「第3章 二人の家族の対応の差」(2-3)
(2-3)
直哉と美結は手を合わせて、それぞれの食器を手に取る。彼はスプーンでハヤシライスをすくい、口に含んだ。口内で広がる味がとても豊かで美味しかった。普段、外でハヤシライスは食べないが、このペースならどんどん食べられそうだ。
「んん〜、美味しい」
ペペロンチーノを口にした美結が美味しさに感動していた。
「うん。ハヤシライスも美味しい」
「良かった〜。あ、約束通りシェアしよ?」
「いいよ」
直哉は置かれた食器入れから、もう一本のスプーンを手に取り、美結に渡す。受け取った彼女は、まだ直哉が口を付けていない部分をすくって、口に含んだ。
「んん〜、やっぱりグリーンドアのハヤシライス。美味しいなぁ、何回か家で再現しようと挑戦したんだけど、出来なかったんだよね」
「新藤さんは料理するの?」
直哉が何気なく尋ねると美結は微かな間を作ってから、笑顔で頷く。
「うん。お弁当とかたまにね。今は、叔母さんの家で厄介になってるから、料理ぐらいは手伝いたくて。向こうはしなくていいって言ってくれるんだけど」
「そうなんだ」
直哉がイメージする料理とは、家庭科の授業の延長線でしかない。だから美結が料理を手伝っていると聞くだけで、大人のイメージがした。
「あっ、次は私のペペロンチーノだよね。はい」
美結が食器入れからフォークを取り出して直哉に渡す。「ありがとう」と礼を言って受け取った直哉は、自分と同じ様に彼女が口を付けていない部分から、ペペロンチーノをフォークに巻き付けて口にした。
割と簡単な料理であるペペロンチーノは、何度か直哉の家でも出た事がある。オリーブオイルの香りと辛味のアクセントになっている鷹の爪。とても美味しい。ちゃんとしたお店で食べるとこんなに違うのか。
「美味しい。家で食べるのと全然違う」
食べた感想を零す直哉。それに「だよねだよね」と美結が笑顔で同意する。
二人はそれからも味の感想や本の話、学校の授業の話題などで盛り上がった。食事をしている時ぐらいは、“心読み”の話題は出てこなかった。同じクラスにいるので共通項はいくらでもある。男子、女子の目線が違うだけで一人の教師の話でも違う角度になるのが当たり前だった。
こうしたクラスメイトとしての話が出来る事が直哉は嬉しかった。まだ、美結から“心読み”の話を教えられる前、僅かな時間はこういった話をしていたのだ。
香夏子が運んでくれた食後のコーヒーを互いに飲んで、喉をスッキリとさせると帰り際が見え始まる。飲み干してから、しばらくして直哉から「そろそろ帰ろうか」と提案した。美結はそれに静かに頷く。
「そうだね。帰ろ」
もしかしたら通学カバンに入れたバインダーをもう一度出すのではないかと、考えていたが美結が直哉の提案をあっさりと受け入れた。
簡単に帰り支度をして立ち上がり、伝票を持つ。直哉が取った伝票に反応して美結が手を上げる。
「あ、私が払うよ」
「え? 何で?」
払ってもらう意味が直哉に分からなかった。すると、美結は少し言い辛そうに口をすぼめた後、「だって、私が誘ったし……」と零した。
「いや、いいって。自分の食べた分は払うよ。誘われてもそれに乗ったのは、俺の意思なんだから」
そう話す直哉。彼がそれとは別に口にしなかったが、おそらく美結は“心読み”の問題に巻き込んでしまった事に責任を感じている。謝罪だけじゃなく、こういった形で行動に示そうとするのだ。そこまでしなくていい。少し形が特殊なだけで、基本的にはクラスメイトの悩み相談である。
直哉の拒否に払おうとしていた美結は「うっ……」とダメージを負った声を出して、「わ、分かった。でもちゃんとお礼はさせてよ?」と言った。
「それって何でも新藤さんが願いを叶えてくれるってヤツでしょ? 大丈夫。全部が終わったら、頼むよ」
「ちなみに今の時点で何か決まってる?」
おそるおそる尋ねてくる美結に直哉は首を横に振った。
「ぜーんぜん決まってない」
「本当? 本当に何でもいいんだよ?」
願い事が浮かんでいないのが、逆に不安にさせたようで美結が一歩、直哉に詰め寄った。急に距離が近くなった事に緊張する。
「何でもって言ってくれるのは有難いけど、決まってないものは決まってない。大丈夫、必ず決めるから」
憤る美結をどうどうと抑えるように両手を上下させる。彼の言い方に彼女は、少しの間、黙っていたがやがて「分かった」と納得した。
