3


「やっぱりきっと、好きな人が居なくなるのは、離ればなれになるのは寂しいわ。多分だけどね」

 その通りだなと思った。




 リクが死んだ次の日、学校を休んだ。

 特に休もうと思ったわけではないが、気がついたら休んでいた。彼女と僕の間柄は、下駄箱でキスをしていたのを多数目撃しているので、今回の件で学校中に広まったかもしれない。

 少なくとも担任の先生から連絡は無い。

 一日くらいなら、休ませてくれるつもりなのかもしれない。

 昨日はあの後、警察署で少しだけ話をしただけに終わった。警察は僕をどう思っているのかは分からないが、すぐ家に帰してもらえたことから、加害者とは思われていないようだった。

 だけど僕自身は知っている。

 リクを殺したのは僕だ。

 僕に対して告白する行動は、自殺するという行動に置換されたのだ。自殺する、別に舌を噛み切る必要も無かったのだろうが、一番瞬間的に自殺する方法がそれだったのだろう。

 しかし、これではリクと親しくなるにつれて、彼女を徐々に死に近づけているだけだったのだったことになる。そうとも知らず僕は、彼女に惹かれていった。

 リクが死んだとき、彼女のそばで泣き続けた。

 あんな死に方をして苦しかったはずだ。だけど、リクが死んだ時、リクは僕の好きな、笑顔だった。

「ごめん」

 話しかけても彼女は何も言わなかった。

 好きだった唇は、大量の血でほとんど見えなくなっていた。

「なんで……」

 思考を振り払うように頭を振ってみるが、何も変わらなかった。

 携帯電話の電源をつけた。それと、同時に複数のメールが届いた。山田と夕部から、メールが届いていた。どちらも間接的、直接的の違いはあれども、励ましてくれる内容だった。

 叔母からのメールも少しだけ開いてみたものの、見なきゃ良かったとおもって削除した。別に内容が気に障ったわけではない。

 リクが死んだことをすでに皆、知っているようだった。

 携帯電話にワンセグがついていることを思い出し、ワイドショーを映した。

 どうやら、もう午後になっていたらしい。

 いつ眠ったのか、いつ起きたのか、起きてからどれほどの時間が経過しているのかも、まったく思い出せなかった。

 チャンネルの設定なんかは分からなかったが、特にチャンネルを変える必要は無く、そのチャンネルではすでに知りたい情報を伝えてくれていた。

”女子高生、謎の死!”

 画面の右下に書かれていた。

 リクの実名は出ていなかった。

 A子と書かれたボードを指して、アナウンサーが何か喋っていた。

 いやな汗が出できた。

 それでも映像を消せなかった。犯罪者が犯行現場に戻ってくる心理が、漠然と理解できた。ワイドショーの画面が切り替わると、女子生徒がインタビューを受けていた。

「とても優しい人でした」

 再び切り替わる。

「信じられません、なんであんな良い人が死ぬなんて」

 良い人、優しい人。

 そうだ、彼女は良い人だった。優しい人だった。

 今度は画面に成人女性が出てきた。顔は分からない。

「娘は……」

 女子高生の母親とテロップにあった。リクの母だ。彼女はひたすら泣き続け、次の言葉は出てこなかった。

 小さい携帯電話の画面からでも、昨日の出来事が現実だと証明してくれた。

 もう十分だ。

 そう思ってもテレビを消すことは出来なかった。これ以上情報が手に入らなくなり、同じ情報を繰り返すようになっても、話題が変わるまで、画面から目を離すことを止められなかった。

 リクの話が終わると、明るい話題になった。スポーツの話題で、先程まで深刻そうな表情だったアナウンサーも、ここぞとばかりに元気いっぱいの表情でテニスプレイヤーに笑顔を送っていた。

「ああ」

 口から声が漏れた。

 携帯を閉じると、そのままベッドで仰向けになった。

 なにを考えても整理がつかない。そもそも何かを考えようとも思わない。罪悪感がへばりついて、他の追随を許さない。

 ただただ時間が消費されて、悲しみも何も消えなかった。

「僕が殺した」

 誰にもいえない言葉。

 だけど誰かに聞いてほしい言葉。

「僕が殺した」

 呟いても、誰も慰めてくれない。

 あの唇から、もう言葉は出てこないのだ。




 チャイムの音で目を覚ました。いつの間に眠っていたのだろう。

 時間を確認すると、今は夕方の四時半だった。

「すみません」

 次はドアを叩く音がした。

「誰か居ますかー?」

「はい」

 ジャージ姿のままドアを開いた。

 二人の人間が、こちらを見ていた。僕は嫌悪感を抱いた。

「警察です」

 別に警察だったから嫌悪感を抱いたわけではない。

 二人とも、女性だったからだ。

 一人は警察手帳を見せて、自分が警察だとアピールしていて、もう一人は何も言わずにつったっているだけだった。どちらも、昨日の警察署に同行した時には見たことの無い顔だった。

 二人とも二十代後半に見えるが、女性に疎い僕には、それが正しいとは言い切れない。それに、どちらも喪服のような黒いスーツにネクタイだったため、年齢はさらに分かりづらくなっていた。もしかしたら本当に、今日、リクの葬式に出席したのかもしれない。

