「第4章 夏夜のアスファルト」(2-2)

(2-2)


「佐伯くんが、“心読み”を知らないって言ったらすぐに近くの駅で降りてもらうつもりだった。分かる? それだけ君は貴重なの」


「貴重?」


 司の言った言葉の意味が分からず、直哉は聞き返す。彼の質問に彼女は頷いて、「そう、貴重」と繰り返した。


「美結が“心読み”の話を家族以外に話したなんて信じられなかった。あの子は転校を何度かしてるけど、“心読み”があったからこそコミュニケーションが成立していた。だからこそ、秘密を他人に話すなんてあり得ない。自分から言わなければ、まずバレないしね」


 直哉が分からなかった貴重の意味を司が説明する。彼女から見れば、自分はそれだけ何かの可能性を持っているのだ。


「貴重なんて、そんな、ものじゃないですけど……」


 意味を聞いても自分で上手く溶かせなくて、曖昧な言葉で返す。


「だったら君は自分の価値に気付いていないだけ」


「価値?」


「そう、価値」


 貴重やら価値やら次々に言葉が変換されていく。直哉はもう全部を話してしまいたかったけど、話してしまったら最後、どうなるのか目に見えていたので、固く口を閉じる。


「その上で、佐伯くんにお願いがあるの」


「なんですか?」


 直哉が聞くと、司はすぐに返事をしなかった。代わりに車をどこか別の駅のロータリーに停車した。駅の看板を見ると定期券内の駅だったが、降りた事がない駅だった。


「何か飲み物を買ってくるよ。コーヒーでいいかしら?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 司は車を降りて、改札前に並んでいる店の一つであるスターバックスへ向かっていった。残された彼はぼんやりと彼女の背中を見ていたが、やがて、向こうは振り返り手にしていた車のキーをこちらに向ける。


 ピピッ。


 電子音が車内に鳴って、ドアの鍵が施錠された。ここから逃げるという羽根よりも軽い可能性を司は警戒しているのだ。徹底している彼女にある種の感動すら覚える。なす術がない彼は、シートに背中を預けてiPhoneを触っていた。


 十分程してから車内にまた電子音が鳴り、施錠が解除される。やっぱり自由になったという解放感にどうしても心が楽になった。


 音が鳴ったので、iPhoneをポケットにしまって視線を窓の外に向ける。すると、司は小さな紙袋を持って車に戻ってきた。運転席のドアが開かれる。


「お待たせ、」


 開いたドアから外の風が車内に入り込む。心が楽になった。


 司は、ハンドルの前に紙袋を一度置いてから、運転席に座って紙袋を再度取り、中身のカップを直哉へと渡す。


「はい、コーヒー」


「ありがとうございます」


 彼女が選んだのはホットだった。こぼしてはいけないと慎重に両手で受け取ると、「はい、これも使って」と言われて置かれたフレッシュを手に取り、蓋を少しだけ開けて隙間から流し入れた。開けた蓋の隙間から、ドリップコーヒーの香りが立ち上って直哉の顔を直撃する。


 コーヒーを互いに口に含んで少し待つ。そして、司が静かに言葉を出した。


「話が途中で止まっちゃったけど、私がお願いしたいのは一つ。美結から“心読み”を消したい。その協力を佐伯くんにしてほしいの」


 司の望んだ願いは、美結とは正反対の願いだった。彼女は今まさに失われた“心読み”を取り戻そうと必死になっているというのに。


 黙ってしまっている直哉に「うん」と相槌を打って、司の話は続ける。


「突然、こんな事を言われて戸惑うのは理解してる」


「いや、でも……、俺には何も出来ませんよ」


 そもそも今どうして、力を失っているかすら解明されていない。朝と放課後に握手という名の確認作業をしているだけで、役に立っている自覚もない。


「実は“心読み”を消す方法はあるんだ」


「えっ⁉︎」


 方法はある? 今まで二人では全く掴めなかった手掛かりが急に目の前に出されて、直哉は焦って前のめりになってしまう。彼の動揺を把握しているのか、していないのか、いまいち読めない雰囲気を維持しつつ司は頷く。


「方法はあるよ。でも協力してくれるって約束してくれないと教えられない」


 司はコーヒーに口を付ける。主導権は完全に彼女にあり、あくまで直哉は補助する立場。勝手は許されない。そんな事を言われている気がした。


 だが、直哉からしてみれば、これはまたとないチャンス。“心読み”を消す方法を知れるという事は、同時に復活させる事にも繋がってくる。


 今だけの嘘でもいい。協力すると言って、方法を聞き出す。


それがもっとも合理的で確実だった。


 でも、それが出来ないのが佐伯直哉という人間だった。


「降ります」


 直哉が絞り出した声で言ったのは、受諾でも否定でもない。離れるという羽根よりも軽いはずの逃げだった。彼が言葉にした途端、この話が終わりであるという雰囲気が車内に流れる。


「……そう、分かった。残念」


 直哉が協力すると言うまでまで帰さない可能性もゼロではなかったが、素直に司は、彼の意思を認めた。


 ガコッ。っとドアロックが外れる音がした。


 直哉はカップを一度、ドリンクホルダーに入れてドアを開け外に出てから、置いていた通学カバンとカップを手に取った。僅かな時間だったが、コンクリートの上に立った事で自分の意思でここに立っていると実感が湧く。


 運転席に回ると、司がパワーウインドを下げた。


「今日はありがとうございました」


「いえいえ。あ、そうだ。連絡先交換してくれない?」


「ええ。いいですよ」


 毎回、待ち伏せされるより連絡を交換した方がやり易い。直哉に断る権利はなかった。iPhoneを取り出して、互いに連絡先を交換する。


「コーヒーもご馳走様でした」


「どういたまして。私も佐伯くんと色々とお話が出来て楽しかった」


 司はそう言って、パワーウインドを上げた。スモークガラス一枚分の壁が二人の間に作られる。ペコリと頭を下げて、直哉は車から離れて改札を通った。


 ホームへと向かう途中、一度振り返ると車はゆっくりと発進して、幹線道路へと戻っていった。車が無事に行ってくれた事に安堵しつつ、ホームへ上がる。


 ホームへと上がると、次の電車が到着するまで後、五分ほど時間があった。まだ中身が残っているコーヒーを初めての景色を眺めながら口にしていた。降りた直後は気づかなかったが、頭は結構疲れていた。


 ブブブブッ。っとブレザーに入れていたiPhoneが振動した。


まさか司からもう連絡がきたのか。咄嗟にそう思って、そっとポケットから取り出すと、真島からのLINEだった。彼のLINEはシンプルで【無事か?】としか書かれていなかった。


 真島の配慮に感謝しつつ、直哉は【無事じゃない。疲れた寝る】と返した。


メッセージが既読になったのを確認したのと同時に電車がやって来るアナウンスが、ホームに響いた。

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