第25話 だって好きなんだよ

 奈々さんとは鮎川駅で待ち合わせをしていた。

 今日行くところは、俺が個人的に毎年来ていて、その都度写真を撮るほどに好きな公園だ。

 こんなことを今思うのは失礼だとは思うが、俺の“好きな場所”を知っていてほしかった。そうするのがせめてもの思いやりだと考えたのだ。


「お待たせしちゃったかな?」


 改札口から流れていく人のかたまりのなかから、一人だけ俺のほうをめがけて進んできていた。白のワンピースにカーディガンを羽織っていて、とてもふわふわとしている。


「いえ、大丈夫ですよ」

「…本当に?」


 奈々さんは身長が高いほうで、俺と比べてもあまり身長差がない。それゆえに、問いかけと同時に目の前まで迫られたときの思わぬ距離の近さに、俺は驚いてうしろにひいてしまった。

 実は一時間前から待っていた。待っているといっても、単純に俺が待ち合わせの時間に遅れたくないということと、今日のことを楽しみにしていたということが理由だった。


「ちょっと怪しいね」

「…ほんのちょっとだけ待ってました。でも、そんなにいうほどの時間じゃないですからね?」

「それじゃあ、結構待ってたんだ」

「どうしてそうなるんですか」

「だって、飛鳥が私に気を遣ってくれてるの、分かるもん」


 彼女は、目が細くなるほどに微笑んでいた。なぜそんなに嬉しそうなんだろうと思ったが、同時になぜそんなに悲しそうにしているんだろうとも思った。笑っているはずの彼女は、どこか悲しげだった。


「そうですか。まあ、そろそろ行きましょう」


 きっと今そのことを言ったって、なんの意味もない。



 電車に揺られて約三十分、公園の最寄りにある鹿屋川公園駅かのやがわこうえんえきにたどり着いた。


「奈々さん、着きました」


 特に話すこともなく、そのまま改札を抜けて外へ出ると、奈々さんが不思議そうにあたりを見渡していた。どうしたのだろうと声をかけてみると、こんなことを言い始めた。


「なんかね、思ってたより静かかも」


 言われてみれば確かにそうだ。桜の時期でかつ比較的大きな公園が近くにあるにもかかわらず、人の気配はほとんどなかった。


「桜の名所ってわけでもないですからね。わたしは好きで毎年来てるんですけど」

「それじゃ、ここのプロだね」

「プロってなんですか」

「うーん。……分かんない」


 よく分からないあだ名をつけられたが、そうしたくなるほどテンションが高いみたいだ。普段とは違う表情を見せてくれる彼女に、正直なところ俺は戸惑っていた。いつもと同じ雰囲気を出せるように、できるだけ前を向いて歩いて行った。


 横断歩道を渡り、公園の入口に着いた。木でできたアーチ状の看板には『鹿屋川公園』と書かれてある。


「わあ。綺麗だね」


 入口からずっと向こう側に、大きな桜の木がある。きっと彼女はそれを見ているのだろう。


「もう桜が散り始めてるね」

「そうですね。早いです」


 公園の中の桜は多少差はあれど、ほとんどが葉桜になっていた。

 風が吹くたびに目の前に舞う桜がとても綺麗で、何度も見たことがあるはずのこの風景に、俺は心を奪われていた。いつものデジカメをカバンから取り出して、写真を数枚撮った。


 ふと隣を見ると、奈々さんは頑張って携帯で写真を撮ろうとしているみたいだが、なかなか上手くいかないようだ。頑張っている彼女のことを茶化すつもりはなかったが、あることに気づいてしまい思わず笑っていた。


「飛鳥、どうしたの?」

「奈々さん、ちょっとこっち来てください」

「うん?」


 彼女の綺麗な茶色の髪の上に、桜の花びらが乗っていた。すごく似合っていて、思わず写真におさめたくなったくらいだ。そんなことを言うとさすがに怒られてしまうだろうと思い、そっと胸の奥にしまった。


「取れました」

「あ、いやだなあ。恥ずかしい」


 奈々さんの顔は、みるみるうちに紅色に染まっていった。二人で寝た夜は、こんな顔見せてくれなかったのに。思えば、こんなにまともなデートをするのは、初めてに近いはず。


「あのね飛鳥、そろそろお腹空かない?」


 奈々さんは持っていたカバンを広げて、中から大きなお弁当箱のようなものを取り出した。


「お昼ご飯というか、サンドイッチ作ってきたの。よかったら食べてくれないかな」


 まさか、奈々さんの手作りサンドイッチが食べられるとは思っていなかった俺は、とうとう驚きを隠せなかった。


「え! 嬉しいです。ありがとうございます」

「どういたしまして。飛鳥の口に合うかどうかが不安なんだけど、どうぞ」


 そう言われ、俺はそっとサンドイッチを手に取って食べた。中には、野菜サンドとたまごサンドが入っていた。

 野菜サンドのほうは、レタスときゅうりのシャキシャキ感が程よく、トマトの甘みが上手く組み合わさっていた。たまごサンドのほうは、いわゆるたまごのペーストではなく、ふんわりとしたたまごがギュッとつまっており、口の中に入るとすぐに溶けてしまうようだった。