 だとしても、黒いネクタイくらいははずしてもらいたい。

「あなたが、瀬村文人君?」

「はい」

 ずいぶんと固定的な笑顔だった。どう顔の筋肉を動かせば、効率よく笑顔を作れるかよく分かっている、事務的な笑顔だった。

「はじめまして、栗野です」栗野さんは、もう一人の刑事を指差した。「こっちは柿地、まあ部下みたいなものですね」

「はあ」

 返事なのか溜息なのか分からない対応で済ます。

「変わった名前でしょ?」

「いや特に……」

 別段変わっていないと思ったが、そんなことより早く話を終わらせてほしいと思った。

「あの、用事はなんですか?」

「そのくらい分かるでしょ。今、時間いいかしら?」

 馴れ馴れしいというよりは、見下しているような口調だった。

「いいですけど」さすがに嫌とは言えなかった。「昨日話せることは全て話したと思いますけど」

「それじゃあ、昨日話せなかったことも話してもらえる?」

 彼女に睨まれる。

「そういう意味じゃありませんよ」

「本当?」

「はい」

「栗野先輩」

 柿地と呼ばれた刑事は、栗野さんの前に軽く手をだした。栗野さんは柿地さんを一瞬にらみつけたように見えたが、すぐに引き下がった。

「ごめんなさいね、昨日の今日なのに。でもね、だからと言って、あなたの精神を考慮して事情を聞くのを先延ばし、なんてことはできないの」

 栗野さんは、どこか攻め立てるように言った。

「分かります」

「ありがとう。質問の内容は、昨日のことと、その和泉陸空さんとの関係がメインになると思うわ。昨日聞かれた内容と同じことを聞かれることもあると思うけど、ちゃんと答えてね。私いなかったし」

「わかりました、その……今日は、リクの葬式だったんですか?」

 僕は多分無表情だっただろう。鏡を見ていない為、今日の自分の顔がどのようなコンディションなのか分からない。

「そうよ」

「喪服のままなんですね……」

「嫌なの?」

「別に……」

「嫌だとしても関係ないわ、警察は市民に優しくないのよ」

 

 

 

 喫茶店で話をすることになった。

 なるべくなら移動せずに、家の前で済ませたかったが、半ば強制的に連れられてしまった。

「瀬村君は、和泉陸空さんが亡くなる瞬間、そばに居たって聞いたけど」

「はい」

「その時、瀬村君は彼女に対して、何もしてない?」

「はい」

「じゃあ、彼女が勝手に舌を噛み切ったの」

「はい」

 リクが死んだのは僕のせいだ。なのに、自分でも驚くほど平然と、かつスムーズに嘘をついていた。

 嘘をつくたび罪悪感が芽生えた。

 それでも、その罪悪感を含め、これが最良の選択だと知っている。

 もう人に自分の能力のことを言うつもりは無い。ましてや、目の前にいる刑事に言ったところで、状況は変わらない。むしろ、馬鹿にされて変に勘ぐられ、それによって目の前の二人が、置換によって不幸な目にあうことになるかもしれない。

 それならば、嘘をついていたほうが、二人の刑事の為でもあるのだ、そう考えることにしたのだ。

 それに……、誰かに言って裁いてもらえるとしても、それを人に言う気力はまだ無かった。

「あなたと、彼女の関係は?」

「先輩と後輩です」

「特別な関係ではなかったと?」

「はい、特別な関係ではありませんでした。もしかしたら、彼女が生きていたら、そんな関係になったかもしれないですけど」

 リクが生きていれば。一瞬先の未来には、そんな関係があったかもしれない。いや、あったはずなのに。

 だが、最も限りなく近い位置で終わってしまった。彼女の未来が消えてしまった。

「じゃあ君は、彼女の事が好きだったの?」

「はい」

「そうなんだ、意外ね」彼女はコーヒーを手に取ると、香りも楽しまずにそのままぐびぐびと飲んだ。「苦いわねこれ。コーヒーなんて苦いものを、好んで飲む意味が分からないわ」

「砂糖を入れれば良いじゃないですか」

 彼女だってコーヒーに砂糖を入れるという手段があることくらいは知っているはずだ。

「入れたって変わらないわよ、苦いのを砂糖で誤魔化すってこれ以上無いほど非生産的だと思わない? それなら苦いまま飲んだほうがマシ」

「そうですか」

 コーヒーをあまり飲まないし、美味しいと思ったことも無い。コーヒーに対する感想だけは同意見のようだ。

「屋上でなにをしてたの?」

「告白です」

「告白? ロマンチックなことしてるわね、最近の高校生は屋上で告白するのがブームなの? もっとなんか、校舎裏とかじゃないの?」

「知りません。彼女に呼び出されたんでそこに行ったんですよ」

 僕はポケットの中から紙をだした。リクに呼び出された時の紙だった。

 あの時のメモ用紙を持っていた。

 別に、こんなことを想定して持っていたわけではない。あの時からずっと持っていただけだ。

「あ、これね」どうやら話は聞いてたらしい。「これもらっていい?」

「駄目です」

 なにを聞くんだこいつは、これはリクが僕に渡したものだ、そんな簡単に渡すわけないだろう。

「そう、じゃあいらないわ」

 栗野さんは僕を馬鹿にしているように、紙をこちらに投げて返した。その態度に、珍しく僕も腹が立ったが、なにも言わなかった。

「最近の若い子供は、キレやすくて怖いわ」

 栗野さんは僕を見下すように笑っている。万が一それが被害妄想だとしても、とてもじゃないが好きになれそうにない笑顔だった。

 自分自身から、嫌悪感が溢れ出していくのが分かる。

「ま、別に貸してもらえるなら、貸してもらおうと思っただけ。別に渡したくなかったらそれで良いって意味」

「そうですか」

「でも、それじゃ変じゃない。告白ってどっちが? あなたからだったら、陸空さんが呼び出すはずもないじゃない」

「リクが僕を呼び出して告白した。それじゃ駄目なんですか?」

「あの美少女が、あんたを?」

 栗野さんは、可笑しくてたまらないような表情になった。

 なんだこいつは。

 僕を馬鹿にして一体なにがしたいんだ、刑事と言うものはこんな人間ばかりなのか。横にいる柿地さんも止めようとすらしない。

「ほらほら、怒らない怒らない、男の子でしょ?」

「関係ないでしょ」僕はコーヒーを少し口をつけて落ち着かせた。確かに苦い。「で、リクは男の趣味が悪かった。それで僕にうまくだまされて、好きになった。そんで告白した。それでいいでしょう。何か迷惑をかけましたか?」

