神様も生きる意味など知らないの

キノハタ

ゆあの旅路

 拝啓、お父さんお母さん。


 ちょっと旅に出てきます。


 一週間ほどで帰りますので、探さないでください。


 ゆなねーちゃんも一緒なので心配ありません。


 ではでは、いってきます。





 ※





 13歳になった夏の日のこと。


 私がとあるお姉さんに命を救われて7年が経ったある日のこと。


 私は知り合いのゆなねーちゃんの背中に引っ付いて、バイクの2人乗りで旅に出ました。


 生きる意味を探すための、そんな旅を始めました。

 



 ※






 夏の日差しが少し木陰で遮られる中、ゆなねーちゃんの運転するバイクの後部座席に私は乗っていました。


 夏場だから、バイクが勢いよく走る風がとても心地よい日和でした。ただ、風のせいでうまく声が通らないのが玉に瑕です。


 なので、私は風に負けないように大きく声を張り上げます。どれくらいで、目的地のまゆさんの家につくのかを尋ねます。


 そんな私と同じように、ゆなねーちゃんも負けじと声をはりあげます。ただ、そうしながらも、狭い山道をバイクですいすいと、こともなげなく抜けていきます。


 ちなみに、まゆさんのお家につくのは川沿いに休まず行って丸一日くらいだそうです。高速に乗ると、三・四時間ほどでつくそうですが、今回はそれは使いません。それでは旅の主旨と違うのです。


 そんなこんなで、二人っきりで、車もほとんど通ってない川沿いの山道を進んでいきます。私の生まれた街から少し南に下って、目指すは私の命の恩人のまゆさんの住む街です。


 そうやって、時折、叫ぶみたいに会話しながら、私達は川沿いの道を抜けていきます。


 少し黙れば、響くのは風の音と、川のせせらぎ、それとバイクのエンジン音だけです。どれもかれもが、音としてはあるはずなのに、ふと気を抜くと意識の中から消えてしまいそうになります。まるで、いつもになっているのに気づかない心臓の音みたいに。


 ゆなねーちゃんがアクセルを回すたび、バイクがそれに応えるように声を上げます。そして、ゆなねーちゃんの身体が傾くたび、導かれるようにバイクが進路を変えていきます。そんなねーちゃんに抱き着きながら、私は後部座席で、ただ流れていく景色をぼんやりと眺めていました。


 緑に染まった木々を、時折その隙間から覗く川原を、ふと周りを見回せば私達を囲むようにそびえたっている山々を。


 ただ茫然と、ただ漠然と眺めていました。


 何の意味も知らないまま、何の意義も持たないまま。


 ただ、ぼんやりと。


 流れゆく風の中で、彼らが後ろに通り過ぎていくのを、ただ感じていました。


 ごうごうと風の音がします。


 私だけを取り残して遠くへ進んでいくような、そんな音がずっとどこかで鳴っています。






 ※






 昔、昔、私は、私なんて生まれてこない方がよかったのにと想っていました。


 だって私は、お父さんとお母さんが欲しかった、『いい子』じゃなかったから。


 お父さんとお母さんは、私を有名な私立の小学校に入れようとして失敗しました。幼稚園を出たばかりの私にはどうしても、知らない先生の前ではきはき質問に答えるなんてできなかったのです。


 どこそこのオリンピック選手を輩出した、すばらしい運動教室に通いましたが、私はどれだけ頑張っても鉄棒の技一つできませんでした。


 たくさんの子どもが通う有名な塾にも行きましたが、泣くほど勉強しても、私はいっつもびりっけつでした。


 ピアノは結局よくわかりませんでした。でも、楽譜が読めるようになって、初めて『ドレミの歌』が弾けるようになったときは嬉しかったです。ただ同じ時期に入った子はその頃には、『エリーゼのために』を流暢に弾いていました。


 英会話は特に上手くも下手でもありませんでした。英語の先生は笑って、ゆあちゃんは普通だね、と言っていました。私としてはそれ(普通)で上出来なのですが、お父さんとお母さんは、その先生に教え方が悪いと、いつも文句を言っていました。


 友達はうまくできませんでした。お父さんとお母さんが、あの子と仲良くした方がいいよというので、その子と仲良くなろうとしてみました。でもなんだか話が合いません。だってその子は賢くて、難しいことばっかり言うのです。嫌になって違う子と遊んでいたら、そんな子と遊んじゃダメって怒られました。