「…奈々さん、とてもとても美味しいです!」

「ふふ、ありがとう。そんなに美味しそうに食べてくれると、嬉しいわ」

「普段から作ってるんですか? とても、何回か作っただけとは思えない味なんですけど」

「昔ね、喫茶店で働いていたことがあるの。そのときに頑張って、サンドイッチを作ってたから、それのおかげかも」


 他愛のない世間話に花を咲かせていた。話題が変わるごとに、俺はどれほど奈々さんとこういった普通の会話をしてこなかったのかを思い知らされた。彼女の口から出てくる話のほとんどを、俺は知らなかったからだ。

 そうして気がつくと。いつのまにか午後四時過ぎになっていた。


「どストレートに言ってもいい?」

「はい」

「私、飛鳥のこと好きだよ。恋愛的な意味で」


薄々勘づいてはいたけれど、まともに言われると恥ずかしくてたまらなかった。おそらく、俺以上に奈々さんが恥ずかしいはずだけれど。


「あ……」

「そろそろ、帰ろうか?」

「……そうですね。寒くなってきましたし」


 電車の中は、気まずい雰囲気だった。というよりも、俺が変な気持ちになっていたせいなのかもしれない。勝手に、奈々さんとのあいだに壁を作っていたからだ。

 無言のままの時間が続き、鮎川駅まで戻って来たときには、すでに空は真っ赤になっていた。ついさっきまで青空が綺麗だったのに。


「それで、奈々さん」

「どうしたの?」

「わたし、奈々さんにずっと黙ってたことがあるんです」


 鮎川駅改札口前、集合場所に戻ってきていたがこのまま帰る気持ちにはなれず、あのことを話すことにした。もう言わないといけない。これ以上黙っているのは、違うと思うから。

 けれど、これはきっと俺自身の身勝手さが招いたことだ。自分の中で閉じ込めておくことが辛くなったから、それを共有するなんてのは、どう考えても自分勝手でしかない。そう分かってはいるけれど、吐き出したくて仕方がなかった。


「わたし、元々男だったんです。高校生のときに、ある病気にかかって。それを境にいろいろと変わってしまいました」


 あの当時のことは思い出したくもないし、振り返りたくもない。

 俺はこの『性転化病せいてんかびょう』の数少ない罹患者として、病院で隔離されて生活していたことがある。結果的に女みたいになって暮らしているけれど、受け入れたことをたまに後悔していた。今さら、どうしようもないけれど。


「そっか。……そうなんだ」

「はい。戸籍とかは切り替わっているので、普段は誰かに言ったりすることはないんですけどね」


『性転化病罹患者の性別の取扱いの特例修正に関する法律』

 通称、戸籍特例修正法こせきとくれいしゅうせいほう。この法律ができたおかげで、俺は出生時からまるで女だったかのように暮らせている。訂正ではなく修正なので、詳しい人が見れば分かってしまう仕様なのだけれど、めったなことがない限り他人が自分の戸籍を見ることはないはずだ。


「でも、なんで今になってそのことを私に言ったの?」


 思っていた反応とは違い、奈々さんはあくまでも冷静に、そう質問をしてきた。彼女のことなので、もっと大きな反応をすると思っていたのだけど。どうやら、あまり意外性はなかったようである。

 もしかして、バレていた…?


「あの、これは興味本位の質問なんですけど。奈々さんは、わたしの体のこと知ってたんですか?」

「ううん。そういうわけじゃないよ。ただなんとなく、そう思ったら合点がいくところが何度かあったから。だからといって、私は飛鳥のことを嫌いになんかなれないからね。そもそも、一緒に寝たのにここまであっさりされるとは思ってなかったから」

「……なんかすみません」


 奈々さんが俺のことを本気で好きだったなんて、そんなこと思うはずがないだろう。いったい、いつから好きだったの、奈々さん。


「でもね、もう終わりにする」

「え?」

「桜が散るのと同じように、私もこの気持ちを忘れることにしたの」

「それって……」

「だって、そうじゃないと富士宮さんに申し訳ないわ。行ってあげて? もう…ここまで言えば分かるよね?」


 思考が停止していた。奈々さんは、そんなことを言うために今日のデートに誘ってくれたのか……と。紫織さんと奈々さんの関係を知っているからこそ、余計に胸の奥でなにかがつっかえていた。

 本当に、このタイミングで行くべきなのか。


「早く行きなさい。あなた、私が好きになった人のくせに、しっかりしなさいよ!」

「でも」

「でももなにもない! 思い出話したくらいで諦めるなんて、紫織のことを好きになるの失格だわ。……まだ、今なら間に合うかもしれない」


 俺はそのとき、諦めることを諦めた。

 きっとこのままなにもせずに、奈々さんを抱きしめてしまえば、彼女は抵抗することなく受け入れてしまうと思う。けれど、それを彼女が望んでいるかといえば、きっと違う。

 ここで向かうべきは、紫織さんのところなのかもしれない。


「…分かりました。行ってきます!」


 俺は急いで電車に乗り、紫織さんの家に向かった。最寄り駅に着くと、他人の目を気にしている余裕はなく、ただひたすらに走り続けた。

 アパートに入り、階段を駆け上がってインターホンを数回鳴らした。部屋の明かりはついていないようで、おそらくもう出て行ったあとなんだと思う。ここで待っていても仕方がないので、下に降りた。

 一階にある集合郵便受けのところが、気になっていた。二階にあがるときになにかが光ったような気がしたので、いけないことだとは分かっていたものの、俺はそっと郵便受けを開けてみた。すると、紫織さんがいつも家の鍵に付けていたアクセサリーがあった。


「なんで置いていっちゃうかな」


 最後に届いたメールに書かれてあった紫織さんの電話番号に電話をかけてみたけれど、繋がらなかった。

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