「迷惑がかかってるからここにいるのよ。じゃあ、彼女はいつ死んだの? 自分で舌を噛み切った、と聞いていたけど」

「リクが僕に告白する時です……」

「同時に?」

 栗野さんが疑問を首をかしげ、疑問をアピールした。

「はい」

「それはずいぶんとサプライズな告白だったわね」

「悪いですか?」

「後味は悪いわね」コーヒーをぐびぐびと飲み干した。「苦いわね。同時って一体どんな告白だったの、よく聞き取れたわね」

「聞き取れませんでした。ただ分かったんですよ」

 自分でも矛盾したことを言ってしまっているなと思った。

「へえ。まあ別にいいわ」

「変ですか?」

「全然変じゃないわ、確かに矛盾はあるけど、お互いに特別な関係と意識しているところはある。そう言っていた人は複数いるのよ。つき合っていると思っていたという証言まであったわ」鼻で笑った。「あなたは陸空さんに告白されたと言った。あなたの主張はそこまでおかしくないわ」

「じゃあ、なにが変なんですか? さっき変だって言いましたよね」

 僕はイライラしていたが、それをなるべくは出さないように聞いた。

「私の疑問はね。なんであなたは、そうも消極的なのかって思ってね」

「消極的?」

「そう、あなたの怒りは嘘ね。間違いない」

「嘘?」意味が分からなかった。

「そう嘘、怒っているふり。ここで陸空さんを馬鹿にされた、不自然だから怒ろう。そんな怒りね。あんた刑事を甘く見てるでしょ」

「何のことですか?」

「あんた、この場から早く去りたいだけでしょって言ってるのよ」

「それは……」何か見透かされたような気がして目を伏せてしまった。「いえ、そうですよ、早く去りたいんです。何が悪いんですか。勝手でしょう」

「ねえ」彼女は右手で僕の顎を掴み、強制的に視線を合わせた。「あんた、陸空さんがなんで死んだか見当がついてるんでしょ」

「知りません」

「あんた、もしかして自分の両親も……」

 彼女の手をはじいた。

「知りません!」僕は顔をあげた。「コーヒー、ありがとうございました」

 僕は逃げるように立ち去った。

 

 

 

 今は何日だろう。

 携帯電話の電源を入れた。リクが死んでから、時間経過の把握が上手にできなくなっていた。

 ぼんやりしていたら一日経過していたりする。

 リクのことばかり考えている。

 電源を入れたことで、携帯電話が自動的にメールを受信した。

 最後に受信したのが二日前だったが、メールは二桁あった。案の定、半分が叔母からのメールだったのでそれらは全て中身も見ずに削除した。

 夕部、山田のいつもの二人が励ましのメールを送ってきてくれていた。そして、鈴子さんからのメールもあった。

 鈴子さんはリクを亡くしてなにを思っているのだろうか。まさか、僕が殺したと思ってはいないだろう。

 本文を見てみると、予想とはかなり異なるものだった。

 ″パソコンの電源をつけて欲しいそうです。″

 その一言では、彼女の感情は何一つ読み取れなかった。

 鈴子さんとメールをしたことはあまり無いが、いつだって淡白を貫いた文章だったので、そういう意味ではいつも通りだったと言える。

 パソコンを起動させる。なぜ、パソコンをつけろと言ったのだろうかと考えて、やはりチャットをしろということなのだろうか。

 起動中もリクのことで頭が一杯だった。死んでしまってから、僕はリクに関してなにも知らなかったことを気がついた。

 一ヶ月強という、短い期間の彼女しか知らない。それもほとんどが部活によるものだ。あとはワイドショーなどでみた彼女の身辺について少しだけ見ただけだ。

 しかし、ワイドショーなんかで得た彼女の知識は、どこか僕の中から浮いていて、彼女のことを考える際には、あまり役に立たなかった。

 パソコンから、電子音が聞こえた。

 レジがメッセで呼んだのだろう。もうこんな時間か。

 パソコン前に座る。

『こんばんわ』

 彼女のコメントが挨拶から始まることは珍しいが、その挨拶が時間的に正しいことはさらに珍しかった。

 コメントを返さなかった。なにを話せばいいか分からなかったからだ。

『先輩、話は聞きました』

『ごめん』

『ちょっとちょっと、いきなり謝らないでくださいよ、悲しいのはお互い様じゃないですか』

『レジはやっぱり、リクのことを知ってるの?』

『はい、私も水道高校の生徒ですよ』

『そうなんだ』

 想像どおりだった。

『先輩と同じ高校だということは、一生黙ってるつもりだったんです。すみません。でも、どうしても聞きたいことがあったんです』

『聞きたいこと?』

『リクさんが死んだのは先輩の能力のせいなんですか?』

 そうだ、レジは能力のことを知っているし信じてくれている。

 だから、彼女は今回の件でなにがあったか具体的には分からなくとも、僕を疑ってもおかしくない。

『先輩、私はなにがあっても他言しませんよ。だから教えてください、私はリクのことが好きでしたし、先輩のことも大好きです。だから真相が知りたいんです』

『それは』

 レジにだけなら、レジにだけなら真実を言っても信じてくれるだろう。

 それに、彼女には知る権利があるはずだ。

 それでも、人殺しの告白なんて、したくなかった。

『先輩』

『ごめん、僕は……』

 メッセのウィンドウを閉じようとする。

『待ってください先輩!』すかさず次の文字が続いた。『あの、せめて! せめて話をさせてもらえませんか?』

『話って?』

『明後日の放課後、会いませんか?』

『ごめん、悪いけど学校に行こうなんて気は……』

『私待ってます! 明後日の放課後、屋上で待ってますから!』

 そこでメッセの電源を切った。

 なぜ、よりによって屋上を?

