「第3章 二人の家族の対応の差」(3-2)

(3-2)


 ――放課後。


 直哉はいつもの通り、図書室前の階段にある踊り場で美結を待つ。


いつも通りではないのは事前に彼女にLINEを送っている事。内容は、昼休みに起こった海沢との一件。彼女には明日からも引き続き他言無用と言われていないので話せる。(仮に言うなと言われても伝えたろうが)地下鉄のホームで確認作業するのも考えないといけないな。そう彼が考えていた時、LINEが届く。


【沙耶香との昼休みの件は、了解。私もすぐに行くよ。あと今日は、階段じゃなくて、図書室で待ってて】


【分かった】


 図書室で待っていてほしいとLINEが来るって事は、美結は今日は一人で帰るという事に違いない。


 図書室に入るのは、図書当番以来だが、本棚と本棚の間から流れてくる空気は何一つとして変わらない。今日の図書当番の二名は、最初の会議で直哉の顔を覚えていたらしく、笑顔を見せてくれた。それに会釈で返して荷物棚へ。文庫本だけ取り出して空いている席を探す。


 いい具合に隅の席が空いていたので、椅子に腰を下ろす。すぐに行くと書いてあったので勉強までしなくていい。直哉は文庫本を開いて栞を抜いた。


 数ページ程、読み進めたところでポケットの中でiPhoneが振動する。本に再び栞を挟んで、iPhoneを取り出した。


【ゴメン。急な用事が出来て、図書室に行けなくなった。今放課後はなしにしよう。明日の朝は絶対に大丈夫だから。本当にゴメン!】


 あの美結が“心読み”の確認作業が出来ないと連絡してくるのは、初めてだった。彼女にとって“心読み”は生きる上で何よりも大切な事。それに来られないのは余程、緊急の用事に違いない。


【了解。気にしないで、また明日】


 直哉は美結にそうLINEを返すと、文庫本を持って立ち上がる。彼女が来ない以上、図書室にいる意味がない。勉強する予定もない。少し変な話だが自習したい生徒の椅子を読書の為に使い続けてしまうのが、申し訳ないのだ。


 図書室を出て教室へと戻る。真島の席に通学カバンは掛かっておらず、先に帰っていた。


代わりに吹奏楽部が練習をしていて、直哉が入ると途端に彼女達からの視線が刺さる。なんの配慮なのか、忘れ物を取る仕草をして、美結の机を視界に入れる。確かに机の横には彼女の通学カバンはない。


 どうやら、本当にいないみたいだ。


 直哉は学校を出て、最寄り駅へ一人で向かう。季節が夏に近付いているせいか、この時期は外を歩くと薄らと汗ばんでくる。心を低速にして機械的に足だけを動かしていると、いつ間にか最寄り駅に到着していた。改札を抜けてホームへ降りる。


 まるで直哉がホームに降りてくるのを待っていたかのようにすぐに地下鉄はやってきた。地下鉄に乗ると車内は比較的空いていた。シートに座った時、美結と初めての図書委員会が終わったのもこれぐらい時間だったと思い出す。


 地下鉄が車両ドアとホームドアを閉めて、ゆっくりと動き出した。慣れた振動と匂いが直哉を包む。


 “心読み”の確認作業を止めにする程の急な用事とはなんだろうか。例えば他の二人にバレたとか? 仮定を作るが即座に否定する。


 美結ならバレたとしても中止にはしない。第一、そこまでの事態になったら、自分も呼ばれているはずだ。他には単に体調不良? 授業後のホームルームまでは彼女は元気そうだった。あそこからいきなり体調が悪くなるとは考え辛い。


 いくつかの仮定を作っては、否定を口返している内に丁度良いシートの柔らかさと、心地良い振動に次第に直哉の瞼は重くなっていく。


 最初は耐えたものの、結局耐えられず彼が目を覚ましたのは、降りる予定の駅の一つ前だった。


「あっ、」


 声とは呼べないような声を出して、慌てて立ち上がった。急に頭を上げたので首が痛かった。一瞬、体を走る痛みに直哉は顔を歪ませながらも我慢する。


 降りる駅までそのまま立ち続けて、到着したらすぐに降りた。そして乗換駅から、自分の路線の電車へと乗る。地下鉄では最初は耐えれていたのだが、今回は難しく、シートに座って少ししたら、直哉の瞼は完全に閉じてしまった。


 眠った状態の耳が自宅最寄り駅のアナウンスを捕まえて、直哉を起こす。


「んっ、」


 吐息と共に首を回した。軽く回しただけなのにポキポキと音がした。


 地下鉄よりは、熟睡が出来たな。


 先ほどとは違って、爽快感を覚えた体を起こして直哉は、最寄り駅に降りた。さて、帰る前に本屋にでも……。そう考えていた時、彼のiPhoneに着信が入った。ポケットから出してみると、相手は美結。


 iPhoneに表示される名前を見て、まだ若干寝起きだった脳がストンと覚醒した。直哉は駅入口まで歩いて、電話に出る。


『はい。もしもし』


『あ、佐伯くん! ゴメン、今どこにいる!?』


 電話の向こうの美結は何故か随分慌てていた。


『えっと、最寄り駅の改札を出たばっかりだけど?』


『最寄り駅って言うと、学校じゃなくて家の方だよね。確か、前に教えてくれた桜川駅』


『そうそう』


 何かの流れで一度だけ言った駅名を美結は正確に記憶していた。その事に感心していると、電話の向こうから小さく息を飲む音が聞こえた。


『今から、駅に行ってもいい?』


『え!? なんで!?』


 美結の強引な提案に直哉が驚く番だった。彼女は彼の驚きに負けない力で答える。


『どうしても今日、佐伯くんと“心読み”がしたいの!』


『でも明日にするって……』


 届いたLINEのメッセージを頭に浮かべる直哉。


『やっぱり無理だった。お願い!』


 電話口から美結の懇願が聞こえる。直哉は振り返って駅構内の壁掛け時計に視線を移した。現在の時刻は十八時半。まだ許容範囲と言える。


『分かった。一回乗換駅まで戻るから待ってて』


『えっ? それは悪いよ。私が行く』


『さっきまで電車の中で寝てたから、体力は回復してるし。その方が早いでしょ』


『ありがとう。……勝手言ってゴメン』


『いいよ』


 美結にそう言って直哉は電話を切った。そして、改札にもう一度入り直してホームへ上がる。幸い、少し待ったら電車が来たので、そのまま乗った。彼女に折れる形で会う事にはなっているが、直哉も心配していたので、それが解消されるのは丁度良い。先程は眠っていて見れなかった夜景を見ながら、そう考えていた。

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