2017.11.29 鳥の検閲




 いつまでもだらだらと引き伸ばしているわけにもいかない。湖に行った。奴らの気がどれくらい長いのかわからないし、遅れについての言い訳を並べ立てたところで、時間の流れが俺たちと違う、とかいう不条理な理由で却下されるかもしれない。

 かといって、今日、今すぐに奴らのファミリーの一員だかペットだかを引き取ってこれるとまでは考えていなかったし、実際それはできなかった。あのATMは、湖のほとり、しかも兄弟「たち」と言っていたので、まあ十中八九あの宗教法人のことだろうと思ったし、そんな中に一人で乗り込むなんてことには、いくら俺でも躊躇いがある。女性を守るための名誉の殉死にはそそられるが、淋しい山奥で孤独に犬死になんて、流石にぞっとする。特にこんな寒い時期には。


 マフラーを巻き、ニット帽を目深にかぶって、まず午前の仕事に出た。ちょうど湖近くのコミュニティセンターで、全国の野鳥観察愛好家が集まる1dayイベントがあるとかで、その設営の手伝いに向かわされた。雅火さんも一緒だった。確かにこういうパーティの準備には、男女一人ずつの方がバランス的にも良いような気がする。不自然さもない。


「こんな寒い時期に、鳥なんて見れるんですか?」

 

 大きなテーブルを四人がかりで運びながら、雅火さんが主催のおじさんに聞いた。

「鳥は一年中見られるよ。虫とは違う」

「でも虫だって一年中いるでしょ? 厳密には、ですけど。特に冬にはカメムシが沸いて、うちらにいつも迷惑をかけてくるじゃないですか」

「まあ、それはそうだ。でも、やっぱり鳥は特別だよ」

 彼女が興味なさげに、へー、と答える頃には、テーブルは所定の位置についていて、会話はなし崩し的に終わる。でも、当人たちはそれで良くても、俺は続きが気になった。それで聞いた。

「鳥はどうして特別なんですか?」

「え? ああ、まあ、それはほら。彼らは……飛べるだろ?」

「でも飛べるからってことで言えば、虫も飛べますよね。羽があるやつなら」

 おじさんはちょっと面倒そうな顔をしたものの、別に本気で怒ってはいない様子で、困ったように笑った。

「君たちはやけに理屈っぽいところがあるな。みんな趣味でやってるんだから、誰もそんな堅苦しいこと考えたりしないよ。自分達にとっては特別。それで結構じゃないか。特別だとかそういうのって、大抵そんな、主観的なものだろう。他人にはそうそうわからないもんだ」

 そう言って、すたすた歩き去ってしまったので、俺は雅火さんと目を合わせた。彼女はただ肩をすくめて、「一種のカルトだね」と冗談を言った。



 その仕事もお昼には終わり、帰り際にそれとなく、湖を探索することにした。



 ちなみに雅火さんには、ATMから託された(押し付けられた?)気味悪い任務のことは話してない。だから……いや、彼女はやっぱりなんとなく察してると思う。雅火さんがどれくらい、そういう「人間ではないものたち」について知っているのか、それはわからない。でも、個人的なイメージを言うなら、この世で彼女にわからないことなんてないように思えてならない。神格化しすぎ? まあ、男なんてこんなもんだよ。


 湖畔はとても静かだった。


 まあ、オフシーズンの観光地なんて大概静かなものだけどね。湖から吹き付ける風は凍てつくほどに冷たく、木々の間から降り注ぐ日差しは病気のように蒼白い。誰が好き好んで、こんな時期の砂浜を歩くというのだろう。不吉なものは不吉な場所に。相応しいといえば相応しい。


 黙々と歩いていると、途中で壊れた小屋を見つけた。


 一部は向こう側の景色が見えるまでに半壊していて、しかしなお、それは作業小屋の風情を保っていた。折れた工具に、朽ちた金釘。白い浜には大勢の鳥の死骸が落ちていた。外傷はない。唯の亡骸だ。目のあるはずの部分には銀貨が埋め込まれ、腐り落ちるのを待つだけの。


 酷い有様、だということは、今更書くまでもない。


 立入禁止のテープも、惨状を隠すシートもなく、すべて剥き出しのまま捨て置かれたということは、事件にもならなかったということだ……きっと静かに起こり、終わったのだろう。何もかも。

 何かを持ち去ったような轍と靴の跡が、付近の草叢へ続いていて、それを確認するために踏み込んだとき、ふと陽気な囀りを聞いた。見れば灰の浜辺の隅に、数匹の雛と生き残りの鳥がいた。彼らは風に震える素振り一つなく、心底楽しそうに川魚の腹を啄んでいた。いつしか光は柔らかに、クリーム色に降り注ぎ、人肌並みの温度を添えている。



 死なないものがこの世にあるというのなら、それは人の目に見えるものなのだろうか? 



 人の目、鳥の目、虫の目——



 見えているものは皆違い、永久に分かり合えることはない。たとえ何れかが手を差し伸べ、慈悲の視線を向けたとしても。各自の理屈、各自の設計図でしか動けないのなら、そんなものは無駄だ。不死を夢見、焦がれ、特別な知識を有する自分らだけがそれに手をかけた、あまつさえ辿り着けたなどと自惚れてみても——それはやっぱり単なる夢だ。血族の庇護の内、卵の殻の中で見る幻。趣味だとしたら悪趣味極まる。己の不遜さにも気づかない惰眠。不死ではない。永らえているのは、到達したからではない。


 それはひとえに


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