2017.11.7 花に雨に凩





 昨日の夕方のうちから薄々思っていたことだったけれど、やっぱり雨が降った。


 ちょうど真夜中に、ぽつぽつと屋根を雨粒が叩く音がし始めて、早朝のニュースが始まる頃には、すっかり本降りになっていた。俺は気まぐれで、なんとなく早起きをした。中学生という年下の存在が、ほんのわずか、俺に「真人間たれ」という気力を奮い立たせたのかもしれない。ていうか、それ以外たぶんない。もう見栄だ。虚栄だ。


 朝の台所には、すでに母がいて、鼻歌まじりに卵焼きを焼いていた。


 母はもうアラカンで、これだけの兄弟姉妹を育ててきて相当苦労しただろうに、未だに老け込む気配がない。吸血鬼カーミラか何かのように、優雅で、気丈で、色褪せない。カーミラは病弱だったから、まあ、あれが月下美人だとすれば、母は向日葵……は安直すぎるか。そうじゃない。あれはそこまで底抜けに明るい生き物ではない。もっと近い花を挙げるなら、日差しの中の牡丹桜かな。

 イメージの中ではいつも満開で、でっかい花弁を贅沢に振り撒きながら、実際は人生のほとんどの時間、どっしり構えて地味に立っているだけ。そんな母だ。


「あら、おはよう!」


 まるで少女のような微笑みを浮かべて、母がこちらを振り返った。おはよう、と返すと、今日は早いのね、とまた笑った。

「まだご飯できてないのよ。顔洗って、着替えて待ってて」

 言われた通りにした。あらかた終わって、朝の物騒なニュースを見ながら、リビングのソファで寝覚めの一杯(角砂糖を放り込んだ熱い紅茶)(本当に見栄を張った)を飲んでいると、従兄弟が起きてきた。彼は丁寧に挨拶をし、てきぱきと身支度を済ませていたが、その様がもはや一端の社会人みたいだったので、本当に偉いなと思った。今の「中学校」という社会には合わないだけで、そういうところを見れば、人としての芯は立派だということがわかるものだ。少なくとも俺はそう思いたい。


 朝食は白ご飯にしめじとねぎの味噌汁、卵焼き、ベーコンとアスパラの炒めものに、切り干し大根の煮物(作り置き)だった。


「どうかしら? ■■くんのおうちのとは少し味つけが違うかもしれないけれど、お口に合う?」

 そんなふうに聞かれたら、まず「不味いです」なんて言えないと思うのだが、とにかく母はそんな質問をした。だが従兄弟は特に困った様子も見せず、「美味しいです」と答えた。微笑みこそなかったものの、彼は元来そういう物静かな性格なのだろう。

「うちの卵焼きはしょっぱいからなあ」

 俺がぼそっと、助け舟を出すというわけでもないが、ただなんとなくそうこぼしたら、母がすかさず言った。

「あら、このだし巻き卵はうちの秘伝なのよ? ひいおばあちゃんだって同じレシピを使ってたんだから。ふわっとしてて、出汁が香って。ご飯も進んで美味しいでしょ?」

 そうだね、と頷いて、俺はご飯を食べ進めた。別に不味いと言いたかったわけじゃない。そもそも俺には食べ物の好き嫌いがほとんどなく、腐ってたりしなければ多分なんでも食べられる。もし出されたのが卵焼きでなく目玉焼きであったなら、俺は調味料として目についたものを何でもかけただろう。醤油でもソースでも、ケチャップでも。

 ただ甘い卵焼きを何かの時(なんだったかは忘れた)に食べたら、美味しくてびっくりしてしまって、時々思い出すというだけなのだ。

「雨降っちゃったけど、撮影はどうする?」

 聞いてみると、従兄弟は「今日は編集作業の日にする」というようなことを言った。こちらとしても、午前中は眠くて(頭がぼーっとするだけで眠れないといったところ)、あまりアクティブな活動はできないので、内心助かったと思った。


