「第1章 図書委員での出会い」(4-1)
(4-1)
一年間ある図書委員の仕事に早く慣れてほしい。司書教諭の井原先生の考えの下、図書当番の順番は一年生から回ってくる。
昼休みに一人、放課後には二人で図書室内にあるカウンターに入り、貸借作業を行う。当番の期間は一週間。直哉は美結とLINEで順番を決めて、昼休みには交代で行った。ちなみに図書当番の日の昼食は、カウンター奥にある司書室で食べる事になっている。
司書室にはテレビやiPhoneの充電器もあって、窮屈に感じていた教室からは解放された気分になった。直哉が昼食を食べている間は、井原先生が交代でカウンターに入る。カウンター内でノートパソコンを使って仕事をしている事が多い。ちなみに彼女の昼食はいつもパンだった。コンビニ等で買ったのではなく、家の近所にパン屋があり、そこで買っているそうだ。
小さな炊事場や冷蔵庫、トースターまであるので、司書室で温められる。本当に小さな部屋みたいだった。昼食後、井原先生と交代で、直哉はカウンターに入る。昼休みは四十分しかないので、図書室に来る生徒なんていないものだと思っていたが、意外といる事実に驚く。
受験生は主に放課後に訪れるので、来ているのは本を読みに来るか食後の昼寝目的の生徒だ。教室の喧騒から図書室は切り離されているので、食後の昼寝に最適なのだ。
放課後は、昼休みと違って美結と二人でカウンターに入る。
昼休みに行っていたカウンター業務の続きが主な仕事。放課後は、勉強しに来る生徒が利用者の八割を超えるので、図書委員は手持ち無沙汰なになる。
だからと言って、美結と雑談するような雰囲気にはなれない。吐く息が本に吸い込まれそうになる緊張感とシャーペンが紙の上をひたすら走る音、そして適度な温度に調整されたエアコンの風が主張している。
本を棚に返したり、図書委員の日報に書いて時間を過ごして一段落つけば、閉室まではカウンター内で本を読んだり、勉強をして過ごす。カウンター内にはインターネットに接続されたデスクトップパソコンが置かれており、調べ物をする名目で利用可能なので、勉強に詰まった時には使っていた。
キーンコーンカーンコーン。
二十時を超えるとチャイムが校舎に響く。この音が鳴ると緊張に支配されていた図書室の空気が緩和されていく。
「二十時になりました。皆さん、帰る用意をして下さい」
司書室から出てきた井原先生が、よく通る声で案内する。この声に反応して勉強している生徒は、シャーペンを動かす手をピタリと止めて帰り支度を始めた。直哉は、二十時まで勉強している生徒が図書室を出て行く時、何となく会釈していたが、井原先生に「別に頭を下げる必要なんてないよ。同じ学生なんだから」と言われてから、下げるのを止めた。
生徒が誰もいなくなると、図書委員は閉室作業を開始。乱れたテーブルと椅子を戻して窓の戸締りを確認。パソコンのシャットダウン。十五分もあれば終わる。
これらの作業を全て終えて、一日の業務は終了となる。
「はい、二人とも、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
閉室作業を終えた二人に井原先生がそう告げる。彼女はまだ仕事が残っているとの事で、司書室へ戻った。直哉と美結はカウンター下に置いた自分の通学カバンを肩に掛けて、図書室を後にした。
この高校の完全下校時刻は二十時。その時間には全ての運動部は終了している。図書室に入る前にあちこちから聞こえてきた部活の音は、もう聞こえない。代わりに真っ暗な夜空と月明かりがあるだけだ。
必要最低限の光源だけを確保されたような廊下を二人して、歩く。
「うわ、夜の学校って怖いね」
「確かに。中学の頃はこんな時間まで学校にいた事なかったから、真っ暗な校舎は怖い」
「運動部は照明点けてずっとやってるんだよね。大変だ」
声が聞こえなくなったグラウンドに視線を向けながら美結が話す。