 レジの考えてくることは分からなかった。

 明後日。

 僕は屋上に行くのだろうか。

 

 

 

「これでいいですか?」

 担任は、弓の弦のような不自然な動きで顔に表情を持たせた。

「ああ、ありがとう」

 書類は形式的なもので、学校活動に必要なものと言っていたが、本当に必要なものには思えなかった、先生も理由をつけて呼びたかったのだろう。この体育教師の偏見でできたような担任から、ありがとうなんて言葉を聞いたのは初めてだった。

「どうだ、最近は?」

「家から極力出ないようにしてます」

「そうか」声を更に大きくした。「不健康だな! たまには体を動かせよ!」

 その後、「何か困った事があったら何でも良いから相談しろよ!」という、テンプレートどおりの別れの挨拶に頷いて、職員室から立ち去った。

 携帯で時間を確認する。時間は四時を回っており、一年生ならばホームルームも終わっている時間帯だろう。

 自ずと屋上に向かっていた。

 屋上の扉には、A4用紙に手書きで立ち入り禁止と書かれていた。

 刑事ドラマみたいに、黄色いテープが張り巡らされてたりしていない。誰も犯行現場に近づこうなんて思わないのだろう。

 屋上、リクはここが好きだったのだろうか。

 少なくとも嫌いな場所だったらここに呼んだりしなかったはずだ。

 扉を開ければ、女の子がいた。

 香苗さんだった。

 彼女はベンチの上に立って、携帯電話を触っていた。こちらを少しだけ振り向くと、表情が明るくなった。完全にこちらに体を向ける。

「先輩ー!」

「香苗さん?」

「お久しぶりですー!元気でしたかー!?」

「うん、まあ比較的元気だったよ」

 彼女が僕に抱きついてきた。人肌が暖かかった。

「君がレジ?」

「そうなんですよー」

 ぴょーん、とウサギのようにかわいく跳ねるとくるりと回って。

 香苗さんは、

 舌をかみ切って死んだ。 

「なんで……」

 香苗さんの口から血が溢れる。

 彼女が倒れる。

 どうして。

 僕は逃げるように、その場から離れた。

 いや逃げた。

 

 

 

 二人目の被害者。

 呪われた高校。

 ワイドショーの、一目を惹きつけることだけに重点を置いたテロップが、画面の下を装飾していた。

 また携帯電話で、ぼんやりとテレビを眺めていた。

 今度は一人で死んでいた。香苗さんのフルネームは″田本香苗″。彼女は自分の名前を左右対称と言っていたが、フルネームで左右対称とは思わなかった。

 校長先生が謝罪をする映像が切り替わった。

「いじめが原因ではないのですか?」

 インタビュアーが質問した。そんなはずがないだろう、リクも香苗さんも人に好かれるタイプの人間だった。原因なんて僕しか居ない。

 僕が殺した。

 リクを。香苗さんを。

 怖かっただろう。

 舌を噛み切って死ぬなんて尋常じゃない、痛かっただろう。わけも分からないまま自殺なんてさせられて。

 急に嘔吐感がこみ上げてきた。

 台所に走り、胃液を吐いた。

 チャイムの音が部屋に響く。

 考えるとすぐに解答が出てきた、あの刑事だ。

 繰り返すチャイムの音が、頭を叩き、頭が割れそうになる。もうやめろ。あの刑事は僕にどれだけ嫌がらせをすれば気が済むのだ。

 僕は玄関の扉を開けた。

 あの掲示建ちだった。

「お久しぶり」

 栗野さんだ。少し後方で柿地さんがお辞儀した。

「お話することはありません」

「あなた、随分体調悪そうね、大丈夫?」

「大丈夫なわけ無いじゃないですか、人が死んだんですよ」

「それってどっちのこと?」

「どっち? 二人ですよ!」

「ふうん」彼女はこっちを睨んだ。「じゃあ今回の香苗さんの自殺と、陸空さんの自殺、何か関係があるとでも言うつもり?」

「そりゃそうでしょう! 二人とも死んだんですよ!」

「それだけで同一と言い切れる?」

 栗野さんは相変わらず見下すような態度だった。抑えきれなかった。

「まさか、香苗さんの時は僕が居なかったとでも言いたいんですか!? どっちも屋上で舌を噛み切って死んだ! なのに、香苗さんの時は僕が居なかった、だから関連性が無いとでも言うつもりですか!」

 栗野さんは口元だけを歪ましても笑顔をつくっていたが、ついに堪えきれないとばかりに、下品に笑った。

 あははは、あはははは。

「今回はね、報道規制してたのよ。陸空さんの時と違ってね」

「え?」

 頭が一瞬真っ白になった。

 頭に色が戻ってきた頃には、すでにすべてを理解できてしまっていた。

「今回は、自殺したとしか報道してないの、あなた学校にも行ってないわよね、どうやって知る事ができたの?」

「それは……」

「ああ、話は最初に戻るけど、あなたが話をすることは無くても、こっちにはあるの。来てくれるわよね?」

 吐き気がした。

 

 

 

 またこの喫茶店だ。

 間取りは狭く、従業員も近くをよく通る。音楽もJ-POPをオルゴール風にアレンジしたものを小さな音量で流しているだけ。とても、

 喫茶店で話をして良いものなのか分からなかったが、聞かれたことに答えた。

 主に、昨日の行動について聞かれ、学校に行った理由、チャットで呼び出されたこと、屋上でドアをあけたらいきなり香苗さんが舌を噛み切ったこと、そして逃げて帰ったこと。

 つまり、僕が変な能力があること以外は全て話した。

「ふうん」

 栗野さんは興味あるのか無いのか分からない様子で、頭を立てに少し振った。必要最小限の相槌だった。柿地さんは前回同様、何も喋らずに聞いていた、

「やっぱりコーヒーより紅茶よね。どっちを飲むって聞かれたら、可能な限り紅茶にするわ。紅茶の最大のメリットはやっぱり苦くないところよね」

 栗野さんは紅茶ごくごくと飲んだ。

「前回はコーヒーでしたけど」

「たまにはコーヒーを飲まないと、紅茶のメリットを忘れるじゃない。あれ、私なんでこんなの飲んでるんだろって。だからたまにはコーヒーを飲んで、紅茶のメリットを思い出すのよ」

