黒川くんは、セーラー服男子でも女子力ゼロ

つばきとよたろう

黒川くんのセーラー服

 黒川くんは、男の子の癖にセーラー服を着ている。それは、私の高校は男女の制服の選択を強制していないからだ。だから、女の子が学ランを着ても、男の子がセーラー服を着ても、基本的に校則違反には当たらない。だからと言って世の中の慣習に、敢えて逆らう生徒は少ない。


 詰め襟の学ラン姿の女の子は、クラスに数人いる。髪型は女の子だから、男の子とは明らかに違っている。髪まで切って男装をするほど気合の入った、女の子は残念ながらいない。でも、男の子で紺色に白の三本線の入った、群青色のリボンを結んだセーラー服を着ているのは、黒川くんだけだ。しかも、同じ制服の可愛さを、日々必死に競い合っている女の子たちより、格段に似合っている。誰よりもセーラー服を着こなしている。私は黒川くんのその姿に、憧れてしまう。あんなに可愛いセーラー服姿の子は、クラスに数人もいない。私は黒川くんが、クラスで一番綺麗な緑さんにも負けていないと思っている。


 それだから黒川くんは、休み時間の廊下で男の子たちに、不覚にもスカートめくりされる。

「ぼくが男だからって、やっていい事と悪い事がある」

 黒川くんは、細い眉を吊り上げて男の子を咎める。

「何だよ。男かよ。女の声で、悲鳴くらい出して見せろよ」

 男の子はニヤ付きながら言い返す。黒川くんはあまりスカートのことは気にせず、ピアノの伴奏にでも合わせるように優雅に歩く。私は黒川くんが振り向いてくれないか、そっと後を付ける。振り向いた時に流れるショートカットの髪が、頬に掛かるのが、可憐で見とれてしまう。


「黒川くん、おはよう」

「おはよう、向井さん。急がないと遅刻しそうだよ」

「うん、分かっている。教室に急ごうよ」

 という会話は私の妄想だ。昇降口で靴から上履きに履き替える動作に、ドキッとさせられる。黒川くんのひらりと揺れるスカートから、色白で細い足がすらりと真っ直ぐに伸びている。私の太く短い足が、なんだか隠したくなるほど恥ずかしい。


 黒川くんは見た目が純真な女の子のように綺麗で、物腰も柔らかい。そのしなやかな仕草に、女の子を感じる時がある。それを除けば、中身は普通の男の子だ。それに少しがっかりする男の子も多い。からかわれることもしばしばだ。が、女の子には人気があった。黒川くんが廊下を歩けば、女の子たちの注目の的だ。黄色い声が上がる。黒川くんのファンクラブがあるとかないとか噂されている。私はみんなで応援するよりは、群れることを知らない野良猫みたいに、秘かに見守りたい。


「黒川くん、今日もセーラー服似合っているね」

「ああ、ありがとう。向井さんのセーラー服姿もなかなかだよ」

「全然そんな事ないよ。私、セーラー服があまり似合わなくて、困っているくらいだから」

 という会話も私の妄想第二段で、私は黒川くんにまともに話し掛けることができない。聞きたいことはたくさんあるのに、いざ話そうとすると口はもつれて、頭の中が真っ白になってしまう。何を話していいのか分からなくなる。何か切っ掛けがあれば、話せるのにな。窓を開けて風に話し掛けても、返事は戻ってこない。


 体育の授業は、黒川くんは赤いジャージを着ている。緑のジャージの中に、一人だけ赤いジャージが目立っている。赤が女の子用で、緑が男の子用だ。そんな事、誰が決めたのだろう。それが常識というなら、黒川くんは学校で決められた常識を打ち破ろうとしている。知らず知らずのうちに、いつまでも染まらない赤色を、私は必死で目で追っている。


 二人一組になって準備体操をする時、男の子は冗談のように文句を言う。

「俺、女と組みたくないよ」

 私は黒川くんと組になって、準備体操したい。黒川くんの手を握ったり、背中を合わせたりしたら、どんなに幸せか分からない。でも、男の子と女の子は、別々に体育の授業を受けるから、私の願いは妄想の域を抜け出さない。体育の授業は特別だ。男の子は女の子を意識し、格好付けたがる。女の子は男の子を意識して、可愛く見せたがる。でも、一番可愛いのは黒川くんだ。


 私は遠くから男の子の授業の風景を眺めている。四百メートル競争だ。黒川くんの走り方は、女の子っぽくない。肘を直角に曲げて、指を真っ直ぐに伸ばして懸命に振っている。男勝りな南さんと、どこか似ている。でも、女の子の中で断トツに足が速い南さんと比べても、黒川くんは男の子の中ではビリの方だ。

「黒川、足遅い。本気で走っている?」

 足の遅い黒川くんが、運動場のトラックを走る姿は、ちょっと残念だった。それでも、私の目には黒川くんは風を切って颯爽と走っているように見える。私は風に成りたいと思った。そして、並んで一緒に走るのだ。


