で、別なことが気になっていた。


(いつもルミちゃんに会う前は緊張するけど、今日はなんだかいつも以上に緊張する。あんなことがあったからかなのかな・・・、今更だけどこの前のことは現実のものだったのかな、それとも俺の妄想なのかな・・・。)

 先日のことをここでまた思い出し考え込んでしまい、そう思うことで自ら緊張を膨らませて、オサムはいつも以上にドキドキしながら、額から汗を流して握手会の開始時間をひとり待っていた。



 今日の握手会は3部制で1部30分ほどの時間が設けられていた。そもそも握手会というのは、ひとり1回当たり約15秒ほどの時間で会話をしながら、次々とファンがメンバーと握手をしていくのであるが、ファンはその短い15秒間に、自分をアピールする為すべてを掛けるように、レーンに並びながら前日からの入念なシミュレーションを頭の中で繰り返したり、鏡を取り出して時間ギリギリまで必死に髪形を整えたり、メンバーに不快に思われないように、口臭ケアタブレットをバリバリかじったりして、自分の番が来るのを待っているのであった。

 その点においてはオサムはある意味完璧で、ルミに会うときは決まって暗記した同じ台詞を一方的に言って帰っていくし、髪型は気にならないように、毎回ルミの缶バッチがたくさんついたキャップをかぶっていて、口臭ケアは家で食事を済ませた後と会場近くの駅で2回歯磨きをし、今も口臭ケアタブレットを数個まとめて口に入れてかじっていたのであった。


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