 心底どうでもいい話だった。

「体調が悪いんですよ、それを無理やり連れ出して、いい加減にしてください。聞きたいことがあったら……」

「あ、聞いて良いの?」彼女が僕の声に割り込んで来た。「じゃあどうやって殺したの?」

「殺してません。僕が二人を殺す理由も無いでしょう」

「二人? 殺したのは二人なの? 両親のほうを言ってるの? それとも、陸空さんと香苗さんのほう?」

「いい加減にしてください。僕がどうやって舌を噛み切らせたっていうんです? そんな話聞いたことも無いですよ、非現実過ぎます」

 よくもまあ、そんなことを白々しく言えたものだと、自分の中の一人が呟く。

「確かに非現実よね、私もそう思うわ。でも、彼女らが勝手に舌を噛み切って死んだと考えるよりは、何らかの方法を使って舌を噛み切らせたと考えたほうが、少しばかりは現実的とは思わない?」

「思いません」

「陸空さんと香苗さんはどちらもあなたと二人きりのときに死んでいる。しかも片方に至っては隠そうとした。それであなたを疑うなってほうが無理ってもんよ。少なくともそのくらいは思わない?」

「確かにそうですけど。普通、僕の前で言いますか?」

「私は刑事よ、普通じゃないわ。少なくともクライアントに対して優しくないという点では、普通の職業と異なるわ」

「あんたは……」

 彼女が何かに気がついたように、少しだけ瞬きをした。

「あれ? もしかして怒ってるの?」

「あたりまえですよ!」

思わず叫んでしまう。

「あらそう」

「なにが不満なんですか?」

 声を落として言った。人が少ないとは言え、大声で話す内容ではないことに気がつくほどは冷静だ。

「それなら、それでいいわ。また話を聞きにくるわ」

「僕は、あなたと話をしたくありません」

「奇遇ね、私もよ」彼女は紅茶を飲み干した。「でもね、もしあなたが本当に誰も殺してないなら聞き流して頂戴。どこかおかしい人間がわめいてるとでも思って笑い話にでもすればいいわ。けど、もしあなたが殺したのなら絶対許さない。法が許しても、私はあなたを許さないわ」

 栗野さんの目が、鋭く僕を突き刺す。

「そうですか……、僕がもし彼女らをなんらかの方法で殺せるということが確率として本当に存在するのなら、僕が故意に何かしなくても、近くにいるだけに勝手に死ぬという確率だってあるんじゃないですか?」

「何か変わるのそれ? 死ぬって分かってて近づいたってこと? それなら殺したのと一緒じゃない、よく分からないこと言うわね」

「そう、ですね」

 彼女の言うことは正しかった。

「そうよ、それでもし自分は関係無いような面して生きているのなら、それは自分で殺すよりも性質が悪いわ。で、なんでそんなこと聞くの?」

「別に深い意味はありません、ちょっと気になっただけです」

「そう、それじゃあね」

 柿地さんはとうとう一言もしゃべらなかった。

 部屋に帰ると、苛立ちで気がどうにかなってしまいそうだったが、徐々に苛立ちは薄れていき、結局、苛立ちは罪悪感に吸収されてしまった。




 それから三日が経過した。

僕はそれなりに元気にはなっているようだ、ご飯も食べるようになった。しかし、それは身体的なものにすぎず、リクと香苗さんのことを忘れることは無かった。

別に忘れたいとも思わなかったし、この罪悪感が消えてしまったら三人目の被害者が出てしまうことになる。

 あと、両親のことを思い出すことが多くなった。

 母は父と無理心中をした、というのは他人からなんとなく分かった話で、直接その場にいたことを僕は覚えていない。しかし、僕はその場にいたらしい。

 その場にいたのなら、僕が二人を殺したのかもしれない。

 まだ何か、あるのだろうか。

 そんな考えを張り巡らせながら、携帯でワイドショーを映した。

 ワイドショーは二人の怪死を扱わなくなっているかと思っていたのだが、そんなことは無かった。

 むしろ、最新の情報として、水道高校を話題にしていた。

 そのテロップには、″呪われた高校 三人目の死″とあった。

「え?」ベットから飛び起きた。「三人目?」

 学校に行っていない間に三人目の死?

 瞬間的に、鈴子さんの顔が頭をよぎった。

 ワイドショーは、今は心理学者という肩書きの男性が聞きたくも無い的外れな発言を、延々と繰り返しているだけだった。

 埒が明かないと思い、パソコンの電源をつけると、パソコンには、知りたい情報が記事として掲載されていた。

 今回の自殺者は校長だったらしい。

 鈴子さんではなかったが、校長先生は、二人死んだ事により学校側に寄せられた根も葉もない噂に悩まさせられ、遺書を残して死んでしまったというのだ。

 最後に確認した校長先生は、二年に上がった直後の始業式だ。リクと鈴子さんに会った日でもある。

 あの時の校長先生は、いつもどおりに長い話を、呪文のように詠唱していた。

 それに反して、今回の遺書は本当に短いもので、「私は何も知らない」というものだった。見る人によっては死ぬ直前まで無責任なものだ、と思うかもしれないが、現に校長先生は何もしらなかったのだから、手の施しようも無い。

 記事は、前の事件との関連性も調べているとあった。また、自殺に追いやった原因として、マスコミの圧力的なインタビューなども指摘していた。

 なにもかもが空回りしているように見える。

 僕だけが真実を知っている。僕だけが悪いのに、それをいろんな人が引っ掻き回して、面白おかしくニュースにしていた。

 メッセにレジは居なかった。

 レジのことを思い出した。

 香苗さんのことを思い出した。

 

 

 

