「第1章 図書委員での出会い」(4-2)

(4-2)


――金曜日。


 今週の図書当番が終わった。閉室作業を終えて、一気に解放感に包まれる。


「終わったぁ〜」


 窓を全部施錠した美結が大きな伸びをして、解放感を満喫していた。すると井原先生が小さく拍手をする。


「二人共、一週間お疲れ様でした。初めての事もあって色々大変だったと思うけど、大体、こういう仕事だって分かってもらえましたか?」


「はい。図書委員、初めてですけど、楽しかったです」


「俺も中学の頃とは違う仕事もあって、やりがいがありました」


 二人それぞれの意見を聞いて、井原先生は笑顔で二、三回頷いた。


「それは何よりです。私は司書室でもうちょっと仕事をしますので、二人は下校して下さい。ああ、それから来週の当番に日報を渡しておいて下さいね」


「はい。渡しておきます」


 そう返事した直哉の手には『図書委員日報』と書かれたノートがある。年度ごとに作っているから、まだ新しい。これが一年も経つと、シワが出来たり隅が汚れたりして味が出てくるのだと、井原先生は言っていた。


「お疲れ様でした。私達は帰ります。お疲れ様でした」


「はい。お疲れ様でした。新藤さん、佐伯くん」


 井原先生にそう挨拶をして、二人は図書室から出る。月曜日には怖さを感じていた夜の校舎もすっかり慣れてしまった。


「終わってみるとあっという間だったね」


 階段を降りていると、隣の美結がそう言った。それに直哉は頷く。


「うん。昼休みとか、教室でいるよりゆっくり出来て楽しかったんだけどな。食後に先生がコーヒーも美味しかった」


「そうそう。美味しかったぁ」


 司書室にはコーヒーメーカーが備えられており、(井原先生曰く、先代の司書教諭の置き土産との事)司書室ではコーヒーを飲む事が出来た。教室では味わえない非日常の昼休み。もう来週からは、味わえないとなると少し寂しい。


「このペースだと、次の図書委員の当番が回って来るのは結構先になるよね」


 美結が残念そうにそう話す。最初の図書委員会の時に井原先生が言っていたのは、一年生だけが当番を一週間にしており、上級生はそれよりも多少長いらしい。理由は、彼らの受験勉強がよりしやすくする為。カウンター内にあるパソコンやカウンター内での勉強空間。確かに一年生よりも上級生向けに用意されている。


「上級生がどれくらいの期間、図書当番をするのか、井原先生言わなかったけど、あの言い方からして、次に来るのは二学期になるかもね」


「確かに」


 直哉の意見に美結が首を頷いて同意する。


「でもいざ、順番が回ってきたら、すぐに来たって思うかもよ? その時まで気軽に待てばいいよ。ウチの学校、そんなクラスだって多いわけじゃないし」


 落ち込む美結をそうして、直哉は励ます。彼の励ましに彼女は「うん。佐伯くんの言う通りだ。励ましてくれてありがとう」と返した。


 下駄箱で靴を履き替えて、校舎の外へ出る。安全の為に点けられているグラウンドの証明設備も今日からしばらくは見る事はない。


「ふぅ」


目の前に映る光景に感慨深いものを感じた直哉は、短く息を吐く


他の運動部の何人かと適当な話をしていた美結も今日は、静かだった。いつもの彼女達とは最低限の雑談だけで済ませているような気がする。


 裏門から校舎を出る時に美結が聞いてきた。


「佐伯くんも寂しくなってきた?」


 逃げ場のないストレートな質問。だからこそ、直哉は真っ直ぐに返した。


「そりゃ寂しいよ。学校の中で非日常を味わっているみたいで楽しかったから。明日からは、感じられなくなるんだって思うとね」


「非日常……」


 直哉の言った言葉が気になったのか。美結はボソっと呟いた。そして横から彼の手首を掴む。この一週間、何度も掴まれていたので、いい加減、慣れてしまった。ほんの数秒だけ掴んで、こちらが何も言っていないのに納得したうように「なるほど」と言葉を漏らす。


「俺の手首に答えが書いてあった?」


 それぐらいの聞き方は直哉にも出来るようになっていた。


「えっ? あ、ゴメン……。嫌だったよね」


 直哉の返しに冗談で返してくるかと思ったが、その予想に反して美結は真面目に謝ってきた。すぐに手首を離した彼女に彼の方が焦る。


「いやっ! 冗談だから。ほら、新藤さんってよく人の手首とか肩とかを教室でも触っている印象があって」


 しどろもどろになりつつもそう説明する。人の体を触る経緯も意味も直哉には分からないが、特別不快には感じていなかった。


 直哉の指摘に美結が困ったように笑いながら「癖なんだよね。話してる相手の体に触っちゃうの。あんまり良い事じゃないから、止めようとは思ってるんだけど……」


「同性ならともかく、異性相手には止めた方がいいかも。男って馬鹿だから」


 余計な被害を受ける前にリスクを回避するべきだ。そう考えた直哉が助言すると、美結は「そうだよね。気を付ける」と頷く。


 数分前まで最後の図書当番を名残り惜しんでいた空気が湾曲してしまっている。その事を肌で感じた直哉は「ところでさ、」と強引に話題を変えた。


「あれからどんな本を読んでるの?」


「あ、えっと。今読んでるのはこの本」


 直哉の質問に美結は、通学カバンから前と同じ空色の布で出来たブックカバーがされた文庫本を取り出した。受け取った彼はそっとページを開く。


「『ホワイトハニーの未来へ』知らないタイトルだ。どう? 面白い?」


「うん。今のところは結構面白い。日常の中にあるファンタジー系って感じ」


 直哉はあまり新しい作家を発掘しない。安定して好きな作家を追いかけて、ネットなのでレビューを書いた人のオススメ系列から探す。彼女から手渡された本が、この作者のデビュー作である事から、おそらく彼女は、ちゃんと自分の目で見極めてから買うのだろう。


「読み終わってオススメなら教えて。俺も買ってみる」


「分かった。楽しみにしてて」


 本の話を終えると、それまで流れていた空気が少しずつ緩和されていく。やはり、共通の趣味があるのは、助かると直哉は思った。


 それから二人は、いつものように他愛のない話をして、帰り道を過ごす。


 最寄り駅まで着いて、改札を抜けて乗換駅まで。この一週間、当たり前のように過ごしていた、いつもと違う非日常。それが今日で終わる。


「じゃあ、また次の図書当番で」


 別れ際、美結にそう言われて笑って返した直哉だったが、胸の中には一抹の寂しさが残っていた。


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