2017.11.28 宗教勧誘記念日



 なんか昨日の分がほっこり終わっていたところ、こう書き出すのも忍びないが、嫌なものを見た。


 とはいえ、例の自販機やATMの類や、白い子供たちのことではなく。普通にもっと身近で生々しい——直球で言えば宗教勧誘の場面を目にしてしまったのである。あの妙な迫力と気味の悪いエネルギーは、自分が勧誘されているわけではなくても、端から見るだけでも十分キツい。しかも静まり返っている場所なら、キツさも二割増しになろうというもので。


 図書館での出来事だった。


 シフトによると今日は休みであったので、この隙に湖へ……と思ったのだが、その前に借りていた本のことがふと気にかかった。返却期限がまさか一週間だけ、ということはないだろうが(たぶんないよね?)、別にじっくり読みたい本でもなかったので、返しに行こうと思った。気になることはとりあえず片付けてから、本題にじっくり取り掛かろうとした、と言えば聞こえはいいけど、単にチキっただけかもしれない。たぶんそう。

 まあ、その結果、グロテスクな宗教勧誘の現場を目にしてんだから、何が何だかわかんないけど。


 返却自体はひどく簡単で、カウンターに本を出すだけで済んだ。


 で、ふと横を見ると、なんか様子が微妙に変な(でも完全に異常者と呼ぶのも憚られる正気さで)おばさんが、隣のカウンターに本を出すところだった。だがそれは、本と呼ぶにはあまりに小さく、返却というにはあまりに多すぎた。つまり、それはパンフレットの束だった。


「ここに、この本を置いてくださいませんか?」


 おばさんは丁寧な口調でそう言った。

「そしてできれば、あのコーナーに置いてもらえたらいいなと思っているんですが」

 彼女が指差す先には、「今月のおすすめ本」ブースがあった。ちなみに今月はDIY特集だった。受付のお姉さんが粛々と頭を下げた。

「大変申し訳ありません。当図書館ではそのようなお申し出は承っておりません。何卒ご理解ください」

「そんな、遠慮なさらないで!」

 がしっと手を掴むのが見えた。受付の人が顔を引き攣らせ、おばさんの輝かんばかりの笑顔を見る。

「これをただで読んでいいということに対して、気が咎めるのも当然の感情でしょうね。でも、これはほんとに素晴らしい本なんですから、市民の皆様にも平等に読む機会をお与えしなければと、私共は考えているんです。だから遠慮なんて、する必要はないんですよ。だって有用な知識を独占するなんて、あまりに罪深いことじゃありませんか!」

「あ、あの……」

 こんなのはずるいよなぁ、と思いながら、俺はどうしたものかと立ち尽くしていた。玄関で呼び鈴押されたり、街中で声かけられたりならまだしも、仕事中に押しかけるだなんて、悪質極まりない。居留守も忙しいふりも使えないし、何より女性は恐ろしくてならないだろう。でも、書類上死んでる俺なんかが間に入ったら、余計に面倒なことにならないだろうか……というのはやっぱり建前で、これも単にチキっただけかもしれない。

 結局そのおばさんは、興奮しきった大声でその本の良さを語り始めたため、速やかに警備の人に連れられて、出て行った。「■■教」やら「前世」やら聞こえたので、やっぱり例の宗教勧誘だったのだと思う。

 で、やれやれと外の駐車場に出ると、一人の男性がまた勧誘に引っかかっているのを目撃した。俺の脱力感は推して知るべし、である。


 なんかこう……今日は宗教勧誘記念日か何かだったのかな? 


 そんなの記念するのは死人が蘇った時くらいで十分じゃない? ともかく、俺は今度こそ声をかけた。図書館の中と違って、外はそこそこ騒がしかったし、同年代か歳上の同性に話しかけるのであればハードルも低い。何せ俺には大勢の兄貴がいたからね。「ごめん、待った?」とでも言えば、誰に対しても自動的に弟っぽくなる。


 でもまあ、その人は、本当に押しに弱い男だった。


 館内で見たあのパンフレットだけでなく、付録なのか知らないがまた別に三冊くらい持たされていたし、化粧品の試供品みたいな怪しげな小袋(あとで見せてもらったところハーブティーの茶葉だった)も手に持っていて、俺が声をかけた時にはポケットからスマホを取り出しており、連絡先を交換させられる寸前までいっていた。どうなっているんだ、この人のセキュリティ意識は、とこの俺が思うほど、無防備というか自我が弱いというか……あまり見ない類の人だ。

 で、ごめん待った作戦がするっと上手くいったので、俺らはさくさく街中まで歩き、勧誘おばさんが見えなくなったあたりでようやくまともに話をした。



「あの……ありがとうございました」



 三十路そこそこと見える彼は、迷い犬みたいな顔で頭を下げてきた。そのほっとけない気の抜けた顔を見れば誰もが、べつに宗教家でなくても「導いてやらねば……」と思うんじゃないかというほど、同情と憐憫を誘う表情だった。

「オレ、ああいうの、全然断れなくて」

「いやいや、気にしないでください。あんなに強引に来られたら、誰だって断りづらいですよ。拒否したら逆上されることだってあるだろうし」

「そうです、かね……」

 へへ、だか、はは、だかわからない曖昧な笑い方をして、彼はまた項垂れた。

「それにしたって、あなたみたいな、すごく歳下の子に助けられるなんてなぁ。あっ、いや、別に貶しているわけではなくて」

「大丈夫ですよ。わかってますから」

「はぁ、そうですか……。なんというか、お若いのにちゃんとしてらっしゃいますね。それに比べて、オレってほんと、だめな大人でしょう。だから……ってわけじゃあないけど、こんなことなら、いっそ神頼み……ってわけでもないけど、宗教の施設で叩き直してもらった方がいいんじゃないかって、ちょっと思ったりなんかして……」

「叩き直してもらうって」

 それならまだお寺か何かの方がいいだろうに。

 それで俺も(よせばいいのに)なんだかこの危うい様子のまま帰すのも無責任なような気がして、お茶に誘うなどしてしまった。普段ならいくらなんでもこんな軟派なことはしないのだが、一旦関わったからには中途半端にしても意味がない、というか、まあ……たとえば雨に濡れた子犬が道端で震えているのを見て、思わず家に連れて帰って風呂に入れたあとで「ここまでしたんだし」となり、そのまま飼ってしまう流れと同じだ。


 彼の名前は金城かねしろ楡昂ゆたかといい、小さな工房で働いているらしい。


 給料はあまり多くなく、友達も家族も恋人もいない。職場の人が良くしてくれるのが唯一の救いで、趣味もなく、職場と家を往復するだけの日々。なんだか境遇が似ている分、同情も湧いたが、それにしては何か……なんだろう。、という気がした。気弱な面立ちの中にも、妙な落ち着きがある。たとえどこまで堕ちたとしても、何かけろっとしていそうな。

 まあそれはともかく、「神様にどうにかしてもらおうと思うのは、結局他人に依存してるのと同じじゃないですかね?」なんて受け売りの文句で諭したり、今度便利屋にも寄ってくださいねとか言ってみたりして、平和な時を過ごして、解散した。あと宗教のパンフレットがあまりにたくさんあったので、半分引き取ってきた。暇潰しに読んでみようかと思う。湖に行く前に、一応念のため。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る