 夜、僕は電話をかけた。

 自分から電話をかけるのが久しぶりで、情けないことに操作に戸惑ってしまった。

「もしもし、森川です」

 携帯電話なのにわざわざ名乗るのが彼女らしかった。鈴子さんの声を聞くのも、久しぶりだ。前に話をしたときは、まだ、香苗さんもリクも生きていた。

「お久しぶりです」

 声は平均よりもやや元気が無さそうだった。

「お久しぶり、あのさ、二人のこと、大丈夫だった?」

「大丈夫? ああ、そうですね、やっぱり寂しいですけど……でも、大丈夫です」

 彼女は思ったより強かった。

「先輩は大丈夫ですか?」

「なんとか生きてる」

「そうですか……」

「学校とかどうなってる?」

「20人くらい転校しちゃうらしいですよ。当然手続きもあるんですけど、それまで学校に来ないっていう生徒もいるらしいです」

「そうなんだ、それもそうか……」

「特に私達のクラスはすごいですよ、転校できないけど登校したくないって言い張っている人も居るし、それに、リクはクラスの女子ほとんどと友達だったから……」

「だろうね……」

 呪われた高校などという報道が、さらにクラスの不安を煽る結果になったのだろう。鈴子さんは、それ以来あまり話しかけられなくなったらしい。教師だって最小限の会話しかしなくなった。

 友人の二人が、舌を噛み切って死んだのだから、それもそうだろう。湿りきった彼女の声を慰めることもできなかった。

 それは多分鈴子さんを気遣っているのだろうが、鈴子さんからしてみれば友人が二人死んだから怖くて近寄らないと思っているようだった。

 話題は一通り巡回した。

 聞きたいことは、残るところ後一つだけになってしまった。

「あのさ、一つだけ聞きたいことがあるんだ」

 急に胸の鼓動が高まった。

「はい」

 彼女の声が短く聞こえた。

 変わらないの声だ。

 唾を飲み込んだ音が、自分の耳に大きく響いた。

 電話を持つ手が汗で滑りそうになる。

「あのさ、また、たまにはチャットしない?」

「え?」彼女は驚いているようで、いつもより声も大きくなった。「どういうことですか?」

「鈴子さんは、レジだよね?」

 電話から何も聞こえなくなった。

 通話状態は変わっていないことから、黙っているのだろう。

「レジだよね、そうだったら聞きたいことが増えるんだけど」

「先輩! すごいじゃないですか!」

 この沈んでしまった周囲の中で、楽しそうな彼女が、少し怖かった。

「いつ気がついたんですか?」

「いつだろう。いつの間にか気になってた。って言えばいいのかな、具体的にはリクが死んでから整理してたら、気がついた」

「整理って、どういうことですか?」

「どういうことって言われても……」

「もったいぶらないで、教えてくださいよー先輩ー」

「いや、香苗さんが女子ポートボール部って言った時に気にはなってたんだよ。女子ポートボール部なんて、滅多に無いし。だから、香苗さんと同じ中学の人だろうって」

「えぇ、もしかしてそれだけですか?」

 少し残念そうな、声になった。

「いや、まあ、一番気になってたのは、あの日、顔を腫らしてたから」

 レジが泣いたと言った日の翌日、鈴子さんは顔を腫らしていた。いつもと違う、そう思ったけど、彼女は泣いていたんだ。

「そうです、そこですよ!」

「そこ?」

「あそこで気が付かないなんて、おかしいですよ!」

「香苗さんに告白させたのは鈴子さん?」

「もう先輩」彼女は楽しそうに言った。「レジって呼んでください、これ始めてリクに逢ったときにつけてくれたあだ名なんですよ。私、あだ名なんてつけられたこと無かったから、すごい気に入っちゃって、次の日、このあだ名で呼ばれるのかって思うとドキドキしたんですよね。でも残念なんですよ。リクは、やっぱり変よねとか言ってもう呼ばなくなっちゃたんですよ。レジって呼んでほしいなんて言えなかったんです。だからせめてネットの世界で、と思ってハンドルネームをレジにしたんですよ」

「リクはなんでレジって名付けたの? レジってどういう意味?」

「名前の漢字をちょっと読み方変えただけですよ」

 鈴子さんの漢字を思い浮かべた。

「すずこ……りんじ……れじ……んー無理があるような……」

 鈴子をレジと読めないこともない。

「先輩。チャットだなんて、そんなこと言わないで、また会いましょうよ」

「それは……」

「大丈夫ですよ、私は死にませんよ」

「それって、知ってるってこと?」

「なにをですか? 先輩がリクを殺したってことですか? それなら、チャットで言ってたじゃないですか」

「いや、それじゃなくて」

「じゃあ、先輩に殺される方法ですか?」

 先輩に殺される方法、その言い回しがやけにリアルで、心に突き刺さる。

「うん」

「知ってます」

 チャットで僕に変な能力があるということは伝えた。だが、具体的なこと、つまり置換に関しては言っていないが、鈴子さんは知っているようだった。リクに聞くタイミングも無かったはず。

「じゃあなんで香苗さんを……」

「えへへー、それは先輩」鈴子さんは、僕の声に被せた。「分かってるでしょう。会った時に教えてあげましょう」

 彼女は愉快そうだった。

「いつ?」

「明日にしましょうよ」

「分かった、どこで会えばいいの?」

「決まってるじゃないですか」

「もしかして」

「明日の放課後、屋上で待ってます」

 鈴子さんは電話を切った。

 なんで彼女はわざわざ呼び出すのか。

 僕がリクを殺したのも、香苗さんを殺したのも知っているはずだ。

 怖くないのだろうか。

 私は死にませんと言っていた。

 

 

 

