全部
小学生の頃から、他人は他人、自分は自分と割り切れない人たちが、どこか苦手だった。
「だって、あの人は」などという他人に対する妬みや言い訳のようなものを聞くたび、私は憂鬱になった。
自分と他人は圧倒的に違う。
そのことを理解できない子どもたちに囲まれて、私はどこか浮いてしまっていた。
そのことを自覚して、それを少しだけ心配していると母は「あなたは観覧車で生まれたの、だから少し浮いているのよ」と楽しげにくるくると周りながら答えてくれたのを覚えている。
「お母さんはやけにくるくる回るけど、メリー・ゴー・ラウンドで生まれたの?」
「あれ?何で分かったの?」
と不思議そうに首をひねった。
「なるほどなるほど」
なんだ、私が浮いているのは観覧車で生まれたからだったのか。なら仕方がないかもしれない。
「お父さんはどこで生まれたの?」
「お父さんは病院で生まれたのよ」
再び母はくるりと回った。
「なるほど、だから頭がいいんだね」
「病院で生まれるだけで頭が良いなら大抵の人間が頭良いってことになっちゃうんだけど」
そう母はいうけれど、こんな他人にまみれた世界で、浮かずに生きていく術を身に着けている私以外の人物は、間違いなく頭がいいとしか言いようがなかった。
そんな世間から浮いた私は、高校入学する頃にはついに浮ききってしまい、ついに、完璧に客観視ができるようになった
……俯瞰で物事をみつめる自分が出来てしまった。
それを私は、<<ゴンドラ>>と名づけていた。
観覧車で生まれた私にピッタリなネーミングだと思っている。
どんなに楽しくても、どこかでもう一人の自分が冷めた目で私を、その周辺を見下しているのだ。
こんなことを誰に言っても意味が無いし、バカにされることは分かっていたので
「どうしたんですか? 鈴音さん」
鈴音さんというのは、私の名前だ。母が私の名前を決める時に「鈴の音が鳴っていてさらに、うどんを食べていた」という理由で「鈴々(リンリン)」か「鈴音(スズネ)」か「うどん(ウドン)」かで悩んでいて、最終的に鈴音になったらしい。
そしてこのメガネをかけた、同級生は香里奈だ。
唯一打ち明けられることができた友人。
「いや、またちょっと……」
「あ、また他人に比べて浮いているとかそういうこと考えてたんですか?」
「賢いね、どこで生まれたの? 病院?」
「山口県の病院ですよ」
「ういろうが美味しそう」
山口県についての情報がういろうくらいしか無かったので、とりあえず無難に返した。
「あ、鈴音さん、あのドブ川を見てください」
「何かあるの?」
「汚い自転車が浮いてますよ。まるで鈴音さんみたいですね。良かったじゃないですか」
「浮いていたらなんでも私にするのやめてもらえる?」
そう言った時、ふと自分が抜けていくのが分かる。
やはり冷めた自分が、女子高生二人、つまり私と香里奈を見つめていて……馬鹿な会話しているなと見下していた。
「また変な顔してますよ」香里奈がため息を付いた。「そうやって、すぐ変な顔しますよね。はやく変な顔するのやめてください」
「人の顔を変変言わないで……」
結局、今日は一日中<<ゴンドラ>>している自分を拭えずに、憂鬱だった。
「鈴音さん、どうしたんですかそんな顔して」
「まだどんな顔もしてないんだけど」
放課後、香里奈が話しかけてくる。彼女には友人がたくさんいるが、私には友人が香里奈しかいない。
彼女が率先して私に話しかける意味はないはずなのだけれど、それでも私を優先して話しかけてくれる。
「どこか浮かない顔です。クラスで浮いている鈴音さんらしくないですよ」
「やかましいわ」
時々面倒になる香里奈だけれど、ありがたいかありがたくないかで言えば……多分ありがたい。
「今日は実はお願いがあるんです。私の部活来てみませんか?」
「えっと、何部だっけ?」
「文芸部です」