 お父さんとお母さんは私のことでよく喧嘩をしていました。


 結果がでないのは、お前のせいだ、あんたのせいだって。そうやって、いつもいつも喧嘩をしていました。


 ある時、テストがあまりにできなくて真っ赤に怒ったお父さんに叩かれました。


 忘れものばかりしていたから、お母さんにつねられました。


 怖くて怖くて頑張ったら、ちょっとだけ成績が上がって、その時は2人とも、ちょっと喜んでくれました。


 ただ、それからは失敗するたび、手が飛んできて。それが嫌で頑張ったら、2人とも満足そうでした。


 泣きたいけど、泣いたら叩かれるから。いつの間にか、泣いても涙を外に溢さないようになりました。


 頑張って褒められるのは嬉しいはずなのに、独りになった時に涙がなんでか止まりませんでした。


 つらくて、苦しくて、でも見捨てられたくなくて。一杯よくしてくれてるのは、知っていたから。だって私のたった2人だけのお父さんとお母さんだから。


 できないことを頑張りました。たくさん。たくさん。


 ただ、たまにぼんやりと。


 いなくなりたいな、って想っていました。


 自殺、なんて言葉、当時の私は知りもしなかったけれど。


 別に自分は生まれてこなくてよかったんだろうな、って想っていました。



 



 知らない人にも、はきはき喋れる子だったら。小学校は受かってたよね。


 運動が一杯できる子だったら。オリンピック選手も目指せたかも。


 賢い子だったら。たくさんの子どもの中でも、塾で一番いい成績がとれたかな。


 ピアノもきっと、あの子なら『エリーゼのために』が弾けて、お母さんとお父さんはきっと笑顔になったよね。


 英会話は、いっそ下手だったら、もう嫌だって言って辞めてしまうことができたのかな。そういう子を一度、見たことがあったっけ、私は言えなかったけど。


 もしも誰とも仲良くできる子だったら。そんな子は、一体誰と友達になるのかな。


 もし生まれてきたのが私じゃなかったら、お父さんとお母さんは喧嘩なんてしなかったんだろな。


 上手くいったのは、お前のお陰だ、あんたのお陰ねって。そんな風に褒め合っていたに違いないよね。


 だから、生まれてきたのが私じゃなければよかったのにって、時々想っていたんだよ。


 ずっと、ずっとずっと。


 ただそんな私でも、大事にしてもらえる時が、実は一つだけあったんだよ。


 


 鉄棒に失敗して、腕を折ってしまった時、泣くほど痛かったけれど。そんなことよりも、そんな私を必死になってあやしてくれるお母さんがいました。必死に病院を調べて、腕が折れている間、お父さんが色んなことを代わりにしてくれました。


