「第5章 話すべきか話さないべきか」(6)
(6)
ハッキリと車のスピードが上がったのを直哉は体感した。慣性に従ってシートに体が沈み、緊張と恐怖がブレンドされて直哉を襲う。
「凄いじゃない。私にも教えて欲しいなその方法」
「本当は今日、新藤さんに直接伝える予定でした。残念ながら彼女は来ませんでしたけど」
切り札の効果は抜群。主導権は司を手を離れて、直哉の下へやって来た。効果が持続している間に考えていた事を続けなければ。
「もしかして、新藤さんを転校させようとしてます?」
「あら? よく分かったわね」
直哉の質問に焦る素振りを見せる事なく、司は認めて首を縦に振った。転校させる理由は、大方想像出来る自分と暮らす為だろう。現在、司は他県に住んでいると美結が言っていたし、一緒に暮らすと同じ学校に通うのは困難だ。
まだ高校一年生の一学期。転校のハードルはそこまで高くない。美結の“心読み“が失くなった事で司は手袋を外したし、一緒に暮らそうと思っている。
それこそが美結を縛っている原因なのに。
直哉がそう考えていると、司は何かを観念したように心情を語る。
「……やっと、やっとあの子から“心読み“なんてふざけた病気が消えてくれたの。だから一緒に暮らしたいと考えるのは、親として当然でしょう? 友達と離れるのが寂しいのは理解出来るし、悪いと思ってる。だから一ヶ月に何回かは、こっちに遊びに来てもいいって本人にも言った」
司の想いを直哉は受け取った。受け取った上でああ、もう完全に美結とは合わないんだなと理解する。
「新藤さんに今の、全部説明したんですか?」
「言ったわ」
司の同意に直哉は昨日言われた美結の気持ちを想像した。その影響で思わず涙が出そうになる。美結にとってあれ程、大事にしていた“心読み“は司にとって[ふざけた病気]でしかない。確かに普通ではないし、病気という言い方は間違っている訳ではない。だけど、間違いなく使い方が間違えている。
もっと他にあったはずだ。
そんな状態で願い事の話など聞けるものか。直哉は、美結の状態を把握する。
「一つ聞きたいんですけど」
「なに?」
「新藤さんの“心読み”を病気にしているのは、貴女だけですよね?」
“心読みを”を病気というカテゴリに強引に入れて、美結を苦しめている。だけど、彼女にとっては病気ではなく救い。だから消えても尚、取り戻そうとした。
直哉も“心読み”を病気として捉えた事は一度もない。
司は直哉の質問にすぐには答えなかった。本人の中で言われた事を処理しているようだった。
「佐伯くんには分からない。たとえ、美結本人がどう思っていようと“心読み”は立派な病気なの」
そう話す司の声は震えていた。彼女に余裕がないのだと伝わる。それを証明するように二人を乗せたセダンは幹線道路から右折して、一本細い道に入った。低速で進み住宅街にポツンとある公園前で停車をした。
司がハザードを点ける。ハザードの規則正しい音は、直哉の家の車と同じだった。知らない街の小さな公園前。直哉にとってはアウェーだった。仮にここから帰るとしたら、一回幹線道路に出て、バスか駅まで歩く事になる。窓の外の知らない景色を見ていると司がこちらを向いた。
「佐伯くん」
「はい」
こちらを見る司の瞳は真剣で美結によく似ていた。
「君が見つけた美結の“心読み”を復活させる方法。あの子には黙っていてほしい。私が出来る事なら何でもするから」
司の話す願い事は美結の願い事とよく似ているが、スケールも性質も全く違う。大人が真剣に話す願い事には、直哉を緊張させる力がある。
だが直哉は、すぐにその緊張を消し去った。そんな真剣さがあるのなら、どうしてもっと違う時に使えなかったのか。そう考えたからだ。
美結と会っている時にどうして革手袋なんてしたのか。
どうして、一生する覚悟もなく外せるのか。
直哉の中に疑問が絶え間なく浮かんでいく。
“心読み”がある時には一緒に住もうとせず、消えてから住もうとする。
美結の為でも何でもない。実に自分勝手な愛情。
