2017.11.8 皆様お待ちかね





 ええと。何から書こう?


 ごめんね。ようやく落ち着いてきたばっかりなもんだから。

 ああ。がんばるよ。よっし。


 この日は……そう、すごく風が強かった。


 どっどどどどうどって言わんばかりにね。あはは……宮沢賢治なんて、今の今まで頭にも浮かんだことなかったのに。変な話だね。昔一度か二度、読んだっきりだよ。風の又三郎なんて。脳の引き出しが、勝手にぱっかり開いたみたいだ。でも、それくらい強く、激しく吹き付けていても、不思議と「嵐」だとは思わなかった。まあ、風だけだったからさ。雨でもなければ、雪でもない。そういうものは、嵐とは呼ばない。少なくとも、この街では。


 朝一番で、うとうとしながら、東屋に行った。


 朝はまだ、そこまで風もひどくなくて。ゆっくり作業しても、間に合った。そういう作業は、その作業自体は、ひどく楽しかった。愚かしくもね。台風が来る前って、謎にワクワクしたりするだろう? そういう、まあ、子供じみた興奮だ。でも……なんだかそこで、誰かに見られてるような……気がした。本当ならそこで気づければよかったのに。なにかおかしいって。でも、俺は気づかなかった。


 奇妙なことは、まだ他にもあった。


 午後になると、急に家族が集まってきたのだ。ああ——日記くん。俺はうまく書けているのかな? 急に不安だよ。だってそもそも、自分の覚えているこれが、ちゃんと事実だって、俺は思えているのかな。無意識のうちに、事実をねじ曲げて書いていたりしないかな。すごく、不安だ。だって、そんなのは、病気だろ? 


 家族……


 普段は別のところに住んでいて、でも昔はうちに住んでいた兄弟姉妹たちが、みんな揃ってた。別にお盆でも、お正月でもないのに。なんで? って、思った。ちいさい子はいなかったけど(よかった)おれの兄や姉はみんないた。父とはは、も

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 ——— —       

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 /   ‥・


 洒落たカラーの軽自動車から、年季の入ったファミリー車まで。


 たくさんの車が丘の上に登ってくるのが窓から見えたもんだから、父に「何かあった?」と聞いたけど、答えてもらえる雰囲気じゃなかった。だから、俺はいつものように部屋に引っ込んだ。その時、あの従兄弟も、おじさんおばさんに連れられて、他のみんなとは違う部屋に入っていくのがわかった。

 異様だった。

 でも、異様だったとして、俺に一体何をすることができただろう? 


 トンボは消え、池の鯉は岩陰に隠れ(実際見たわけじゃないけど)。


 俺がしたことといえば、ヘッドフォンで外界を遮断して、ひたすら好きな音楽を聞いて、貪るように本を読むという、いつものことだけで。ああ、いつの頃からだったろう。夜に眠れないことが、怖くなくなったのは。人と違う生活をすることに、不安を感じなくなったのは。いつしか周りの目が、全くどうでも良くなる自分に、危機感を抱くようになったのは。


 恐怖を分かち合えないということは、この社会においては、本当に致命的なことだと思う。

 だって、それは、自分が彼らの恐怖の対象になるということだから。

 排除される側に回るということだから。


 俺は人の怯えに敏感だ。相手を思いやってとか、そんなんじゃなく。これはずっと、ただの防衛本能だった——周りが怯えていたら、自分もそれらしく振る舞わなくてはと、そんなふうに思う。実際のところ、自分が胸の奥で、何を思っているのかなんて、俺にはとっくにわからない。もちろん、その場の半分が怖がって、残りの半分が平気そうにしているっていう場合でも、空気を読んでちょっとだけ怯えた風にしてみせるとか、いくつかバリエーションはある。でも、いつも同じなのは、本当に怖いと思った時、誰にもそれを言えた試しがないって事。


 雷が、ごろごろ鳴っていた。


 珍しいことじゃあない。ここは丘の上だし、湿潤気候の国だ。年中好きな時に雨が降り、雷が鳴り、生ぬるい風が吹き荒れる。昔、四番目の姉は雷を嫌っていて、雷が鳴ると決まって俺の部屋に来た。そんな時にだけ、俺は怖がった顔を見せなかった。大丈夫だよ、と元気付けて、眠るまで見守ってあげた。その姉はやがて、優秀な外科医のお嫁さんになって、幸せに暮らした。子供はいなかったが、そもそも子供を作る気はないのだと、いつか誰かに言ってるのを聞いた。


 珍しいことなんて、一つもない。


 子供を持たない夫婦も。恵まれた大家族も。田舎街に吹く風も。

 危機を察した虫が、巣に籠ることも。


 俺は、そう思ってた。


 でも、世界は、別に俺がそう思ったからって、なるわけじゃない。

 だろ?