 お父さんもお母さんも、これまでにないくらい心配してくれて。治ったら泣いて喜んでくれました。


 私も泣いて喜びました。


 だって、泣くほど喜ぶ2人の顔なんてその時くらいしか見られなかったから。


 その顔を見た時だけは、私はここにいてもいいんじゃないかなって想えました。


 そうして当時の私は。ある日、信号待ちをしているときに、お父さんの手から離れて、わざと車の前に飛び出してみたのです。


 それで死んでしまうかもしれない、とまではいかずとも。酷く痛い目にあうというのは、小さいながらなんとくは分かっていたのですが。


 別にそれでもいいか、と心のどこかで想っていました。自分が酷い目に遭ったとしても、仮にいなくなってしまったとしても。


 そしたら2人はきっと泣いてくれるから。


 その顔を見れたらいいやと、そう想っていました。




 今でも、あの時のことは、ちゃんと覚えています。




 頭が割れそうになる程響くブレーキの音も。


 なんでかゆっくりと向かってくる車の姿も。



 そんな私をかばうみたいに抱きしめた、震えた優しいお姉さんも。



 覚えています。全部、全部。


 こんな私を、命を懸けて助けてくれた人のことを。


 そうして助かった後に、言ってくれた一言も。


 今想うとちょっと不思議な言葉でした。だってお姉さんは、私がどんな家庭で育っていたかなんて知りもしないはずなのに。


 私に向かって、すごく真剣な顔をして言ってくれました。


 ずっと私が欲しかった言葉を。



 『生まれてきてくれてありがとう』って。



 なんてことはない、言葉だけど。


 ただ、その日、出会っただけのお姉さんの、言葉だけど。


 でも、その一言が、そのたったの一言が、私がずっとずっと誰かに言って欲しかった一言で。


 私よりすごい誰かじゃなくて、私じゃない誰かじゃなくて。


 ただの『私』が、今の『私』が生まれてきてよかったって、ここにいてよかったって。


 ただ、その一言だけを私はずっとずっと待っていたんだと。


 その時、初めて私は知りました。




 あれから7年。


 私を取り巻く環境はそれとなく変わって。今、生きています。


 お父さんとお母さんは前ほど、強く何かを言うことはなくなりました。ただ、何度か知らない大人の人が家に来てから、少し遠慮して話をするようになっていました。叩くこともめっきり減っていきました。


 遠慮がちに話されるのは、少し寂しい気はするけれど。ずっとジクジクと傷んでいた胸のつっかえや、頭の痛みも一緒にどこかにいっていました。


 たくさん背負いきれないほど掛けられていた期待は、ちょっとずつ、ちょっとずつ私の背中から下ろされていきました。


 徐々にゆっくりと。ほんの少しずつだけど、確実に。


 私の両親は抱き潰すほどの腕を緩めて、ゆっくりと距離をとっていきました。


 一体何があったのかは知りません。聞いても答えてはくれません。


 大人になった時になら、教えてくれたりするでしょうか。


 ただ、何はともあれ私は、そうやって少しだけ肩の荷を下ろして、13歳になる日まで無事、生き永らえることが出来ました。


 今は公立の中学で勉強はそこそこにやっています。運動は相変わらず苦手で、体育は憂鬱です。音楽は楽譜が読めるだけで、エリーゼのためには結局引けませんでした。英会話は相変わらず程々です。あと英語の成績は何故だかむしろ悪いです。英会話の先生はその話を聞くと笑っていました。学校の英語と英会話は違うからって。


 ただ、友達関係で何も言われなくなったのは、すごくありがたくて。いつも仲のいい子と遊んで楽しく過ごしています。部活も楽しくて、今は新聞部で写真を撮っています。


 時々、幸運なことにこんな私を好いてくれる人がいて。好きですと告白されたりもするけれど、私の初恋はまだ終わっていないので、みんな丁重にお断りしています。その初恋が叶う見込みは、残念ながらかなり薄かったりするのですが。


 そんなわけで、私は今日まで生きてきました。




 ただ、まゆさんが解いてくれたはずの呪いは未だに私の胸の中で、燃え残った灰みたいにチリチリと燻っていました。




 私は生きてていいのかな。




 生まれてきてくれてありがとうと、告げられて。その言葉に救われて。


 そうして与えられた人生で、私は未だに気づいたら、ふとした瞬間に迷子になってしまうのです。


 ふと自信がなくなって。ふと目の前が暗くなって。


 あの時のお父さんとお母さんが。


 あの時の小さな私が、時々、冷たい声で聞いてくるのです。


 本当にお前なんかでいいのか? って。


 お前は、何のために生きているんだ? って。


 そんな問いを時々投げかけてくるのです。


 生きる意味って何でしょう?


 何のために生きればいいのでしょう?


 理由がないと人は生きていけないんでしょうか?


 だとしたら、私は一体何のために生きていけばいいのでしょうか?


 悩みに悩んだ末に、結局分からなくて私はまゆさんを、かつてこの命を拾ってくれた人を訪ねてみることにしました。そこに行くまで旅をしたら、きっと何か、私の生きる意味が見つかる気がして。


