2017.11.27 ルーレットとピン



 世の中……いや、人生。そう思う通りに進めるわけじゃないらしい。とはいえ、この変わらずの不眠の日々を思えば、思い通りに進めたことなんて一体どれほどあったのか、甚だ疑問ではあるけれど。

 結論、今日は湖には行けなかった。

 仕事が入った。普通に。そろそろまともにシフトでも出してほしい、と思っていたら、ようやくそれらしきものを上から受け取った。まあ、いいんだけどさ……なんか、そういうことじゃないっていうか、ねぇ。


 こういうことがあると、人生ゲームってその点上手く作ってあるよな、なんて思う。


 宝くじが当たるとか、ロードレースで勝つとか、道端で人を助けてお礼を貰うとか……先のマスの内容を読んでから、期待を込めてルーレットを回しても、そのマスには必ずと言っていいほど止まらない。3だけ進みたかったはずが、8も進むことになって、簡単に設計が狂う。自分の人生のはずなのに、その実コントロールできることなんて限られていて、一にも二にも、お金が全て。なんてシビアな遊びなのか。


 ウィキで見たけど、これ考案した人、24歳かそこらだったらしいよ。


 若さが故の残酷なのか、むしろ歳に見合わぬ達観なのか。判断が難しいところだ。でも人生というものを、もし偏見なしに見られるとしたら、そのくらいの年齢が案外一番相応しいのかもしれない。希望にも絶望にも寄らず。子供じみた万能感をそれなりに打ち砕かれた後であり、美化しなくては背負いきれないほどの過去を抱え込む前の。そんな歳。


 今日の俺は、例え話が多いな。


 そろそろちゃんと日記らしいことも書かないと。そうだよね? 日記くん。君は別に、成人した男の痛々しい創作ノートってわけじゃないものな。こんな風に話しかけてる時点で、痛々しさで言うとどっこいどっこいな気もするけど……それにはまあ、どうか寛大に目を瞑ってほしい。ハーレムとかドラゴンとか言ってないだけマシってことで。


 今日の俺は、なんと家庭教師もどきの仕事をしてきたよ。


 聞けば、塾でも通信教育でも伸び悩みの続く、しがない看護師夫婦の一人息子に、数学を教えてほしい……とか何とか。ダメでもともと、藁にもすがる。その感覚には俺にも覚えがあるので、やりやすい仕事ではあったけど。でも、俺が? っていうか。数学は得意な方だったけど、人に教えるなんて柄じゃない。おまけに、午前中は頭が上手く働かないっていうのに。でも、仕事は仕事。ちゃんと行って、真っ当に働いてきた。


 朝、高柳さんに指定された小さな橋の前で、風に震えながら待っていると、赤と青のピンが仲良く刺さった車がやってきた。俺はそれに乗り、車は山へ向かって走り出した。どうやらご夫婦の家に行く前に、実家に届け物があるとかで、その荷卸しも手伝ってもらえないだろうかと言われた。割にちゃっかりした人たちだと思った。



「怖いわねえ、やっぱりここ……」



 山の奥へ進んでいくに従って、オフロードが始まるかと思いきや、意外と道は整備されていて、深い谷を見下ろす絶景に、後部座席でひそかに息を呑んだ。その道を通るのは初めてではなかったけれど、景色を見るのは何だかすごく久しぶりに思えて——まるで前世の記憶を辿るみたいに、白い霧と青い空、そして緑の山々をぼうっと眺めていた。そんな時にふと聞こえてきた、中年夫婦の会話がこれだった。

「怖いって。もう何回も通ってるだろう」

「だって昔、ここで酷い事故があったじゃない?」

「そんなことあった?」

「あったってば。一家全員、爆発だか転落だかで、死体もろくに残んないでさぁ。あんまり恐ろしいから忘れられないわよ」

「あー、あの家のか……しかし、ほんとに事故だったのかねぇ」

「ちょっと! そんなこと言うもんじゃないわよ」

 その「ちょっと!」があまりにも大声だったので、ついびっくりして運転席の方を見ると、バックミラー越しに助手席の奥さんと目が合った。彼女は「あ、聞いてた?」と言いながら、そんなに物憂げでもないため息をついた。