 というわけで、映画監督のアシスタントのような役を、今日はずっとしていた。


 もっともこの小さな監督は一人黙々と作業をするタイプなので、俺はKindleで雑誌を読んだり、姉にもらった本を読んだり、ほとんどサボり同様の仕事ぶりだったが、一応おやつ休憩を促したり、世間話の相手になったりするくらいのことはした。午後の休憩の時、ひょんなことから中学校の話題になり、あー話題を変えた方がいいかなぁなんて思っていると、従兄弟は「仕事を押し付けられて困っている」と、控えめに愚痴った。

 彼の拙い語録をまとめると、次のような感じだ。



 中学校でどのクラブにも所属していない自分は暇そうに見えるらしく、やれ「大会が近いから係の仕事を代わってほしい」だの、「他の生徒は忙しいからお前が残って委員会の仕事をやってくれ」だの言われる。そのこと自体は別にいいのだけれど、感謝もされなければ、謝礼をもらえるわけでもない。それどころか、お前は暇だからちょうどいいだろう、などと、なぜか押し付けた側がまるで「いいことをした」かのような顔をするのが、自分には理解できない。

 自分にだって、クラブという形ではないにせよ、家に帰れば色々したいことがある。やらなければいけない課題もある。クラスでも係でも委員会でも、割り与えられた仕事はちゃんとこなしていて、人に迷惑をかけているということはない。クラブという団体に所属しているというだけのことが、そんなに偉いのだろうか。それとも、自閉症の自分に、社会経験をさせてやっているつもりなのだろうか。だとしたら、こんな社会は気持ち悪い。



 聞いているだけでも、胸の痛む話だと思った。胸が痛む、なんて薄っぺらい表現だけれど、これがれっきとした本音だ。そこで怒ったり、逆上したりしても、逆効果なのは目に見えているが、普通なら怒っていい場面だとは思うし。うーん。難しい。

「『社会』って単語は、元々日本にはなかったんじゃなかったっけな」

 俺は迷いに迷って、そんな、よくわからない返しをした。

「なんかで読んだんだよね……明治時代になって、外国の概念を翻訳するために作った、当て字みたいなものだって。俺は思うんだけど、この現実に、社会なんて大それたものはないんじゃないかな。大量のヒトがいて、共同生活をして、蹴落としあって、家に住み着いたり移ったり、資源を奪い合ったり貯蓄したり、そんな雑な営みのことを『社会』と呼んでるだけで。そして最後には、自分たちと同じ幻想に乗れるかどうかで、仲間を分けているのかもしれないね」

 すると、従兄弟はまた尋ねてきた。「学校のみんなを好きになれない自分は、どこかおかしいのだろうか?」といった質問だった。俺は答えた。「みんなはみんなのことなんて大して好きじゃないと思うよ。好きじゃなくても、好きなふりができるだけで。そしてそれは才能とかじゃなくて、ただの遺伝と本能なんだよ」。


 結局、そこに人らしいものなんて何もないのだから、気に病む必要はない。


 そんな言葉をかけるしかなかった。もっと当たり障りのない慰めの言葉を、かけることもできたけれど。きっと純粋な彼には、その類の慰めは、逆に酷だろう。昆虫レベルの思考停止が押し通る「学校」という場所について、あくまでも人として悩んでいる時点で、もう従兄弟は完全に別の生物じゃないか、と俺は思った。


 夕方になると、雨も少し収まってきた。


 晩飯はまた母と従兄弟と俺の三人で食べて(海鮮寄せ鍋だった)、規則正しい朝型人間の二人は、そのままそれぞれ風呂などを済ませて、眠ってしまった。昨日の姉は昼ごろに帰ったらしく、一番上の兄も帰りは深夜になるそうで、実質これで解散だった。


 今日の日記はここまで——にしようと思ったけれど、ちょっとだけ追記。


 明日の天気予報は晴れなのだが、珍しく強風注意報なるものが出ていた。なので自分への約束というか、リマインダーとして、「明日東屋に置いてるものを家に入れる」とここに一応メモっておく。以上。

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