 男の子は更衣室が使えない。この学校に男の子用の更衣室が無いからだ。教室でジャージから制服に急いで着替える。女の子たちは渡り廊下に設けられた簡易の更衣室を使うから、黒川くんが更衣するところを見ることはない。男の子たちが男らしく裸になって、学ランに着替える中で、黒川くんはどんな風にセーラー服に着替えるのか、興味を引かれる。女の子みたいにジャージの上からスカートを履いて、見えないように気にしながら、それを脱ぐのだろうか。奇術師みたいに、体操着からセーラー服に早替わりするのだろうか。色々想像していると、胸が高鳴るのを感じる。


 黒川くんは頬杖を突きながら、退屈そうに授業を聞いている。時々思い出したように、ノートに黒板の文字を書き写している。白くしなやかな指で、どんな文字を書くのだろう。花のように綺麗な文字か、女の子のように丸っこい文字なのか、想像が膨らむ。私は黒川くんの華奢な後ろ姿ばかりに気を取られて、授業に集中できないでいる。また先生に当てられて、聞いていなかったのかと叱られた。黒川くんが振り向いて、私を見た。私は顔が沸騰するほど赤くなった。


 黒川くんは、男の子にしては甘ったるい優しい声をしている。時々歌うようにしゃべる。それが耳にしていて心地よい。でも、女の子の声とは、はっきり違っている。そこに違和感を覚える男の子も多い。

「なんで女の声で、しゃべらないんだよ。黒川、女だろ」

「ぼくは男だ。しゃべれる訳ない」

 黒川くんは、形の整った薄い唇を不機嫌に動かす。私は思わず息を呑む。あの唇は罪深い。私もあんな唇に生まれ変われたらな。私の唇は不恰好で、いつも風に曝されて、カサカサしている。


「黒川くん。そのセーラー服、どこで買ったの?」

 女の子三人が、黒川くんを囲んで話し掛けている。クラスで人気のある子たちだ。見た目も可愛いし、性格も明るい。社交的で誰とでも話ができる。私と正反対の、ちょっと嫉妬してしまうような子たちだ。でも、一番人気は黒川くんだろう。男の子の中には、黒川くんのことを嫌っている子もいるけれど、何だかんだでちょっかいを出している。それも黒川くんが気になる証だ。

「駅前の制服店だよ。みんなそこで買うだろ」

「そうそう。私もそこで買った。学校指定だよね」

「黒川くん、親と買いに行ったの? 何か言われなかった」

「ううん、一人で買いに行った。親は、ぼくの好きにすればいいって言っている。もう諦めているのかな」

 私もその話に混ぜて欲しい。私はもちろん親と買いに行った。でも、聞き役ばかりで、絶対に話を振れないだろう。


 学園祭はクラスの出し物で演劇をするなら、黒川くんをヒロインにしようと、男の子たちはふざけて提案した。

「ロミジュリやれば受けるんじゃない。でも、声は男だしな」

「そこは、逆に受けるかもしれないぞ」

「言えてる」

 男の子は真面目に意見を出そうとするよりは、何か面白いことを発言することを楽しんでいる。

「はい、男子。勝手に決めないで下さい」

「そうでーす」

 でも、クラス投票で喫茶店に決まった。女の子の反感を買ったからだ。私の膨らんだ期待は萎んだ。セーラー服以外の黒川くんも見てみたかった。黒川くんなら、何を着せてもきっと素敵だろう。


 そんな黒川くんも昼休みの食べる姿は、朝のホームルームの抜き打ち荷物検査くらいに不評だった。

「黒川くん、見た目はあれだけど。料理は全然駄目。女子力ゼロだよね」

 黒川くんは赤い大きな魔法瓶にお湯だけ入れてきて、教室で平気でカップ麺を食べる。手作りの弁当や購買でパンを買ってくることは絶対にしない。豪快にカップ麺やカップ焼きそばを啜るのだ。そんな黒川くんに、私はある期待を込めて、いつも魔法瓶とカップ麺を学生バックに忍ばせている。


「く。黒川くん、私も一緒に食べていい?」

「おっ、奇遇だね。同じだ」

 これは妄想ではない。私は、この日をずっと待ち望んでいた。でも、この日はなかなか来なかった。黒川くんの持ってくるカップ麺は、変わり種すぎて同じ物になるのが難しかったからだ。でも今日、やっと私の願いが叶った。


 箸で柔らかくなった油揚げを摘んで、黒川くんは狐みたいな顔で言う。

「お揚げだ」

「私も、美味しそう」

「ぼくは最後まで残しておくのが、好きなんだ」

「私も好きな物は、最後まで取っておくの」

 私の吐いた小さな嘘だった。相手と共感を持つことは、好かれるための最初の一歩だと聞いたことがある。本当は麺を二口啜って、油揚げが食べたくなる。


 黒川くんは口紅をしていないが、その唇は女の子のように薄いピンク色だ。その口で食べるうどんが、ちょっと羨ましい。私も黒川くんの唇に触れてみたいな。その時、後ろで誰かがどこかで耳にしたような、CMのフレーズを口ずさんだ。

「赤いきつねと緑のたぬき」

 私は、黒川くんの美しい顔をまともに見た。頬が火照るのを隠すように、慌てて麺を啜った。

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