 ただ、電車であっという間に行ってしまうのはもったいないので、ゆなねーちゃんの出番なわけです。


 まゆさんは昔、生きる意味を探すために一週間、原付で旅をしたそうです。だから、私もそれに倣って、旅をします。


 向こうにつくまでたった一日だけだけど、これが私の人生の意味を探す旅なのです。




 ※




 私が旅の理由を話しても、ゆなねーちゃんは何も言いませんでした。


 そっか、って、優しく微笑んで。鼻で笑い飛ばすでもなく、深刻に受け止めるのでもなく。ただそのままに、私のお願いを聞いてくれました。


 とはいって、頼んではみたものの、私に特にこれといった宛てはありません。


 どうすれば生きる意味が見つかるとか、どうすれば死なない根拠がみつかるのか。そんなのちっとも思い浮かんでなんていません。


 強いてとっかかりを上げるなら、まゆさんが昔私と出会った時、旅をしていたということくらいだけです。


 その旅でまゆさんは生きる意味を見つけたそうです。だからそれに倣ったら、私も何か生きる意味をみつけることができるのかもしれないって、そう想ってみたのです。


 宛てもない旅です。根拠のない探索です。ゴールのないすごろくみたいなものです。


 もしこれが人生ゲームなら、お金って言う一番わかりやすい指標があったのですが。なにぶん、実際の人生にはそんなに都合よく目標は設定されたりしていません。


 人生の意味とは何ですか。


 幸せになることですか。


 誰かと一緒にいることですか。


 お金をたくさん稼ぐことですか。


 何かを成し遂げることですか。


 人によって違うなら、私のそれは何ですか。


 何をこの手に掴んだら、私は胸を張って生きてていいって想えますか。


 眼を閉じて、心の奥の私に聞いてもさっぱり答えてくれません。


 帰ってくる反響は、ゆなねーちゃんのバイクにしがみついて過ごすこの時間が、少し気持ちいいと想っていることくらいでしょうか。




 ※



 ある山道の奥の方で、ゆなねーちゃんはふと思い立ったように、バイクを道端に止めました。


 どーしたの? って、私が聞いても、ちょっと楽しそうに笑いながら、私を置いてバイクからさっさと降りてしまいます。それから、指でついてくるようにとだけ示してきました。私は軽く首を傾げながらゆなねーちゃんの傍にそっとついていきました。


 そしたら、山肌の少しくぼんだ所にお地蔵さんが見えました。きっと、古ぼけてもう長い間誰もお参りしてないような、そんな小さなお地蔵さんです。顔や身体はあちこち欠けて、辺り一面苔むして、かけられた布も元の色が分からなくなるくらいボロボロです。


 そんな場所にゆなねーちゃんは、リュックから取り出した缶コーヒーを一つことんと供えました。


 それからぱんぱんと手を合わせて祈ります。……どうでもいいですが、それは神社でのお祈りの仕方じゃないでしょうか。お地蔵様って仏教のお人では? 私は軽く首を傾げますが、まあ当のゆなねーちゃんが気にしていないので、私が気にしたところできっと意味などないのでしょう。


 やることもないので、真似をして手を軽く合わせてみました。


 それから、じっと目を閉じて。


 心の中で、そっと祈ります。


 お地蔵様、お地蔵様。


 私の生きる意味ってなんですか?


 私は何をしていたら生きてていいって想えますか?


 誰のためになら。


 幾らのためになら。


 何をするためになら。


 私は生きていていいのでしょうか。


 そう想ったより、真剣に祈ってしまいました。きっとこれまでの旅で想ったより、とっかかりが見えなかったからかもしれませんん。


 どうにか答えが欲しかったのです。


 どうにか言葉が欲しかったのです。


 私の道を指し示す何かの言葉を。


 眼を閉じていたら、山道の音があちこちで響いています。風の音、木々の音、川の音。


 そして。


 誰かの声。


 聞こえるはずのない、誰かの声。


 そっけなくて、優しくて、投げやりに、でもどことなく思いやりに満ちたような。


 そんな不思議な小さな声。



 『そんなこと俺にだってわからんよ』


 

 そうして、どこかちょっと困ったような笑い声で、その人はそうぼやいていました。


 私は少し驚いてしまいました。


 風の音にしては、私の妄想にしてはいやに明確で、だけどちょっとたよりないそんな声、だったから。


 それから少し、ぼーっとして。


 そして、思わず笑ってしまいました。


 そっかあ、わかんないですか。


 一体、何処の誰だから知らないけれど、きっと私なんかより凄くて偉くて立派な、どこかの誰かの声なのでしょう。ただそんな声にすら、私の生きる意味はわからないそうなのです。


 なんてこったい、と思いました。


 ただ、そりゃそっかあ、とも思いました。


 まあ、仕方ないかな、って軽く息を吐きながら、思いました。


 そうして、ふと、眼を開けました。


 目の前にあるのは、さっきと変わらぬお地蔵様。何一つ変わらない、そんな姿。一体、どれくらい祈っていたのか、ゆなねーちゃんはいつの間にか缶コーヒーを回収してバイクの所で私のことを待っていました。


