第37話 苦難の門出

「さあ。今日から新しい私達向日葵16のスタートです。新メンバーもふたり加入しました。握手会とその後のミニライブ、頑張っていきましょう。」

 いつもと変わらない志桜里の元気な声が控室に響いていた。

「それじゃ、新メンバーに一言意気込み言ってもらおうかな。」

 志桜里は新メンバーのふたりに向かって声を掛けた。

「はい!」

 ふたりは緊張した面持ちで上ずった声で返事をし一歩前に出て、緊張でさらに声を上ずらせながらも元気いっぱいの大きな声で挨拶していた。

 新メンバーの挨拶が行われたことからもわかるように、向日葵16の変化というのは新しいメンバーがふたり加入してきたこと、そして何より今ここに沙由と美里愛がいないことが最大の変化であろう。

 ルミ自身の変化としては、グループ内でのポジションが以前とは大きく変わり、今ルミは志桜里の目の前で志桜里の声を聞いていたのであった。そして志桜里の話が終わると行われる円陣でもルミと志桜里のふたりを中心にして組まれようとしていた。実際円陣が組まれるとメンバー全員が沙由と美里亜愛がいなくなっている事を改めて認識し、表情を固くさせ緊張した面持ちを見せ、多分全員が同じ思いでいたようだ。

(沙由さん、美里愛さんがいなくて私たちだけで大丈夫かな・・・?)

「よし、元気出して行きましょう!」

 志桜里の号令で、緊張し硬い表情をしているメンバー全員が握手会の会場に向かいそれぞれのブース内に入ると、さらにメンバー達の緊張感は増して一層表情をこわばらせて開始時間を待っていた。



 オサムは今回の握手会もいつもと同じく当然のように参加するつもりで会場に向かっていたのだが、今日は何かいつになく憂鬱な気分になっていて、会場に向けて進めていた足をとても重く感じていた。

 やがてオサムは会場に着くと会場の雰囲気に何か違和感を抱いていた。

「木村さーん!」

 オサムの名前を叫ぶ沢田の声は少し離れた場所からであったのだが、オサムの耳にしっかりと届いてきていた。

「はあ、はあ、木村さん、木村さん! やばいですよ!」

 息を切らしながら駆け寄ってきた沢田が言う前に、その違和感がなんであるのかオサムも気づいていたようだ。

「ファンの数少なくないですか? いくら1部開始前と言っても。」

 オサムの元で会場を見回しながら言う沢田の言葉にただ茫然としてうなずいていた。確かに今までの握手会でも、1部の回は朝9時からということもあって、他の部と比べるとファンの人数は少なかったのだが、それでも沙由と美里愛のレーン中心にそこそこのにぎわいがあった。でも今のこの会場には数えるほどの人数のファンしかおらず、誰のレーンにも行列らしい行列はなく、かろうじて志桜里のレーン付近にファン数人が集まっているといったレベルであった。当然ルミのレーンにも誰ひとり並んでおらず、いつもの特等席にオサムは簡単に着くことができていた。まあルミのレーンの場合は沢田を除けば、いつもオサムしか並んでいないのでいつもと同じ光景とも言えたのだが・・・。

 オサムと一緒にルミのレーンに並んでいた沢田が、体を何度もひねりながら会場全体を見回すようにして言っていた。

「これ、本当にやばいですよね? いくら何でもこの人数じゃメンバー達がかわいそうですね。これじゃ握手しに誰にも来てもらえない子がいっぱい出てきちゃうんじゃないですかね。」

 確かに前回までは、沙由と美里愛に多くのファンが押し寄せていて、その他のメンバーもそのおこぼれをもらっていたから、それなりに握手会として成立していたのだと思われるのだが、今回は、いや今後はもう握手会というイベント自体が成立できないのでは、というぐらいの状況になっているように見えていた。それでも会場の時計が9時を示すと、いつものようにメンバーのブース前のカーテンが開いて、握手会が始まってしまった。

 ルミをはじめメンバー全員が会場のその光景を目の当たりにして驚いてしまい、中には涙を浮かべてしゃがみこんでしまっているメンバーもいた。何か全てが停止してしまったような状態で握手会は開始されてしまったのだが、会場全体の人の動きも止まってしまっていた。

 ルミのレーンのカーテンも当然開いていたが、先頭のオサムにまだ声が掛かっていない、周りを見渡し何かを確認してから係員が、ようやく声を掛けてきた。

「ど、どうぞ、先頭の方。」

 オサムは動かないでいた。オサムの視線の先にはルミの姿があって、ルミもオサムが来てくれていることは、カーテンが開いた瞬間にその姿を見ていたのでわかっていたのだが、まわりの異様な雰囲気を感じて会場や他のメンバーの様子を見回していた。

 しばらくの間オサムはルミに視線を向けて、困惑の表情を浮かべているルミと目が合っていたが、その場所から動かないでいた。再び係員も進んで行かないオサムに向かって少し大きな声で声を掛けた。

「どうぞ。進んでください!」

 それでもオサムは動かないでいて、そのオサムの姿を見て不思議に思いながらも再び係員が声を掛けようとした瞬間、オサムはその場で180度回転し、沢田の横をすり抜けレーンの後ろに向かって進んで行きルミのレーンから出て行ってしまった。

「ちょっと木村さん。何やってるんですか!」

 沢田が慌てて追いかけようとすると、沢田に向かってルミのレーンの係員が焦った様な声で呼びかけた。

「えっ? そ、それでは、次の方どうぞ。」

 沢田はオサムを追うのをやめ、ゆっくりとルミの元に足を進めていった。

「こんにちは。」

 沢田はルミのブースに入ると、いつもと変わらない可愛らしいルミの声が聞こえた。

「こんにちは。」

 沢田も挨拶を返してルミの顔を見ていたのだが、前に来た時と比べてその笑顔がどこかぎこちなく思え、あきらかにルミが動揺していたのを感じてしまっていた。

「今日は来てくれてありがとう。今度・・・・」

 何か必死に言うルミの声を遮るように、沢田はルミに向かって声を発した。

「ルミちゃん、木村さん帰っちゃたよ。何があったの?」

 ルミはそんなことに答えられるわけも無く、でもオサムがなんで帰って行ってしまったのかの心当たりも無く無言でいた。

「お時間です。」

 機械的に係員から声が掛かり、沢田はブースの外へ出るようにとうながされていた。

「わからないんです。何があったのか全く・・・。」

 涙声でルミが言うと、ブース前のカーテンは閉められてしまった。

 志桜里は会場の違和感をいち早く察知していた為。係員にお願いして自分の握手会開始を遅らせてもらい、まわりの様子をうかがっていた。その為自分のとなりのレーンのルミのところで起こっていた事の一部始終を目撃していた。

 当然ルミのレーンを逆走して立ち去るオサムの姿も確認していた。

(あれ? あの人って?)

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