第8話加見ノ森の泉

 そこは木立の間にぽっかりと開いた空間で、広さは三メートル四方と言ったところだろうか。地面には草も生えておらず、むき出しの地面があった。


 中天にかかる月があたりを照らしているので、このあたりだけは明るい。

ゴツゴツした黒い石が水をたたえた泉を取り囲んでいて、その中心から盛り上がるようにして水がわき出ていた。


 泉と呼ぶには小さなものだった。水たまりと呼んでしまいそうなほど小さくてささやかな窪みだったが、シズはピンと張りつめた圧倒的な冷たさを感じた。


ポタリ、ポタリと、泉にはしずくが落ちていた。


これが宮司さんから聞かされた、月読つくよみ様が年に一度、天から落としてくれるという清浄なる水、変若水をちみずなのだろう。


 落ちたしずくは、水面に落ちて跳ね上がり、小さなしぶきとなって水に溶け込んでいた。


白いウサギはその泉の傍らに座り、小さな鼻をヒクヒクさせながら、シズを見上げている。

「そうだ、私のお役目を果たさないと」

シズは持って来た白木の手桶を泉の上にかざして、天から落ちてくる聖なる水を集めた。


 ひとしずくずつしか落ちない変若水はなかなか桶一杯にならなかった。

シズの細い腕はすぐに疲れてふるふる震えた。でもこぼしてしまっては意味が無い。手の感覚がなくなるのにも堪えて、変若水を受けることに集中した。

 

 やがて桶の中に変若水が溜まってくると、今度は重さもこたえた。桶を支えている腕はすぐに下がろうとして、桶が傾いてしまう。


時々桶を手元に引き寄せて休みながら、時間をかけて桶の六分目ほどの変若水を溜めた。


 シズが桶を引き寄せて、ふう、と何度目かの息を吐いたとき、ウサギが動き出した。

泉まで案内してくれたのと同じように、数歩行くとふり返った。


シズが手桶を抱えてウサギの後を追うと、ひとつの切り株に案内された。

切り口はまだ瑞々しくて、都から来た木こりたちが伐ったものだとわかる。


シズは懐から筆をとりだして、桶の水をたっぷり含ませると、ていねいに塗っていった。


 変若水が切り株に触れると、キラキラ光りながら吸い込まれた。後には何も残らず、見た目には変化はなかった。


これで良いのか、少し不安になったが、ウサギがまた動いたので後を追った。


こうしてシズは、ウサギに案内されながら一晩中切り株に変若水を塗ってまわった。

夜が明けて、陽が東の空から昇る頃、シズはようやく五十本すべての切り株に変若水を塗り終えた。


 両肩は痛み、腕は持ち上がらないほど痺れていて、足も棒のように重く動かすのが辛かった。


 それでも、やり遂げたという安堵がシズを包んでいた。

シズは天を仰いで、機会を与えてくれた神様と、導いてくれたウサギに感謝した。

 

ウサギはシズを再び泉まで案内すると、いつの間にか消えていた。


あとはこの泉の水を汲んで戻り、病人に飲ませれば。

シズは疲れた体を奮い立たせて、桶を抱えて森を出た。

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