そういえば確かそうだった気もするけれど、香里奈が部活に行くこと自体が珍しいのですっかり忘れていた。
「どうかしたの? 部活なんて普段行かないじゃん」
「会わせたい人がいるんですよ」
文芸部室はとにかく散らかっていたし、何より狭かった。
映画やアニメで見る文芸部の部室は、例外なく広々としていて本が整頓されて並んでいる印象があった。
だけど、ここは、まったく逆。狭く、暗く、散らかっていた。
広さの関係なのか棚が存在せずに、床にそのまま本が積まれていてそれが天井まで続いている。
「はじめまして、君が鈴音さんだね」彼が、香里奈の言っていた会わせたい人だろう。「僕は部長の、葉(ヨウ)と申します」
彼は太っていて、どこか余裕のある優しげな表情をしていた。
「はじめまして、鈴音と言います」
半ば無理やり連れてこられたにも関わらず、香里奈は部室に入る直前に「用事を思い出しました」と言って、居なくなってしまった。彼女に用事があったことなんて今まで一度もないので、おそらく嘘だろう。
「落ち着いた印象を受ける方ですね」
「よく言われます」
ふふっと、楽しそうに笑った。
「どっしりとしていますね。もしかして森ビルで生まれましたか?」
「森ビル……?」葉さんは首をひねった。「それは言われたことないかな……」
「ところで、香里奈にあなたと会うように言われたのですが、何か私に御用ですか?」
「あぁ……それは僕のわがままなんだけど……、あなたと話がしてみたかったんだよね。物事が客観視できるという話を聞いて」
「香里奈が言ったんですか?」
「あら、もしかして内緒だったのかい?」
内緒というわけではないけれど、あまり陰でして欲しい話ではなかった。誕生日会も開いてほしいとは思わないが、私の誕生日に両親が、私抜きで私の誕生日会を開いたことがあり、悲しい気持ちになったことがある。修学旅行中だったので仕方がないらしい。
多分それと同じような理屈だと思う。
「別にそういうわけでは無いんですが」
「聞いてるよ。<<ゴンドラ>>だっけ」
「そうです、どのくらい聞いていますか?」
「えっと、人から浮いていると思ったら、本当に浮いて<<ゴンドラ>>して見ることができるようになった、で合ってるかな?」
「そうですね、というよりどこか冷めた自分が常に<<ゴンドラ>>している。俯瞰で私の周囲を嘲笑っているって感じですね」
言ってみて、恥ずかしくなった。
別に、話の内容自体は事実なので恥ずかしがることは何もないのだけれど、それをペラペラと初対面の人に話してしまった自分が恥ずかしかった。そしてそれを……冷めた自分が嘲笑っていた。
「じゃあ、僕のことを<<ゴンドラ>>できてるってこと?」
「そうですね……意識してあなたを<<ゴンドラ>>して捉えることもできますよ」自分の顔が熱くなるのが分かった「それよりも、葉さん。あなたは、もしかして、私の言っていることを信じているんですか?」
彼は首を横に振った。
「そんな話を、いきなり信用するやつ居ないよ」
「それは……」
思わずうなずいてしまった。
「僕はまだ信じていないけど……面白い話だと思うし疑ってもいない」
「ありがとうございます」
嬉しかった。初めて自分を理解してくれるかもしれない人と出会った気がした。
「じゃあその<<ゴンドラ>>で僕を見てもらえるかい?」
「できますよ」
そう言って、"私の外の私"に意識を集中させる。
小汚い部室に、私が佇んでいた。そして、その正面には太った高校生が居る……はずだった。
そこには花が咲いていた。
赤いチューリップのように見える。イラストレーターで書いたようなシンプルでラインのくっきりとしたデザインだった。
「な、えぇ……! ちょっと! ここに立ってもらえますか?」
「どうしたの急に……」
しぶしぶ葉さんが、部室の中心に立つ。
