「第3章 二人の家族の対応の差」(3-1)
(3-1)
――翌週、月曜日。
直哉はいつものように地下鉄のホームで確認作業を済ませて美結と別れた。二本早く電車に乗る事もホームに降りたら、まず自動販売機へと足を向けるのも全て、日常と化していた。問題は学校に着いてから起こった。
昼休みになって、食べる前にトイレを済ませた直哉は教室戻ろうと廊下を歩いていた。そこを「ねえ、佐伯」と呼び止められた。振り返ると、そこには腕を組んでいた梅沢の姿があった。表情はとても険しい。
「ちょっといい?」
梅沢の事は勿論、知っている。クラスメイトで美結と仲が良い友人の一人。
森谷と美結でいつも三人一緒のイメージだ。直哉は二人と会話らしい会話をした事がない。そのはずなのに目の前にいた彼女は昼休みの喧騒の中、ハッキリとした敵意を彼に向けていた。
「いいけど」
断れない雰囲気に呑み込まれて直哉が了承させられる。
「付いてきて」
そう言ってスタスタと前を歩いていった。そのスピードが思いの外、早くて慌てて梅沢に追い付く。隣を歩くのは躊躇われたので、彼女の後方を歩いた。
階段を上がり、途中で振り返って直哉が付いてきているかを確認される。振り返ったその顔ですら、梅沢は睨んでいた。彼女に連れてこられたのは、移動教室で使う階層へと続く階段だった。基本的にこの時間帯の利用はない。
どうして呼び出されたのか。直哉は何となく察してきた。階段の上段に梅沢、下段に直哉の体制で腰に手を当てた彼女が質問する。
「あのさ、美結と毎朝何してるの?」
梅沢が聞いてきたのは、予想通り美結との事だった。冷静に考えたら、それ以外に彼女に呼ばれる理由なんてない。
すぐに答えない直哉にイライラした梅沢が詰める。
「聞いてるの? 美結と何してるかって聞いてるんだけど」
「ああ、ゴメン。えっと、何してるって言われても……」
“心読み“の説明は出来ない。この間も考えた。それに彼女に近しい友人に話す事は、本人が決して望まない。どう言ったら、納得してくれるか。考えを巡らせていると、その直哉の姿勢が勘に触ったらしく、梅沢の右手が伸びて、彼の胸ぐらを掴んだ。掴まれた力に従って、体が前のめりになる。
「あ? ハッキリしろよ?」
「ただの、握手だよ」
胸ぐらを掴まれたままで簡潔に直哉がそう説明する。彼の説明に梅沢の目が細くなる。胸ぐらを掴んだ彼女の手が離れた。
「握手? 何それ? アンタ、美結と付き合ってるの?」
「いや、付き合ってない」
嘘でも付き合ってるなんて言ったら、殺されそうな雰囲気が漂う中で直哉は首を左右に振る。
「友達がさー、何度か二人を朝見てるんだって」
「へぇ」
二人とは待ち合わせの時間がズレているからと美結に言われていたから油断していた。確かに間接的に伝わる事は、充分にあり得た事態だった。あの地下鉄の利用者は多い。今更ながらにホームで会っていた事を後悔する。
「私が言いたいのはさ」
「なに?」
「あの子、話しやすいしスキンシップの多いから勘違いするかも知れないけど、余計なちょっかい出すなって事」
美結を守ろうとしている梅沢の瞳は強く、敵認定されている直哉を睨んでいる。彼からしたら、正直迷惑なだけだが友達想いなのは伝わった。
「……握手をしてるのは、新藤さんに簡単な実験に付き合ってほしいって言われるからだよ。それ以外の感情はない」
“心読み“とは言えず、実験という大きな括りを付けて誤魔化した。直哉に出来る説明はそれが精一杯だった。彼の説明に、初めて梅沢が戸惑いを見せる。
「実験?」
「そう。実験」
「どんな実験なわけ?」
「俺も詳しくは知らない。知りたいなら新藤さん本人に聞いてくれ」
それが出来ないから、自分に聞いている。それを分かっているからこそ直哉はそう言い放った。
「……それ、信じていいの?」
「ああ」
「分かった。急にゴメン」
直哉の言葉を信じた梅沢は礼を言って、階段を降りていく。あ、ちゃんとお礼が言えるんだ。背中が見えなくなった彼女に直哉は、そう思った。
残された直哉は、短く息を吐いてから教室へと戻る。教室に着くと机を付けていた真島が弁当を食べていた。
「おかえり。なんだ、遅かったな。体調悪いのか?」
「大した事ない、ちょっと尋問にあってただけ」
「はぁ?」
直哉の返事に真島の眉が寄る。彼の顔を向こうに梅沢がいる。先に戻っていた彼女は、美結達と楽しそうに昼食をとっていた。その様子はいつもと変わらない。
それを窺った後で、通学カバンから弁当を取り出して、机に置く。昼休みはまだ残っている。残り時間でも充分食べられるけど、逆にそれ以外の時間は全部使ってしまった。貴重な自由時間を消費してしまった遅れを取り戻す為、玉子焼きを口に放り込んだ。
「ま、直哉が大した事ないって言うのなら、大丈夫なんだろう。大した事にならなくなったら、相談してくれ」
「なんだよ、それ」
梅沢とは違う心配のされ方に笑いながらもおかずを口に放り込んだ。
午後の古典は、どうしてもクラス全体に眠気の胞子を撒き散らす。それを教師側も理解しているのか、船を漕いだり、机に突っ伏している生徒を起こすような真似はしない。
いつもなら直哉も多少は船を漕ぐが、今日はその気配が訪れなかった。代わりに彼の頭の中では、昼休みの出来事で埋め尽くされていた。
まず、梅沢から美結に話すような真似はしない。しかし、彼女の友人が見ていたというように、他の誰かに見られてしまう可能性は存在する。直接、本人に伝えようとする連中も出てくるだろう。
だったら、今の時点で伝えた方がいい。
“心読み”とはまた別の問題に頭が痛くなった。だが、引き換えにこの先の動き方は見えてきた。一先ずの方針を固めた直哉は、ようやく授業に意識を向けた。
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