 屋上には立ち入り禁止という紙が相変わらず貼り付けられていた。

 本来の鍵とは別に、鎖と南京錠が巻き付けられ、むりやりセキュリティを物理的に補強した形跡が見られた。

 しかし、それらは何かにねじ切られていて、役割を終えたかのように、扉の下に落ちていた。

 屋上の扉を開けるのはこれで実に四回目になるが。過去三回はどれも最悪だった。

 今日は最悪の事態は避けたい。そう思う一方、あるとしてもこれが最後だな、と卑屈な事を考えたりもした。

 レジ、つまり鈴子さんは僕の最後の女性なのだ。

 彼女を失ってしまえば、これ以上最悪なケースは起こらないのだ。そんな気持ちの悪い考えを多少ながら抱いていた。当然、そうはならないでほしいとは願っていた。

 いろんな考えが、自分の中をうごめいていて、それをどれかひとつでも刈り取りたかったけれども、その術を僕は知らない。ただ、うごめくものを観察することしか出来なかった。

 扉を開けると、鈴子さんが居た。屋上のフェンスごしに町を見下ろしていたが、ドアを開く音でこちらに気がついたのか、こちらを振り向いた。

「あ、お久しぶりです。先輩」

 声はいつものように綿菓子のような可愛らしい声だったが、僕のことを”先輩”と呼んだ。

 明るいなと思った。レジと鈴子さんのイメージが少しだけ近づいた気がした。

「久しぶりだね、鈴子さん」

「もう、また鈴子っていいましたねー」鈴子さんはこっちを向いて口を尖らせた。「レジって呼んでくださいって言ってるじゃないですかー」

「あ、うん、ごめんレジ」

「やっぱり、生のレジは違いますねー」彼女は心底うれしそうに、体をくねらした。「惚れ惚れします」

 今日はリクと屋上に来たときとは異なり、風はほとんど吹いていなかった。

「どうして、香苗さんはいきなり僕に告白したの?」

「あ、ひどい! もしかして私が、香苗が先輩に告白するように仕向けたって言いたいんですか!?」

「いや、そういう意味じゃない、こともないか……うん、言いたい」

「そうなんです」彼女はが近づいてきたので。僕は少し回り込むように距離を取った。丁度、彼女との位置関係が逆になり、レジが出入り口側に立った。

「やっぱり」

 香苗さんの告白はあまりに唐突な告白だった。あの時、あの瞬間からどうしてあんな唐突に告白なんかしたんだろうと考えていた。結論はすぐにでた。

 鈴子さんが、告白させるように仕向けたのだ。

「先輩は、香苗が来るって気がついてたんですか?」

「いいや、どうだろう鈴子さんが来るかなとは思ったけど……でも、鈴子さんからメールをもらったとき、レジと同一人物ではないとアピールするような内容だったから……もしかしたら香苗さんを挟んで、間接的になにか伝える気なのかなとも思ったけど……」

 彼女は首を少しだけ捻った。彼女は歩みを進めたので抵抗し、距離を一定に保った。

「もう、気づいてるなら言ってくれればよかったのに」鈴子さんは、左手で自分の顔を抑えた。「恥ずかしいじゃないですか」

「でも、なんで香苗さんを、急に告白させたの?」

「あ、それは先輩が私のこと気がついてたように、私も先輩のこと大分前から、気がついてたんですよ」

「それは、僕の能力に関すること?」

「そうです」

 鈴子さんはまた移動した。僕もそこから自然に遠ざかるように移動した。

「先輩に行動しようとしたら別の行動をとる。それで、告白したら死んじゃう、そんなことじゃないかなーってリクが死んだ時に思いました」

「そうか……」

「当たってますか?」

「正解だけど。それじゃ尚更分からないよ。なんで香苗さんに告白をさせたの?」

「なんでって言われても、確認ですよ、確認。先輩の能力で何がどう変わってリクが死んだのか分からなかったんですよ」鈴子さんはくるりと回って、屋上を見渡すと、メリーゴーランドに乗っている子供のようにこちに手を振った。「リクと先輩がここで話をしている時、リクが何をしようとしたなんて分からないじゃないですか。だけど、告白するということだけはリクから聞いてたんです。じゃあ、とりあえず告白からと思って、香苗に頼んだんですよ」

「頼んだって、死ぬって分かってたのに……?」

 怖かった。レジの発想が。

「もー先輩は知ってるでしょう? 私、怖がりなんですよ。だから、何がどう変わって死んじゃうのか、分からないまま先輩に会うのは、ちょっと怖かったんですよね、だから、仕方が無かったんですよ。先輩を元気づける為に、って協力してもらったんです。快く了承してくれたんですよ」

 鈴子さんは笑顔だった。

 だけど、どこか魂が抜けているようにも見えた。気力と無気力が調和しきれていない、見ていて心地の悪い表情だった。

「香苗さんは、友達じゃなかったの?」

「友達です、数少ない友達の一人でした」

「じゃあなんで、そんな危険なことを香苗さんにさせたの?」

「それを先輩が言います? 先輩がリクを殺したんですよね?」

「それは、そうだけど……」

 次の言葉が出てこなかった。それは紛れもない事実だ。しばらくの間沈黙が続く。

 湿った空気がのどに張りついて気持ちが悪い。

 沈黙を破ったのは鈴子さんだった。

「優先順位ですよ」綿菓子のような声が耳をくすぐる。「私の優先順位はキューなんです」

「キュー?」

「はい、先に入れた方を優先的に取り出すんです。先に友達になったほうが優先って決めているんです。だから、優先順位はリク、先輩、香苗だったんです。納得していただけましたか?」

「全然分からない」

「じゃあ分からなくて良いです」鈴子さんは、唇を尖らすようなアクションをとった。拗ねたのをアピールしたかったのかもしれないが、やりなれていないのか、ぎこちなかった。「リクは、友達になったばかりの頃、私に言ってくれたんですよ。鈴子は何か選ぶのにに時間を掛けすぎ。あらかじめ優先順位でもつけとけば? って。だから私それ以来、優先順位をつけるようにしてるんですよ。でも、そんなこと、たぶんリクは憶えてないでしょうけどね」