「どうか、お願いします」
ずっと直哉が黙っていたので、司は頭を下げて頼んできた。これまでの人生で大人に真剣に頭を下げられて、頼まれた事なんてない。当然、良い気分じゃない。
「頭を上げてください。そんな事をされても困ります」
直哉の言葉に司がゆっくりと顔を上げる。顔を上げると、彼女は泣きそうにあるのを堪えていた。
そんなのは直哉からしたら、卑怯以外の何者でもない。追い詰めているのはこちらだと誤解してしまう。真実は全くの逆であるにも関わらずだ。
自覚してやっているのか分からない。そこまで考えた時、おそらくこれを昨日、美結にもやったんだろうなと考え付いた。
その場にいなかったのに想像だけで鮮明な光景が脳に浮かんだ。
こんなやり方をされたら、美結は了承するしかない。
「司さん」
直哉が司を名前で呼ぶ。初めて一歩、踏み込んだ呼び方をした。突然の名前呼びに僅かに動揺した彼女に彼は話を続ける。
「新藤さんは“心読み”を病気なんて思っていません。確かに周りから見たら、異質に見えます。だけど、長年それと生きてきた彼女にとっては救いなんです。どうして、それを尊重してあげられないんですか?」
美結の前で病気と言った言葉の重みを理解してほしかった。自分の娘に言ってしまった言葉の重みを感じて、出来る事なら謝罪してほしかった。
しかし、司には彼の訴えは届かなかった。
目を細めて首を傾げる司。
“心読み”は立派な病気。何故、本人に話してはいけないのか。それよりも“心読み”を復活させる方法を彼女に教えないでくれる事に同意してくれるのか。
傾げた司の顔からは、口には出さなくてもそういった気持ちが漏れて出ていた。それはもう、嫌と言う程に直哉に届いてしまう。
自分が悪い事を言ってしまったという自覚がない人間には、どう訴えても届かない。価値観を変えるような大それた事を出来るとは思っていないが、少しでも楔を打てるはずだと思っていた。
でも、その楔すら司の心には打ち込まれない。
直哉は深いため息を吐いた。
「降ります」
「えっ?」
車内にポツリと漏らした直哉の言葉に美結が聞き返す。
「車から降ります。ドアロックを開けて下さい」
直哉が丁寧に説明する。すると司は、若干の沈黙の後、「……約束して欲しい」と言った。
「約束? 何をですか?」
直哉がそう聞き返すと司は黙ってこちらを見る。
「私たち、家族の為に“心読み”は復活させないって」
司の手によってスケールが勝手に大きくされている気がした。最初に会った時の大人の余裕みたいな雰囲気は、もう感じられない。彼女が話す家族には、美結も入っているが、それは美結本人の望んだ家族ではない。直哉は半ば呆れる。
「約束は出来ません。俺は新藤さん側の味方ですから」
ストレートに直哉が気持ちを伝えると、司の目が揺らいだ。数秒の沈黙を経てから、彼女が運転席からドアロックを解除した。これで車から降りられる。自由が確約された気分になった彼は、心が軽くなった。
直哉は助手席のドアを開けて、外に出る。アスファルトの地面に足を降ろして、吹く風を体で感じると、先程よりも更に解放感に包まれた。
「お話出来て、嬉しかったです」
開いたドアの向こうにいる司にそう告げて、直哉はドアを閉めた。ドアを閉めると、助手席のパワーウインドがゆっくりと降りた。
「私は残念に思ってる。佐伯くんなら分かってくれると信じていたのに」
「その言葉、お返しします」
車を降りた解放感から直哉は挑発的な言い方をする。彼の言葉に司は何も返す事はなく、パワーウインドを上げて車を発進させた。直進して、幹線道路に入ると、もう車は見えなくなった。
「ふぅー」
一人になった直哉はあっという間に、車内で溜まった様々な感情を吐き出した。そして公園前にあった自動販売機でコーラを買い、口を付けた。普段はあまり飲まない炭酸飲料の爽快さがまだ、若干残っていた鬱憤を綺麗に洗い流した。
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