2017.11.25 自罰についての突発的なポエム





 ものを書き記すというのは、不思議な行為だと思う。別に他意はない。ただ、ふと、そう思っただけ。


 俺は……周りに嘘ばかりついて生きてきた。


 それは、他人を利用するための嘘というより、周りに合わせるための嘘だったと思う。そして自分に対してたくさんの嘘をつき過ぎて、俺はすっかり空っぽになってしまったのだ。何がしたかったのか、何が好きなのか、覚えてない。そんな風に空っぽだから、みんなこぞって、俺に自分の好きなものを注ぎ込もうとする。好みの人間にしようとする。浸透圧が働いて、液体の濃度が均等になろうとするように、境目を超えてどんどん染み込んで、溜まっていく。他人が。そうして気づいた時には、俺は俺以外の何かの思考で動くようになっていて、しかもそのことに気づきもしないのだ。


 俺は、別に聖人君子ってわけじゃない。


 ただ誰かを貶めるための嘘を吐くのが本当に下手で、ほんの少しでもズルをすれば、すぐにバレた。親にも兄弟にも。そうすると当然気まずくなるし、「こいつはこんなこと考えていたのか」と心の中をずけずけ覗かれている気分にもなるので、だったら初めから嘘を吐くのなんてやめようと、そう学習しただけだった。

 でも……なせ俺ばかり責められるのか。

 顔にでも出ているのだろうか? でもそれにしたって、他のみんなだって、俺と同じ、いや俺以上に嘘をつき、他人を平然と利用してるはずなのに、なぜ責められないんだよ。不公平じゃないか? 


 ただ蓄え、ただ消費する。生きるために。


 たったそれだけのことなのに、不思議と非難を受ける人間というのは決まってきて、そのことに誰も気づきもしない。自分の人生で忙しい——自分の糧を蓄えるのに忙しいって顔をする。誰も考えないんだ。感性と惰性で動く車輪みたいに。


 俺は、だから、こんな世界が大嫌いだ。


 こんな世界で起こる全ての出来事、それは自分の人生も含めて。俺は大嫌いだった。二重螺旋の逃げられない鎖に繋がれて、地べたを這うだけの。


 俺は本当のことを言った。


 先生は静かに聴いてくれた。俺が本当は何をしたのか。あの小屋で実際何があったのか。別に話すつもりなんてなかったのに、懺悔室みたいな鈍色の空気に当てられると、自然と口が動いた。一人でこうして書いている時は、いくらだって嘘をつけたのに。


 先生は言った。

「自分を罰する必要はない、必要な時は他人が責めてくれるのだから。少なくともアインシュタインはそう言った」と。


 でも俺はこう答えた。

「違う、誰も俺を責めてなんてくれない。死者がどうやって生きてる人間を責められるんですか? だから俺は、自分で自分を罰するしかないんです」と。


 罰されるべき人間ほど、往々にして、のうのうと生きている。


 自らの罪に気づくこともなく、他人に責められても認めない。人らしい愛情、慈悲、憎悪や義憤を理解しない彼らのことを、世間はサイコパスなどと呼ぶ。でも、俺にしてみればどっちもどっちだ。もし自分がその立場に立ったら、今奴らを非難している彼らだって、きっと裕福なサイコとさして変わらないことをするに違いない。だって考えないのだから。彼らは決して。


 惰性で回る人間は、何かに成り代われば、その前任者と同じ軌道を描くだけだ。


 それはちょうど、群れの半数が死んだとき、怠け者のアリが働きアリに置き替わるのと同じように。言葉さえ要らぬ本能によって、前のものの全てを引き継ぎ、ただ動き続ける。回り続ける。輪廻みたいに。ただ淡々と。


 そんな下らない輪から一抜けするために。


 そんな腐った巣から美しい天国へと飛び立つために、俺は自分を罰するのだ。これまでも。そしてきっと、これからもずっと。


 

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