第5話 これは夢?

 オサムは動くことは勿論、声を出すことも、とにかく全く何もできずに、すべての思考回路を停止させてその場に立っていた。

「大丈夫ですか? どうかしましたか?」

 その姿を驚きの表情を浮かべて、見ていたルミは、心配そうな顔をして何度も声を掛けていたのだが、オサムの状態に変化はみられず、ルミはオサムに一歩近づいて呼びかけを続けていた。

(ルミちゃん? ルミちゃんだよな・・・。近い近すぎる・・・。)

 オサムの頭の中では色々な事が駆け巡っていたのだが、体は全く反応できずにいた。

「大丈夫ですか? 聞こえてますか?」

 ルミは少し声を大きくして懸命にオサムに向けて声を掛け続けていた。

 すると食事休憩から戻って、ふたりから少し離れた場所にいた店長の西川が、店内が何か騒がしく感じた為その方向に目をやってみると、少女の焦っているような少し大きな声が聞こえてきた。

 西川はすぐに何かがあったのだと思い、急いでふたりの方へ近づいて行くと、そこには、オサムとそのオサムに向かって何かを一生懸命言っている少女の姿を確認した。西川はさらに足を早めてふたりの元まで近づいて声を掛けた。

「お客様どうかなさいましたか? こちらの者が何か?」

 心配そうな顔をしながらルミの顔をのぞき込むようにして聞いてきたので、これにはルミも何か事が大きくなってしまったと驚いてしまい、持っていたオサムの社員証を自分のバッグにしまい込んでいた。

「べ、別に何でもありません。何でありませんから。」

 ルミはまわりを気にしながら少し上ずった声を出していたが、一度深呼吸して気持ちを落ち着かせると西川に向けてはっきりとした口調で言った。

「ただお礼を言いに来ただけなんです。」

 だが西川にはそのお礼というのがどういうことなのかが理解できずにいてた。

「お礼? お礼とは?」

 首をひねりルミに向かって、不思議そうな顔を見せていたのだが、自分の横の動かないでいるオサムにようやく気付いたようだ。

「あっ! 木村さん! 何やってるんですか? 木村さん、木村さん!」


(あー、なんか大ごとになっちゃった。私がちゃんと説明しないと。)

「すみません聞いて下さい。私、神宮ルミと申します。実は昨日・・・。」

 ルミは西川に向けて少し大きな声を出して話しかけ、これまでの経緯を話し始めようとしていた。


(”神宮ルミ”・・・、やっぱり、ルミちゃんだ。本物のルミちゃんなんだ・・・)


 ルミはしばらくの間、西川に事細かく丁寧に昨日の夜にあったことを一生懸命説明していたが、オサムは相変わらずそのままの状態で動けないでいた。

 ひと通りルミの話を聞いて、西川は納得した表情を見せていた。

「そうでしたか。昨日そんなことがあったんですか。でもわざわざお礼を言いにお店まで来ていただいてありがとうございました。私は店長の西川と申します。」

 ルミの話を聞いてから自ら自己紹介すると、すぐに横にいるオサムに向かって声を掛けた。

「木村さんお手柄だったんですね。何だ木村さん、そんなことがあったのなら、さっき食堂で話してくれればよかったのに。」

 そんな西川の言葉にも反応出来ずにオサムはまだ動けないでいた。

「木村さん、どうしてさっきから反応しないのかわかりませんけど、しっかりしてください。」


「パン、パン。」

 西川はオサムの肩を数回叩いた。

「店長? どうしたんですか?」

 するとようやくオサムは反応したのだが、なぜここに西川がいるのか理解できない様子で、キョトンとした顔を見せていた。

「木村さんそんな顔して・・・、事情はこちらのお客様からお聞きしましたので、それならば応接室にお客様をお通ししてください。せっかく来ていただいたので、そこで少しお話してはいかがですか?」

 その西川の言葉でオサムはルミのことを思い出し、ルミの方に目をやったが、まともに顔を見られるはずも無く、すぐに視線をそらしてしまった。

(本物だよな? 本物のルミちゃんだよな? ダメだ直視できない・・・。)

 

「で・す・か・ら! せっかく来ていただいたんで、応接室にご案内してはいかがですかね。聞こえましたか?」

 オサムがそんな状況だとは知らない西川は、何かもじもじして行動を起こさない、いや行動を起こせないオサムに向かってわざとゆっくり言うと、その西川の言葉に反応したのはルミの方だった。

「いいえ、ただお礼を言いに来ただけなので。私はこれで。」

 ルミは頭を下げて断ろうとしていた。

 

(ルミちゃんとふたりで応接室なんかに言ったら、俺は気絶するどころか、どうなっちゃうんだろう・・・?)

 オサムは西川の言った言葉を頭の中で整理しながらも、そんなことを考えてしまい、何かその表情がルミには可愛く見えていたようで、思わず声を出して笑ってしまった。

「どうしました?」

「すみません。なんか木村さんを見てると、可愛く見えてしまったもんですから。」

「可愛いですか? この顔が?」

 西川はオサムの顔を見てつい口に出してしまうと、それを誤魔化すように少し早口でオサムに向かってすぐに声を掛けた。

「木村さん。ほら早くお客様を応接室にご案内してください。」

 実際はその前に言った西川の言葉などオサムの耳には入ってきておらず、オサムは同じ状態をキープしたままで、そのオサムを西川はうながしたつもりだったのだが状況は変わらず、さすがに西川も困った表情を浮かべてしまうと、ルミはその西川の気持ちをを察して口を開いた。

「それでは私お言葉に甘えさせていただいて、少しお話して帰ります。」

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