「それが、何か関係があるの?」

「ありますよ。簡単に言うと、香苗の死は仕方が無かったんですよ」

「仕方が無かった?」

「先輩のことを知る為に死んでもらったんです。だって、先輩の方が優先順位が高いから仕方が無かったんです」

「香苗さんの死を悲しんでる人はたくさん居るのに」

「当然ですよ」彼女は左手で胸元を抑えた。「私だって悲しいですよ」

 彼女がどのような感情のもとにいるのか、少しも理解できなかった。いや、理解できるほど彼女が単純な感情のいなかったといったほうが近いかもしれない。

「でも仕方がないんですよ。先輩は、リクが死んだ時どう思いました? 罪悪感とかそんなことを聞いてるんじゃないですよ」

「何が聞きたいの?」

「先輩は、あれからもリクのことが好きですか?」

 リクのことを思い浮かべた。

「ああ、うん。それは間違いない。好きだ」

「やった!」鈴子さんは左手でグーを作って喜びを表現した。控えめなリアクションにも見えたが、彼女にしては十分なくらいにオーバーリアクションだった。「じゃあ私の素敵なアイデア聞いてもらえませんか?」

「なに?」

 彼女との距離を少し離す。

「だから、先輩も死ねば良いんですよ」

「ああ、やっぱりそういうことだったんだ」

「え、なんで分かったんですか? 私の気持ちが分かるようになったんですか……?」

「いや、ずっとナイフ持ってるじゃないか」

 鈴子さんの右手にはずっと、屋上で待っていた時からずっと、ナイフが握られていた。

「あ、さすがの先輩も、これで林檎を剥くとは思わなかったんですね」

「さすがにね、そこまで的外れなことは思わなかったよ」

 僕がため息をついたら、鈴子さんは口を膨らませた。

「いやいや、そこまで的外れでもないんですよ。リクが先輩の為に料理したときのこと覚えてますか? その時リクが林檎を切る為に使ったナイフです。本当に、リクったら料理下手なのに、私も何か作りたいって言うんですよ。だから林檎切るのを頼んだんです」

「ああ、やっぱり、料理は下手だったんだ」

「はい、でも、どうしても何か手伝いたいって。先輩モテモテじゃないですか」

 鈴子さんは、僕に向かってナイフを水平に向けた。

「そんな先輩も、私に殺されるんだ」

 彼女はこちらを見つめている、近づいてくるかと思ったが、今は距離を詰める気はないらしい。どちらにしろ、彼女は完全に扉の前に立っている。ここから逃げ出すことは出来そうに無い。物理的にも心情的にも。

「別に構わない、僕を刺してそれで気が済むなら。それで構わないよ」

「もー、こんな時に、善人ぶらないでください」

 僕は本心からそう思っていた、つもりだったが、それでも足が震えていた。やはり刺されるのは怖い。

 それ以上に、殺されるのはまずい。

「先輩、それは少し違いますよ。確かに先輩を殺すと、私の復讐になります。私の大切な友達を殺した人に復讐をするんです。でもそれだけじゃないんです、リクは先輩のことが好きだったし、先輩はリクのことが好きでした。だったら、先輩と同じ場所に行けるようにしてあげるんです。ほら、先輩もリクと同じ場所に行ければ嬉しいでしょ?」

 何も言えなかった。鈴子さんは気が狂っていると思ったが、大切な友人が非業の死を迎えて気が狂うのは人間として異常では無いのかもしれない。だが、彼女には賛同できなかった。

 彼女は笑っていたが、今日の彼女はほとんどの表情を笑顔で統一していたので、今日という単位で見るとアベレージな表情だった。

「なあレジ、こういうのはどうかな。僕はここから飛び降りる。それじゃダメかな?」

 妥協策を提案した。

「もしかして、私が犯罪者になるのを気を使ってくれてるんですか?」

「あ、うん。そうかも」

「先輩のそういう所、……あ、言っちゃダメなんでしたね、危なかったです」鈴子さんは息を小さく吐いた。「あ、でもダメですよ」

「ダメって?」

「はい、私はこのナイフで先輩を刺すつもりじゃないんですよ、先輩の舌を切るつもりなんです。じゃないと、リクと一緒にならないじゃないですか」

 鈴子さんは一歩だけ二人の距離を近づけた。太陽光との角度が一致して一瞬だけナイフが光る。

「レジ、僕の話を聞いてくれないか?」

「ふざけるな!」

 鈴子さんは綿菓子みたいな声を、精一杯低くして言った。それでも、甘ったるいかわいらしい声だった。

「レジ!」

「駄目です、聞きません」

 彼女は叫んだ。

「違う!」

「何が違うんだ! この生きたがりの臆病者!」

「違うんだ、聞いてくれ!」

「もういい!」

 鈴子さんは僕に向かって走ってきた。

 動けなかった。

 ナイフの転がる音がした。

 怖かった。

「ごめん……」

 最近は口癖になっているなと思った。

「怖くて……止めれなかった……」

 距離が近づくのが怖かった。

「こうなるのを知っていたのに……」

 また何もできなかった。

 鈴子は……二人の距離をゼロにするだけでは物足りなかったとばかりに、彼女は唇を重ねた。

 リクとは異なる唇だった。

 そこには優しさはあったが、銀行でもらった粗品のように、どこか平凡でありふれた代物だった。

 あの時と同じだなと思った。遠い記憶を思い出す。何度も思い出したことはあった。

 だが今日ほど。

 今ほど鮮明に思い出したのは久しぶりだ。

 せめて自分で死ねばよかった。なんて思いながらも、どうせ自分からは死なないなと分かっていた。

 僕は鈴子さんの言うように、生きたがりの臆病者なのかもしれない。

 彼女は唇を離した。

「この気持ち、伝えたいのに……」

 涙を流していた。

「大丈夫、分かっている」

 彼女を強く抱きしめた。

 置換された。

 ”殺す”は”愛する”に。

 叔母の時と同じように。

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