第2節 女になった俺

第32話 女になったからとはいえ

 性転化……まあ、平たく言えば俺の場合は女体化といっても差し支えはないだろう。とにかく、その現象が起きてからの生活は、それまでとさほど変わらなかった。


 苦労した点でいえば、おそらく“女”として見られるための工夫をするようになっていたことだろうか。

 女装そのものをあまり経験していなかった俺にとって、自分の格好を女に見えるようにするということが、まるで分からなかった。だからこそ、高校生のときに仲のいい女子から制服を借りて交換し、お互いに異性仕様の制服を着るという経験はあまりに衝撃的だった。

 スカート、短すぎないか……と。ズボン、楽だな……と。


 なんだ当たり前のことじゃないかと聞くほうは思うかもしれないが、それほどに衝撃を受けたのだ。その影響もあってか、私服女装をした当初の服は、圧倒的にスカートを組み合わせとして使うことが多かった。


 そして、かなり驚いたのは、女装をする人の集まりのようなものの存在だった。俺との違いは、女装を楽しんでいるかと極めているかの二点だった。もちろん、遊びとしての女装をしている人もいたので一概にはいえないが、とにかく綺麗なのだ。話していれば声で男と分かるとか、話していても男と分からないとか、いろんな分野の極めている人の集まりだった。

 そこで、俺はある人と出会う。名前すら知らず、そのとき一回だけしか会えなかった。その人から、こんなことを言われたのである。


「君は、私とは違う人だね」

「…それ、どういう意味ですか?」

「だって、君は女の子の匂いがするよ」

「えぇ?!」


 あまりに突拍子のないことを言われたものだから、俺は頭の中が真っ白になり、顔は熱くなっていた。


「そんなに驚かなくていいじゃない。ホルモン剤とか、飲んでたりするのかな。それとも…本当は純女じゅんめだったり?」

「ジュンメ…ってどういう意味ですか?」

「そうだね……純粋な女の子って言えば通じるかな」

「え、えっと…?」


 たばこをふかしながら、お姉さんは俺のあごに手を当てて、不気味な笑みを浮かべていた。目線を逸らしたくなるほどの威圧感に、なんともいえぬ息詰まりすらあった。


「あたしなんかは、女装するのはあくまでも趣味なのさ。普段はそんなことしないし、しようとも思ってない。少なくとも、あたしはね」

「じゃあ、お姉さんは普段男の人の格好をしてるんですか」

「逆だよ。こういうときだけ、女の格好をする」


 不思議に思っていた。趣味のために、わざわざそんな面倒くさいことをしなくてもいいのに、と。俺にとって、女装というのは受け入れないといけない問題であり、解決しないと進めない課題でもあった。だからこそ、余計に理解に苦しんだのかもしれない。


「でも、あなたは違う。そもそも、あなたみたいな若い子はあまりここへは来ないからね」


 ようやく見つけられたと思っていた心の住処は、お姉さんの一言により消えてしまった。またこの不安定さを受け入れてくれるひとを探さないといけない、そんなことを考えていると、俺の心を見透かしたかのように、彼はこんなことを言い始めた。


「あなたは別にひとりでいたいわけじゃないだろう? だからここへわざわざ来た。ここに居場所を求めるのは合わないと思うが、掃き溜めくらいに思っておけばいいんだよ」

「……はい」

「うん。誰からここの場所を聞いたのかは分からないけど、せめてその分くらいの情報は盗んでいけばいい。それが難しければ、あたしに昔話でもしていけばいい。頭の中だけでいろいろ考えていても仕方ないからね」


 なにか話さないと逃してくれそうにない雰囲気にのまれて、俺は口を動かした。思っていることや感じていることを、核心は触れずにさらっとだけ、そのつもりだった。けれど、きちんと話を聞いてくれるお姉さんに俺はいつのまにか心を許していた。

 どうしようもなく受け入れたくない過去の話を、なぜかあの人にだけはスラスラと話すことができた。滅多に自分の話をしない俺だが、お姉さんには上手く話を聞き出す技術があったんだと思う。


「本当にあるんだね、そういうの。でも、話を聞けば聞くほどあたしとはちょっと違うね。本物じゃない異物感とか、世間とはズレてしまった疎外感とか、理解できる部分はある。ただ、あなたは女で生きることになるわけでしょう? スケールが違うわけよ」

「女装をする頻度ってことですか?」

「もっと根本的な話よ。あなたがしているのは、あくまでも女の子が女の子の服を着ているだけ、なのよ。女性服の組み合わせ方が上手くいかなくて分からないとか、そんなこと純女でもよくある話だからね」

「そうなんですか」

「ええ。とはいっても、男のあたしが言っても説得力ないわ。つまりね、あなたはもっと純女さんと話すべきよ。あたしが知っているのは、あくまでも男が女の格好を違和感なくする技であって、それは女の子にとってのファッション上達法ではないの。だから、いずれ女として生きていくなら、初めから余計な知識は入れないほうがいいと思う」


 そのときに言われたことは、ほとんど理解できなかった。ただなんとなく、この人はきっといい人なんだろうなという、ふんわりとした希望はあった。

 女装をするなら女装の人に頼ってもいいけど、女なら純女から話を聞いたほうがいい。そういうことを言いたいんだろうなという解釈をした。


「ちなみに、お姉さんは男の人が好きなんですか?」

「突拍子のないことを聞くね。そうね、好きだよ。というか、現にいるから」

「女の人を好きになったことはないんですか?」


 吸い終わったたばこを灰皿に入れて、彼は深くため息を吐いた。外見はとても美人なお姉さんにしか見えないけれど、ため息を吐くときに見えたお兄さんとしての姿が格好良く見えた。お姉さんは、あくまでも女を装っているだけなんだろうな。


「ないね。男の人と付き合うために、女装を勉強したようなものだから。だから、正直に言うとあなたが羨ましいって思っちゃった」


 どうしようもなく辛そうな瞳は、ずっと遠くのほうを見ていて、俺の存在を忘れてしまったかのようだった。

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