Vol.2
2017.11.26 日曜始まり
日曜始まりの文化は、日本独特のものらしい。
元々、日曜を安息日とするキリスト教の観点からそう定めたらしいのだけど、実際、キリスト教の本場たるヨーロッパでは「月曜始まり」が主流だそうで。そう思うと、本当に滑稽な文化だな、としか言葉がない。そもそも安息日(休日)だとしても、別にその日を「始まり」にしなきゃならないって法はないわけだし……無神論者だらけの堕落しきった日本じゃ、尚更ね。
まあでも、未だにミサを重んじるアメリカなんかでは、逆に「日曜始まり」なのだとか。
たぶんそれに均されたんじゃないかなぁ、というのは、ミニバン運転中の雅火さんの言。同調圧力的なやつかも。この国はそういうのに弱いもんね。ハンドルを器用に回しながら語る彼女は、ちょっとかっこよかった。ちなみにこの日曜云々の話は、カーナビのテレビから流れてきた、再放送っぽいバラエティ番組でやってたやつです。
側から見たらまさに日曜デート……な感じだったのだろうが、便利屋の下っ端たる俺たちには基本、そんな自由はない。
仕事が休みになることはあるけれど、行き先とか、誰にも告げずに出かけることはできない。脱走する人が大半なのだそうだ。何がそこまで苦痛なのかよくわからないが、きっと耐えがたいものがあるのだろう。この日の目を見ない生活には。
「知り合いにバレると思うんですけど」
街一番のショッピングモールに行こう、と言われた時、俺はそんな風に答えた。
「今日、日曜だし。俺そこそこ有名でしたもん」
「サングラスかければ?」
「それで誤魔化せますかねえ」
雅火さんは朝ご飯のおにぎりを、小学生みたいに一気に頬張って飲み込むと、二階の自室に上って行ったかと思うと、駆け足でまた下の事務所に戻ってきた。デカい紙袋がその手にあって、中からはガチャガチャと大量のサングラスやウィッグ、未使用のカラコンが出てきた。
「なんですかこれ?」
「秘密道具!」
かくして俺の髪は金色に、瞳はやや黒目がちになった。そして洒落たサングラスをかけて、着慣れない古着を着たら、確かに前の自分とはかけ離れた容姿になった。……と思う。
「いつものジャージもいいけど、やっぱイケメンは何着てもいいね!」
色々被ったり付けたり着せられたりしている時、俺より雅火さんの方が楽しそうで、まあそれに関しては、何よりかな、なんて、思った。
いい天気だった。
たぶん、たぶんだけど。幸せというのは、こういうことなんじゃないかな。——なんて書くと、これじゃまるで、俺の今までの人生、あたかも幸せが一つもなかったみたいな書き方だけれど。でも、そう思ったんだ。確かに。
そりゃあ、自分でも驚いたよ。
車を降りて、モールの中に入って、どこにでもあるような本屋に立ち寄って、どこにでもあるようなベストセラーの棚を見てあーだこーだ言って、例の蜂二人組を見つけるためにあてどなく歩いて、一休みにとアイス屋の椅子に座った瞬間、こんな言葉が頭の中に浮かんできた時にはね。なんでだろうね。太陽がちょうどよく差し込んで、そこだけぽっかり小春日和のような、そんな良い席だったから……かな。雅火さんはといえば、俺のことなど路傍の小石みたいにほっぽって、熱心にアイスを選んでいた。その酷い様を見て、なんで「幸せ」だなんて思うのだろう。俺は。M疑惑が高まるじゃないか。やだなぁ。もう。
別になんかこう……(生々しい言い方を許してほしい)、彼女に欲情したわけじゃない。
ああ、本当なんだろうね。家族でだって、よく行ったのに。あのモールには。でも、心がトラウマを思い出さないように防衛機制を発動してるのか、フラッシュバックは起こらなかった。悲しみで壊れるかと思ったのに。俺の心は薄情なのか? あのATMが言ったように? いや、でもまあ、それはない。この傷は本物だ。だからきっと、あれはやっぱり防衛機制のおかげであって、それが今はちょっとうまく効き過ぎているんだろう。刺されたことにも気づかない——凄腕の麻酔科医が打つ、上質なモルヒネみたいに。「ボーナスタイム」というやつかな。
結局のところ、写真の二人組は見つからなかった。
それで、嗜好品(コーヒーとかお菓子とか)を買って、普通に車に戻った。その手前で、ATMコーナーを見かけた。この前のよりは全然小さい、2台くらいしか並んでないスペースで、サラリーマン風の男と主婦が普通にお金を下ろしていた。ほんの少し、思った。奴らが雅火さんに襲いかかるとしたら。もし命令に従わないことで腹を立て、俺の幸せなものを奪うのだとしたら。俺はその時一緒に死んでもいいような気さえしていた。本気で。怒りはあった。でも、怒りさえ、もう抱くのに少し疲れていた。
最近は涙ばかり流している気がする。
もちろんデート中は泣かなかった。俺にも意地というか、一応のプライドはある。夕方になる前にシェアハウスへ帰ってきて、雅火さんが車を返しにいって、その間に買ったものを整理して、その途中でエコバッグの中に袋麺の塩ラーメンを見つけた途端、ぷつりと糸が切れたように号泣してしまった。馬鹿だよね……袋ラーメン見て泣く男って。我ながらキモい。麺はぐっしゃぐしゃになっちゃったので、とりあえず証拠隠滅に部屋に持ち帰って、そのまま食べたりした。まあまあ美味かったかな。
その時——口の中の塩味を噛み締めながら、俺はこう思った。
あんなことはもう嫌だ。
だから、行ってみよう。湖に。
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