二人はレジに行って、香夏子に支払いを頼む。
「また、いつでも来てね」
「はい。ありがとうございます」
そう香夏子に返して、直哉は店のドアを開ける。カランコロンと来た時と同じ音が、彼らを見送った。先に外に出た美結と目が合う。
「行こっか」
「うん」
お互いに確認をしてから二人は、駅に向かって歩き始めた。金曜の夜という事もあって、駅までの道のりは実に賑やかだった。朝の電車から見えていた景色では真っ暗だった。ビルのネオンが生き生きとして輝いていたし、その下を歩く大人達も楽しそうな雰囲気に包まれていた。土日で休みなのは、直哉も同じだけど、あそこまでは喜ばない。あと十年程でああなるのか。と感想を抱いた。
駅前の最後の交差点。三車線以上が重なる、とても大きな交差点は、信号機前に大勢の人が並んでいる。信号機前では、携帯をイジる人や一緒に来ている友人と話す人など、それぞれの過ごし方をしていた。
その中で二人の過ごし方は、後者だった。
「ねえ」
美結が声を夜風に乗せる。
「なに?」
直哉の問いかけに美結は、そっと話す。
「もしさ、“心読み”の回復させる話が迷惑だったり無理そうだなって思ったら、早目に教えてね」
「え?」
「だって今日、グリーンドアで結構話したのに、有効そうなアイデアって出なかったし。もしかして、佐伯くんの貴重な時間を使っちゃったのかなって……」
美結の話し方が、悪い事をした子どもが白状するような雰囲気で聞いている直哉が、面白く感じてしまった。
「え、えっ?」
直哉が笑った事に美結は戸惑う。確かに彼女からしてみれば、どうして自分が笑われているのか意味が分からないだろう。からかってる訳ではないのだが、あまり良い印象はないのは当然だ。誤解が生まれる前に彼は右手を左右に振った。
「ゴメンゴメン。別に変な意味で笑ったんじゃないんだ。話し方が小さな子どもに見えてつい、そもそも迷惑になんて感じてないよ」
「絶対?」
「絶対。ほらっ、」
心配性な美結を安心させる為に直哉は右手を前に出す。その行為の意味が分からず、首を傾げる美結だったが、すぐに「あっ、」と声を出して彼の右手を掴んだ。
横断歩道の信号の青になるまでを示したライン。それがあと二本まで迫っていた。だが、二人には今関係ない。美結は掴んだ直哉の右手から、彼の心を読んだ。自然と目を閉じたのは、精度を上げる為だ。
数秒してゆっくりと目を開けた彼女は「本当だ」と呟く。
「でしょ?」
直哉がそう返すと、それが合図だったかのように信号が赤から青に変わった。
青になった事を表す鳥の鳴き声がスピーカーから流れる。二人は手を離して信号を渡る。渡り終えると、美結の顔が笑顔になっていた。“心読み”は嘘をつかない。自分の本音を伝えたい時、これ程便利な能力はなかった。
直哉は“心読み”を肯定的にそう捉えた。
駅に到着すると、二人はそれぞれ乗る路線の改札前で別れた。ここからは時間が遅いだけでいつもの通学路となる。美結と別れて改札を通り、エスカレーターでホームへと上がる。その際、彼は信号を渡る際に浮かんだ一つのアイデアを頭の中でより、鮮明にしていた。
もし、“心読み”が消えてしまった事を他の人にも相談する事が出来れば、二人で考えるよりも良い回復方法が見つかるのではないか。
手を繋ぐ前に思い付いていたら、美結に読まれてしまっただろう。危なかった、本当に。安堵すると同時に思い付いた方法が美結が承諾しない事を直哉は分かっていた。
例えば、友人が難しいのなら、グリーンドアの香夏子。彼女なら相談に乗ってくれる気がする。想像上の美結を説得するように代替案を用意するが、それでも難しい。
直哉だけしか知らない“心読み”の事情。ホームに電車が到着するアナウンスが鳴り響いた。彼の思考は一度中断される。目の前にあった適当な列に並んで、到着した電車に乗った。
車内に入り、空いているシートを見つけたので腰を下ろす。
「ふぅ」
大分、頭を使っていたらしく少々の頭痛を直哉は感じていた。そしてそれは、一度自覚してしまうと、途端に成長していき、直哉の脳の領域を圧迫していく。
いつもなら、本を読んでいるのに今の彼には、そんな余力はなかった。頭を下にして目を閉じる事でどうにか頭痛を和らげようとするのが精一杯だった。
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