第40話 置き手紙

「そうはいっても、私だけが知っている話というものもないんだがな」

「なんでもいいんです。あの人に関することなら」


 大将は唸りながら考えてくれていた。どんなに願っても会えないだろう紫織さんのことを、どんなことでもいいから知っていたかった。きっと彼女は、姿を見せてくれないと頭の中では理解していたから。

 その理由までは知れないとしても。


「もし詳しい話を聞きたいなら、女将さんに言ったほうがいい。富士宮さんが最後に働いていたのは、篠崎旅館だからな」

「それ、本当ですか?」

「嘘を吐いてどうする。彼女は少し頑固者で有名でな、旅館の数が少ない東桜の中でも転々として、落ち着いたのは篠崎の女将さんのところだったんだ」


 頑固者という呼ばれ方を聞いて、昔いた会社での彼女の評判を思い出していた。同性からはかなり嫌われていたけれど、男ウケは良かった。そのおかげで出世が早かったという噂が流れるほどに。

 ぼんやりとごまかすように大将は話しているけれど、実際はもっと酷い言われ方をされていただろう。だって、それが紫織さんなのだ。俺が確かに憧れていた、彼女の姿なのだから。


「それでも、長居はしなかったな。もっとも、私が富士宮さんに新地で長居するべきじゃないと伝えていたんだが、なんの連絡もなしにここを去るとは思ってなかったんだ」

「それじゃ、出ていくことは誰も知らないままだったんですか?」

「いや……そういうわけじゃない。少なくとも女将さんは知っていたらしい」


 最後に働いていた場所であるなら、最後の姿を知っている可能性が高いということか。


「ただな、大垣さん。これ以上詮索するのは止したほうがいい。知らないほうがいいことだって、きっとある」



 加奈さんは翌日に仕事があるらしく、居酒屋の前で別れた。昼間の件もあったのでしっかり彼女と話すべきなのだが、今の状態で話してもなんの解決にもならないだろう。

 そのまま、俺は篠崎旅館へと向かった。すでに電話をしているので、今日泊まる準備はできている。そして、先ほどまで聞いていた大将の話のおかげで、女将さんに聞かないといけないことが増えた。

 聞かないほうがいいと言われて引き下がれるほど、俺は素直な人間じゃない。


 俺は旅館に入ったあとで部屋に連れて行ってくれた女将さんにそれとなく今日のことを話してみると、一度下に戻ってあるものを持ってきてくれた。それは白い封筒だった。

 女将さんが裏に返してくれたのでよく見てみると、そこには『富士宮紫織』とはっきり書かれてあった。ということは、これは紫織さんの残したものだということになる。いったい、なんなのだろう。


「おそらく、これはあの子からあなたへの手紙なの。ずっとそのときが来るまでは開けないでと言われていたのだけれど、きっと読むべきなのはあなただと思う」

「どういうことですか? だって、女将さんは俺のことを知らなかったんですよね」


 そう聞くと、女将さんは手で優しく包むようにして持っていた封筒に少し力を加えて、こう返してきた。


「あなた、本当は女の子なんでしょう?」


 その一言で考えていたことが消えてしまい、素直にその封筒を受け取ることにした。裏に返すと、しっかりと封がされていた。女将さんは紫織さんからのお願いを守って、今日まで開けないでいてくれたんだ。


「その手紙の内容を私は知りませんが、富士宮さんがここで働いていたことなら知っています。もしそれでも知りたいというのなら、聞きに来ても構いませんので」


 そう言い残し、女将さんは部屋から出ていった。静かになった部屋には、時計の針が動く音しか残っていなかった。

 鞄の中からハサミを取り出して封筒を開けると、そこには白い便箋が入っていた。文字を見ると、確かに彼女の字だと分かった。

 見た目や言動からは想像できないが、彼女は字を書くのがあまり上手ではなかった。どちらかといえば、かなり独特な字を書く人なのだ。だからこそ、余計に紫織さんが書いたものなのだと、認識せざるを得なかった。


『大垣あすか様


 まずはじめに書く。どうしてこんなところまで来たんだ?もしかして、わたしのことを追ってきたのか?それならかなり面白いぞ、あすか

 だからこそ念押ししておきたい。もうこれ以上わたしに構うのはやめてほしい。それはあすかにとって良くないことなんだ。分かってほしい。そしてごめんなさい。あの日にあすかから逃げてしまったことをわたしは今でも後悔するときがある。でも過去を振り返りすぎるのはよくないんだ。分かるよね?

 あすかがどういう理由で女将さんのところへたどりついたのかは知らないけど、あんまりいい理由とは思えないかな。きっとわたしのことが絡んでると思うから


 あなたはわたしが好きだけど、わたしはあなたが好きじゃなかった。これだけははっきりしておきたい。だからもうこれ以上深追いするのはやめてほしい。もしわたしのことが好きならなおさらやめてほしい

 あすかのことは後輩として信頼していたし、友人としても好きだった。けど、それはあすかの言う好きとは違うよ


 思い出って時間が経つほどに美化されるって話は知ってるかな。あすかだって子どもじゃないんだから分かるはずだけど、すべてのことに意味はあるんだよ。冗談で恋愛ごっこをしていたこともあるけど、あれはごっこだからね

 忘れてとは言わないよ。だってわたしもあすかのことを忘れられてないんだから。でも忘れることを忘れないでほしい。


 雨はきっとあがるよ。


 富士宮紫織』


 手紙を読み終えた俺は、読んでいた便箋に増えていく水滴の跡を見て、ようやく自分が泣いているのだと気づくことができた。

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