自分の目で見てみると、どの角度で見ても葉さんは葉さんで、太っていて、おっとりとしていて、優しそうな、普通の人間だった。
花では決して無い。
「いやいや、どうして……どっしりとして……本当に森ビルで生まれたんじゃないんですか?」
「森ビルで生まれた人間なんてそうそう居ないよ。それよりなんで僕の周りをくるくるしてるんだい?」
「私の母は、メリー・ゴー・ラウンドで生まれたのでお構い無く」
「関係あるの? お母さんもどうやら随分ハードな人生だったんだね」葉さんが、小さくため息を吐く。「それよりも、<<ゴンドラ>>のほうはどうだったんだい?」
「花が咲きました」
「え?」
「だから、<<ゴンドラ>>に花が咲きました」
それを聞いて、目を開いてキョトンとしていた。
翌日、文芸部に入部した。
「意外ですね。鈴音さんがこんなあっさり入部するなんて」
香里奈私を勧誘するつもりだったらしいが、翌日に入部したのは予想外だったらしい。
「でもどうしてだい?」
葉さんが首をひねる。太っていて若干首が見えなかったので本当にひねったかは定かではない。
「<<ゴンドラ>>に花が咲いた理由が知りたいからです」
葉さんも香里奈も、何も言わなかった。
改めて彼を見てみると、普通の太った高校生だったが、<<ゴンドラ>>して見てみると彼はやはり花になっていて、しかも昨日より大きくなっていた。
「葉さんは、私の<<ゴンドラ>>に咲く花なんです。観察させてもらいます」
「何言ってるんですか?」
香里奈が露骨に呆れた顔をするのは、成城石井をエッチな言葉だと思っていたことがバレた時以来である。
「とにかく、鈴音さんがどんな花を見ているのか……図書館で一緒に調べてみないかい?」
「は、はい!」
なぜか、びっくりしてしまい声が裏返ってしまった。
「私はちょっとした用事があるんでパスしますね」
そういって香里奈は「ごゆっくり」と付け足して、どこかに行ってしまった。
一週間もすると私は<<ゴンドラ>>ができなくなってしまった。
厳密に言うと、覚めた自分が居たという感覚がわからなくなってしまった。それでもなんとか俯瞰で見つめようとすると、お花畑に支配されている世界が見えるだけだった。
何もかもが花に満ちていて、もう一人の冷めていたはずの私はそれをぼんやりと眺めることしかできなくなった。
「お花畑になりました」
「できることは全部やったつもりなんだけど……」困ったなという顔をする葉さん。「結局よくわかんないことになっちゃったね」
「原因はあなたに葉さんにあるんですよ」
「葉さんがいるから何も見えなくなってしまいました……」
そう言った時、やっと観覧車は私達の番になった。
「おまたせしましたごゆっくりどうぞ~」
どこか疲れた笑みをしたスタッフの方が、私達を観覧車へと招いてくれた。
「こうやって交流を深めることで、私が<<ゴンドラ>>できなくなった理由が分かるかもしれませんよ」
「本当にそう思うかい?」一時間待って少しくたびれた様子の葉さんが、少し困った様子で笑っていた。「まぁ、鈴音さんが満足ならそれでいいんだけど」
「バカみたいですよ」香里奈がため息を付いた。「私がいるの忘れてるでしょ」
「あ、忘れてないって……」
「何が<<ゴンドラ>>ですか、すぐ近くの存在すら忘れちゃって……」
「だから<<ゴンドラ>>は、花で見えなくなっちゃったんだって」
「頭お花畑ってことですよね」
香里奈は呆れたように、だけど少し楽しそうに、徐々に高度が上がりつつある風景を眺めていた。
「結局、恋は盲目ってことでしょう」
その香里奈の言葉に対する否定の言葉が見つからず、視線を窓に向ける。
本当の俯瞰でみる景色は、とても綺麗だった。
ういろう 牧野有 @aliliness
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