第28話 これもきっとなにかの縁

 大将は、俺が注文した焼き鳥を準備していた。一度見ただけで分かるくらいに、素早い動きで串に具材を刺して、焼いていく。惚れ惚れするくらいに、見ていて楽しい光景だった。


「大将、話しかけても平気ですか」


 けれど、俺は楽しんではいけない。旅行客ではなく、あくまでも取材に来ているのだから、仕事をしなければならない。

 なおかつ、少し気分を落ち着かせるためにも、誰かと話したかった。


「ああ、いいよ。…おかわりいるかい?」

「いや、日本酒が欲しいです。熱燗あつかんでお願いします」


 店の中とはいえ隙間風が入ってくるせいか、かなり寒い。特に足元が冷えていた。

 カウンター席の奥に石油ストーブが置いてあったけれど、こちらまで暖気が届いているかは怪しい。そのため、気持ちだけでも温まろうと思い、久しぶりに熱燗を頼んだ。こういうところで出てくる酒は、なぜかとても美味しい。


「はいよ。……お兄さん、意外と渋い趣味してるな」

「そうですか?」

「ああ。てっきり、ビールで景気つけてあとは酎ハイあたりを頼むと思ってたんだが、どうやら違うみたいだしな」

「だって、頼んでも出てこなさそうですし。ビールじゃないほうがよかったので」

「ははは、その通りだ。ここに酎ハイはない」


 明るいのか暗いのかがいまいち分からないな、この人。


 ビールは本来、好んで呑まないものだった。自分のテンションを上げるためか、誰かと合わせるときくらい。俺が好きなのは、ここにはないであろう赤ワイン。

 昔の俺は、酎ハイばかり呑んでいた。ビールなんてものは、呑もうと思ったことなどなかった。むしろ、なんであんなに苦いものを呑みたがるのかと頭を抱えるほどに。

 それが変わったのは、明らかにあの人の影響だった。夜に一緒にいるときは、必ずといっていいほど居酒屋に誘われて、お酒をたらふく呑まされた。そして、俺は『正しいお酒の呑み方』を教わった。お酒に関することに精通しているあの人の言うことは、実に正しかった。

 この酒にはこのツマミが合うとか、あの酒にはこの味付けがあるとか。半信半疑ながらも合わせてみると、それはそれは美味しかった。酔う酔わないではなく、美味しい呑み方があるということを、そこで知った。


 そしてあの人は、生粋のビール好きだった。ただの真似事なのだから、自分でも笑ってしまう。


「なに一人で笑ってんだ? 気味が悪いぞ」

「ああ、すみません。こっちのことですから」


 いつのまにか顔に出てしまっていたらしく、とても恥ずかしかった。俺はすぐに顔に出てしまうタイプなので、きっと今ごろ顔が赤くなってしまっているだろう。しかし、今はビールを呑んでいるので、ごまかせる。とはいっても、もう遅いか。

 そんなどうでもいいことを考えていると、どうやら料理とお酒の準備が終わったようで、大将が盛り付けをしていた。


「お待たせ。焼き鳥と熱燗と、お通しだ」

「ありがとうございます」


 焼き鳥とお通しの筑前煮を咀嚼し、そのままお猪口を口に当てた。これがなんとも合う。組み合わせさえ間違えなければ、お酒は味の相乗効果を生むものだ。


「……それで、話なんですけど」

「ああ、答えれる範囲でならいいよ」

「基本的なことなんですけど、大将はいつからここに?」

「十年ほど前くらい、だったか。いろいろと縁があって、ここで居酒屋をすることになった」

「そうなんですね。てっきり、この周りにある旅館の絡みかと」

「いや、それはないな」

「なんでもいいんですけど、なにか知ってることありませんか。実は、わたしはこの周辺、いわゆる『上崎新地』のことを調べてまして」


 隠す必要はないだろうと判断し、俺はさらに深入りすることにした。根拠はないが、直感的に大将はなにかを識っていると感じたからだ。もし拒否されたら、そのときは素直に退くだけ。

 あくまでも、俺は自分の中のルールに従って動く。進めないと分かったところでは、別の手段をとればいいのだ。


「上崎……あまり聞き馴染みのない言葉だが、最近はそういうふうに呼ぶやつも増えたな」

「ということは、大将はここが『東桜』と呼ばれていたことをご存知なんですか」

「知っているもなにも、その呼び方のほうが慣れてるだけだ。ここらの人はいまだにそう呼んでるよ」

「…つまり、それだけ長いあいだ、ここと関係があるということですか…?」


 それに大将は答えようとはしなかった。おそらく意図的に流したといったほうがいいだろう。さりげなく言った質問に、答える気がまるでなかった。もう一度聞けば返答してくれるだろうけれど、無理に答えてもらうつもりはなかった。せっかくある程度の距離感に立てているのに、それをわざわざ壊すような真似はしたくない。


「それじゃ、私からも一つ聞いてもいいかな」


 予想外の言葉に、俺はなにも言い出せなかった。質問に答えないどころか、質問で応えてきた。

 質問をしたいというよりも、それを聞きたいからこそ、その了解を得るために声をかけた。そう解釈せざるを得なかったからだ。

 そして彼は、ずっとこのときを待っていたかのように、質問をそのまま口にした。


「本当は、なんの情報を探している?」

「……」


 あまりに突拍子のない言葉に、俺は口をパクパクさせていた。

『本当は』とは、いったいなにを指してそういっている。それは言わずもがな、俺がここで取材をする目的だろう。けれど大将は、そんなことはどうでもよさそうなのだ。その先に、なにかをみている。


「さっき言ったじゃないですか。“ここ”の取材をするって」


 意図が汲み取れない以上、こう言うしかない。下手なことを言うと、こちらの感情が筒抜けになりそうだったからだ。

 今のところ、唯一の情報提供者である“大将”と離れるわけにはいかない。なにか繋げられる情報が見つかるまでは、そうするしかない。


「悪いことは言わない。ここからは手を引いたほうがいい」

「それは、なぜ…?」

「世の中には、知らなくてもいいことがあるからだ。特に、お兄さんのような若いやつには…な?」


 額から汗が出ているだろうか。それとも、こめかみのあたりからだろうか。とにかく、冷や汗が出ていることをしっかりと認識できるほどに、俺は混乱していた。この店の大将は、なにかを識っている。

 そして、当たり前だがそれを明かすつもりはないだろう。だからこそ、俺にこの取材をやめるように注意している。


「まあ、とりあえずはそういうことにしておこう。ところで、今日の寝床はあるのか?」


 大将のその言葉のおかげで、俺は現実に戻ってくることができた。


「……いえ、それがないんです。近くのホテルは満室みたいで」

「それなら、ここで泊まっていけばいいだろう。と言っても、俺が泊めさせるわけじゃないから、確認してみるか」


 先ほどまでとはガラリと雰囲気が変わっていた大将に、俺は驚かされていた。まるで狐が化けていたようだ。質問の答えをはぐらかされたことに少し不満はあったが、明日以降もこうして来ることができるのだから、答えを急ぐ必要はない。


「こうして会えたのもなにかの縁だ。相談事があれば来ていいぞ。私でよければ話くらいは聞く。待ってな、ひとまず旅館に電話する」


 成り行きではあったが、俺は上崎新地の旅館に泊まることになった。

 そしてそれは、長期にわたる取材の始まりでもあった。

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