「大会とか頑張る目標があるから、本人達は平気なのかも。あと、一人じゃないし」
「まあね〜。そういうのがあれば出来るのかも」
下駄箱まで降りてくると部活の生徒何人かとはち合った。その中の一人が、美結を見つけた。違うクラスの明るそうな女子だった。運動後の満足そうな笑顔をこちらに向けてくる。
「あれー? 美結いる。どうしたの? まさかこんな時間まで補習?」
「違う違う。図書委員の当番。今週はずっと図書室にいるの」
「うへぇ。タイヘンそう〜」
退屈そうと言いたかったのが分かる微妙な言い回しをする彼女に美結は「そんな事ないって」と笑顔で話を返す。
「結構、楽しいよ? やりたい事出来るし」
美結が図書委員を楽しいと感じてくれているのが隣で聞いていた直哉は嬉しかった。
「そーなんだ。だったらテスト週間には使わせてもらおうかな。部活も休みだから」
「うん。そうしなそうしな」
美結と適当な会話をしていた彼女は、同じスポーツバッグを肩に掛けた集団に呼ばれて「じゃーね」とそちらへ流れて行った。「おぉ〜」と彼女に手を振ってから、美結は含み笑いをして、直哉の方を向く。
「これで図書室に一名勧誘成功」
悪戯が成功したような言い回しに思わず吹き出した直哉。彼の笑いに彼女もつられて笑い返す。
そして、どこにでもあると言える、ごく自然な動作で彼の手首を掴んだ。
美結の自然に行われるボディータッチに直哉は内心ドキッとする。
「私達も帰ろうよ」
「分かった」
二人して靴を履き替えて、外に出る。まだ春だけど夜の風からは少しだけ夏の匂いがした。誰もグラウンドにいないのに照明が点けっぱなしになっている。直哉がどうしてだろうと考えていると、隣で美結が「あー」と納得したように声を出した。
「どうしたの?」
「なんでグラウンドの照明点いているのかなって考えて結論が出た」
「あ、丁度俺も考えてた。なんで?」
「多分だけど、生徒が帰るからすぐには消さないんだよ。暗いと危ないから」
「……なるほど」
生徒の事を考えての配慮。言われてみれば当たり前だが、言われるまで直哉は、その当たり前に気付かなかった。
「凄いな」
「でも、なんとなくだから。合ってるとは限らないけど」
賞賛する直哉に照れたように首元を触る美結。
この時間帯は正門が閉まっているので、裏門から学校を出る。裏門と言っても、坂道の関係で帰り道はこちらの方が最寄り駅に近い。常時、使えたら助かるのに十八時を過ぎないと、通る事が出来ない。
最寄り駅までの一本道。そして下り坂。道の途中には、生徒達の姿が見える。まだまだ部活の満足感が残っているのか。彼らの声は元気だった。
美結と並んで帰るのはこれで二回目だけど、意識する事はなくなった。それはやはり、彼女独特の距離感が影響しているから。
教室での美結も直哉と話している美結も同じで、他人との距離が近い。相手の手首や袖を引っ張る事はよくやっている。女子は勿論の事、男子の一部からも彼女は下の名前で呼ばれている。その事に全く照れがない。
直哉がそう考えていると、美結が思い出したように「あっ」と声を上げる。
「佐伯くん、この前読んでた。『私だけの時間』どうだった?」
「ん? ああ、面白かったよ。当初の期待値を超えた終わり方だった。読み終わって、しばらく感情が影響を受けた感がある」
「へぇ。なるほどなるほど。佐伯くんがそうなるなら、私も買おうかな」
「良かったら貸そうか?」
直哉が提案すると、美結は微笑んでからゆっくりと首を振った。
「ううん。私、自分で読もうと思った本は買うようにしてるから。ありがと」
「新藤さんが読み終わったら、感想聞かせてよ」
「うん、勿論」
直哉の提案に彼女が同意して、二人は最寄り駅へと足を進める。これから一週間、この生活が始まる。直哉にとって図書委員の仕事が中学よりも楽しく感じられた。
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