「事故にあった家の息子さんね、重度の障害持ちだったのよ。知的の」


 看護師の情報網……といったところなのか、奥さんはすごく詳しい情報まで交えて、その死んだ和泉いずみ家の人々について語り始めた。祖父母と暮らす二世帯住宅に、知的障害の弟。その三つ上に姉。姉は完全に健常者で頭も良く、評判の良い子だったが、弟は極度の多動と癇癪が年々ひどくなるばかりだったという。

「だって、これから生まれてくるって子がさぁ、耳やら目やら悪いですってだけならまだしも、知能も恐ろしく弱いですって言われるんだよ? 無愛想な面したおっさんの医者からさぁ」

 さぁ、と言われても。

 彼女は俺の反応など気にも留めずに続けた。

「あたしみたいな弱い人間はさ、そんなときはもう、ふらっと、変な神様にだって縋っちゃうかもしれないけど。でも意外とまともなのよね、そういう人たちほど。すごく強いし、明るいの。普通の人よりよっぽどね。神様になんとかしてもらおうなんて、そんな甘いこと思ったら負けって感じなのかな」

「でもそれで事故死してるなら、どのみち意味ないじゃないか」

「なんてこと言うのよ。そういうことじゃないでしょ。どんな状況でも、諦めずに前を向いて生きる。その過程が大事ってことでしょう。人生、結果が全てじゃないんだから」

 ごつんと窓ガラスに頭をつけて、外を見た。その和泉という一家は、一体どっちだったのだろう。3を狙って8を出してしまったのか、それとも、狙い通りのマスに飛べたのか。谷底に落ちていく赤と青のピンを想像した。ガードレールを突き破り、衝撃でバラバラになる小さなピンたち。あれ、一度無くすとなかなか見つからない。そんなところまで、無駄に実物そっくりだと思った。


 荷卸しの品は、和モダンの棚だった。


 知り合いだか親戚だかから譲り受けたのだそうで、和風だが古臭くはなく、センスとしては結構いい感じの品だと感じた。ただそれを家に運び込んでいると、家主のじろじろ見るような視線を感じた。よぼよぼのおじいちゃんだったが、視線は威圧的で、もしかしたら俺の記憶がないくらい小さい頃の知り合いとか、死んだ祖父の同級生とか、今思えばそういう類だったのかもしれない。カラコンとウィッグを借りていて本当によかった。もちろんそれで骨格から変わるわけではないが、俺は結構化ける方らしく、事務所の人も「別人みたいだな」と言っていたくらいだ。だから、俺が菊芦の人間だとバレることはなかった。もしくは万一バレてたとしても、それを指摘されることは、なかった。

 まああるいは、男のくせにチャラチャラと長い茶髪をしてるのが気に食わなくて、それで睨んでただけかもしれないけどね……俺としては、たぶんそっちが正解なんじゃないかと思うよ。



 本業の家庭教師の方は、びっくりするほど呆気なく終わった。



 あの夫婦の息子さんは、とても素直な子で、少なくとも母親のお喋りは遺伝しなかったようだ。質問なども特になく、わからないと言っていた数学Aの一分野(それは俺にもまだ記憶がある部分だった。助かった)を少し教えると、静かに頷くだけだった。でも、練習問題を解かせると、やっぱりどこか「ん?」となるような間違いがあって、道のりはまだまだ長そうだ。まあ、ゆっくりやっていくしかないのだろう。とはいえ、それも俺がもう一度指名されればの話だが。もうこれっきり会わないこともあり得るし。


「数学のどこら辺が苦手?」


 そういえば、勉強中にこんなことを聞いたら、息子さんはペンで頭を掻きながら答えた。

「理由を聞かれるところ。証明問題とか、そうなることがわかってるなら、説明しなくていいじゃん、って思う。理由や過程ってそんなに大事なのかな」

「あーなるほど」

 これは父親似だな。

 そう思って、内心ちょっと笑ったのは秘密。

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