第29話 お迎えにあがりました

「ああ、篠崎しのざきさん?」


 大将が電話を始めて、店内にはその声が響いていた。狭い店なので、それは仕方ないだろう。

 俺は目の前にある焼き鳥を眺めながら、酒をひたすら口に含んでいた。口に入れる前に感じるこの独特な香りが、なんともいえない温もりを感じる。たとえそこに人の温かさはないとしても、この瞬間がたまらなく落ち着く。


「急で悪いんだが、一人泊めてほしい人がいるんだ。そう、今いるお客でな」


 こういうことはよくあるのだろうか。土地柄、ついでに旅館に泊まるというよりも“旅館目当て”で来る人のほうが多そうだが。旧赤線地帯、そしてその後に特別区域として設定されたこの町にとって、おそらくそういった歴史が根強く残っているはずだ。


 電話を切って、大将が帰ってきた。

 先ほどから思っていたが、この人はまったく表情が変わっていない。いわゆる強面というやつだ。ずっと怒っているように見えてしまうので、分かっていないと勘違いされやすいのではないだろうか。


「いいみたいだ」

「ありがとうございます」

「あとで迎えにくるって言ってたから、もうちょっとゆっくりしていきな」


 優しい側面もあるが、顔には出ていない。声のトーンも変化がないので、そういう人なんだろうなという解釈に至った。


 しばらくすると、店の引き戸が軋みながら開く音がした。


「篠山旅館の菜畑なばたけと申します。お迎えにあがりました」

「なばちゃん、久しぶり。お願いしたいのは、このお兄さんだ」


 菜畑という少女は、俺のことを迎えにきてくれたようだ。店の中に入ってくる仕草も丁寧で、かなり練習したんだろうなと思える振る舞いだった。細かい動作が、とにかくゆっくりかつ丁寧すぎていない。ちょうどいいバランスだった。

 その姿はとてもレトロな雰囲気で、いわゆる和装だった。ビニール傘を持っているので、どうやら外は雨が降っているようだ。


「どうも」


 いったい何歳なんだろうか。

 先ほど話していたお姉さんも、俺とほぼ変わりないほどの歳だろうと思えるくらいに若かった。しかし、この少女はそれよりも下に見える。下手すれば、学生さんではないだろうか。


「行きましょうか」

「ええ」

「傘はお持ちですか?」

「いや、持ってないですけど……」

「狭いですけど、一緒に入ってくださいますか」


 菜畑さんは俺と比べると背丈が小さく、明らかに無理をしているだろうと分かるくらいに、腕を伸ばしていた。さすがに申し訳なく感じてしまい、傘をかわりに持つ提案をした。


「あの、傘持ちますよ」

「それは申し訳ないです」

「俺が持つほうが、あなたも無理しないですみますから」

「……分かりました。ありがとうございます」


 傘を持ち替えるときに、菜畑さんとの距離が近づいていた。そして、互いの腕が軽くではあったが触れた。そのとき、顔が俺の手の近くにあったので、思わず当たりそうになっていた。


「あっ……ごめんなさい」


 ふいに彼女の口から漏れたであろう、その『ごめんなさい』という言葉に、俺はなぜか過剰に反応していた。その言い方に惹かれたのか、少女の見た目と一致したので納得したのか。そのどちらにあてはまるのかは、上手く飲み込むことができなかった。

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