 最初に「部屋を出よう」と思ったきっかけは、一体なんだったのだろう。

 トイレに行こうと思ったのか、喉が渇いたのか、いいかげん夕食も抜きで、すごく腹が減ってたのか。もう忘れてしまった。きっかけなんて。でも、自分の部屋から出るなんて、それこそ当たり前だ。いくら引きこもりだって言ったって、一日に一回……どんなにひどくたって一年に一回くらいは、ドアを開けて外に出るだろう? とにかく、俺の場合はそれがあの日の、あの時に当たったわけだ。

 でも廊下に出た瞬間、変な感じがした。

 どこからか楽しげな笑い声と、ぱたぱた駆け回る音が聞こえた。しかもたくさん。でも場所がわからなかった。天井裏? 壁の向こう? 床の下? 

 やがて、そこら中から聞こえてきた。笑い声、足音、そしてさくさく……とビスケットを齧るような音も。でもそれに至っては、幻聴だったのかもしれない。木々のささめく音を、そんな風に聞き違えただけかもしれない。緊張のあまり。


 俺は——怖いと思った。


 きっと、そう、思った。だって、怖いと思わないわけが、ないだろ。子供はいなかったはずなんだから。壁に手をつきながら、リビングの方へと歩いていった。みんながいるとしたら、きっとそこだろうと思ったから。俺の部屋は二階にあるので、階段を降りなければならなかった。でも階段の前まで来た時、俺の足はぴたりと止まった。


 首。


 首が落ちていた。


 信じられない話だけど。


 誰に聞きたくても聞けないから、ここに書くしかない……自分の家の階段の、一番上の段に、血の滴る生首が落ちている時、「怖がる」のは普通の反応なのだろうか? カーペットが汚れたことに怒ったり、それが誰の首であろうと気味悪がったり、しない? 怖いのか? 本当に。俺の場合、それはだったけれど——俺が思ったのは、この兄なら、ということだけだった。

 この兄ならきっとひどく怒るだろう。

 うちにこんな汚いものを置きやがってと、心底激しく怒るだろう。

 なら、俺も怒ったほうがいいのかもしれない、と。


 階段には絵を描いたように、いくつも血溜まりができていた。


 あるいは雨が降った後の公園の階段のように、というべきかな。なるべく避けて歩いたけれど、僅かに触れたところから、花が開くようにスリッパに染みが広がった。冷たかった。一体何時間放置されたらあんなにも冷たくなるのだろう? 時刻は……確か真夜中の十二時だったかな。身体の方はもっと下に落ちていた。階段の終わり際に。下手くそなダンスを踊ってるみたいな格好で。


 吐いたと思う。たぶんそこで。


 ごめん……汚い話。笑い声が大きくなっていて、割れるように頭が痛んだ。腹も減っていたから、余計に気分が悪かった。せめてもの幸いは、胃が空っぽで胃液しか出なかったことだけだ。


 さくさくさくさく……と、ずっと音がしていた。


 思うんだけど、あれは霊やファンタジーなんかじゃない。車や、ビルや、船。木々や、海の水、風と同じ。確かな実体と力を持って、そこにいる。決してオカルトなんかじゃない。そもそも、オカルトと現実の境目はどこだ? 俺たち人間が浅知恵をつけ、病気と正常の区別を作り上げる、そのずっと前から、彼らはただそこにいて、ただ生きている。そういったものを空想の世界に追いやることこそ紛れもないファンタジーだ。見ないふりをすればつけ込まれる。食い荒らされ、滅ぼされる。

 だってそうじゃなかったら、どうしてあんなこと。


 千切れた手足と肉の欠片。

 廊下の至る所に、食べ残し。歯形。パーティーのオードブルを残すみたいに自然なこと。

 あちこちつまんで、飽きたら捨てる。


 あれらを全部つなぎ合わせたら何人分になったのだろう——首だけは全て残っていた。硬くて食べる部位が少なかったのだろうと今ならば察しがつく。爪で乱暴に引き裂いたような跡と共に、兄弟姉妹全員の首が、点々と落ちていた。






 廊下の向こう側を、子供たちが横切っていくのが見えた。





 みんな白い服を着て、白い肌で、軽やかに歌を歌っていた。足音さえ天使のように軽く、淡く、新雪を踏むように。俺は駆け出した。玄関までまっすぐに、スリッパが脱げて素足になっても、止まらずに走った。べちゃべちゃと音を立てて。


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