 さっきね、誰かの声が聞こえた気がするのと、私が言うと、ゆなねーちゃんはちょっと驚いたような顔をして、でもどこか楽しげに私の話を聞いてくれました。


 あれは一体、誰だったのでしょう。


 お地蔵様にしては随分と、そっけない感じがしたものです。山の声か、川の声か、それとも神様の声でしょうか。


 なんにしても、そんな凄い声に聞いても私の生きる意味は、残念ながらわからないそうなのです。


 そんな話をしていたら、ゆなねーちゃんは笑いながら教えてくれました。


 生きる意味なんて、結局、全部、後付けだよって。


 たくさん何かに頑張って、たくさん誰かと一緒に過ごして、たくさん何かを手に入れて。


 ふと、振り返ったときに、ようやくそこに名前を付ける。


 あれがしたい、これがしたい、って言ったところで、ふと歩ききって振り返れば、まったく違うもののために歩いてきた気がするもので。


 生きる意味ってそんなものだよって、教えてくれました。


 私はそっかって、ちょっとだけ納得しました。


 生きる意味って何なのか、ずっと探してみたけれど。


 それは歩くための杖じゃなくて、それは歩いてきた道に後付けでつける名前のことだったみたいです。


 最初っから見当違いの何かを探していたのです。


 それじゃあ神様にだってわかりっこありませんね。


 だって私は、まだ道を歩いている途中ですから。


 そう、だからきっと。




 神様も生きる意味など知らないの。



 



 ※






 たった丸一日の旅を終えて、私は命の恩人のまゆさんの家までやってきました。


 小さなアパートにまゆさんはゆなねーちゃんと二人暮らし。


 大人っていいなあって、私もゆなねーちゃんくらいの年だったら、まゆさんの所に転がり込んで一緒に暮らすのに。


 早く大人になりたいって二人に言ったら、まゆさんは優しく微笑んで、ゆなねーちゃんは呆れてました。


 その日のご飯はパエリアで、私がちょうど家に着くころに、夕食としてまゆさんが準備してくれていました。


 熱々のおっきなフライパンに入った、たっぷりのパエリアを三人で囲んで食べました。


 まゆさんと一緒にお風呂に入って、ゆなねーちゃんと一緒に布団に入りました。


 暖かさに身体が満ちて、美味しさに心が満ちて、眠気がすっと私の背中を押しました。





 ※




 夢の中で、お父さんとお母さんが、そして小さい頃の私が、今の私に向かって尋ねてきます。


 本当に私なんかでいいのかな?


 わかりません。


 私は一体、何のために生きているのかな?


 わかりません。


 ただ、誰にもわからないものだよ、ということがわかりました。


 わからないという、答えのままに、私は今、生きていくみたいです。


 生まれてきてよかったの?


 って、今の私が聞いてきました。


 私はそっと頷いて、その子を優しく抱きしめました。


 それはきっといつかの私で、それはきっと今の私です。


 生きる意味がわからなくて、不安で不安で仕方のなかった私の心です。


 答えがあれば、その不安は消えて無くなると。ずっとそう想っていました。


 でも、きっと不安そのものは、ずっと私の心の底に残り続けていくものなのでしょう。


 いつか救われたはずの私が、まだ時々不安になるみたいに。きっと、本当の意味で不安というものがなくなることは、ないのでしょう。


 だから、そっとそんな心を抱きしめて、また明日。ちょっとした不安を抱えながら、きっと私は生きていくのでしょう。


 これでいいのかなって、想いながら。


 これでいいんだよって、謳いながら。


 結局のところ、生きる意味は後付けです。


 たくさんたくさん歩いた先に、誰かと繋がった果てに、ふと振り返った時に、初めてその道に名前を付けるのです。


 だから、きっと今この瞬間の生きる意味は、神様だって知らないのです。


 そんな今日を何度も何度も積み重ねて、私は生きていくのです。


 そんな今日を過ごしていったら、いつかこの命が終わるとき。


 私は胸を張って誰かに答えを言えるでしょうか。


 神様に、私の生きてきた意味を教えてあげることができるでしょうか。




 明日また、朝が来たら。




 そうやって、ずっと生きていくのでしょう。


 


 いつかこの命が終わるまで。

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