第2話森守村《もりかみむら》

 森守もりかみ村はいつも穏やかで平和だ。

二十戸余りの小さな村で、約六十人の村人はみな顔なじみ。裕福ではなかったが、気候が穏やかで、毎年そこそこ食べて行けるくらいの実りがあった。


 大病を患う者もなく、老人も健やかに暮らし長生きな者も多い。村の西にある加見かみノ森と、森の入り口にある森守もりかみ神社が村を護っていると言われていた。


 ある日、珍しく都から来たという商人の男が村に立ち寄った。


 めったに外から人が来ることのない村である。誰が対応するかで混乱して、最終的に庄屋の富野敏志とみの としが出ることになった。


 富野敏志は、十人近くの小作人を抱える農家の主で、シズの父親の太平たへいも小作農のひとりだ。


白衣に紺の袴をはいた姿は威厳があり、村人の相談事などにも良く答えていて信頼を寄せられていた。


「それでは、話を聞こう」

商人の男と、一緒に来た使用人らしい若い男は、庄屋の家に招き入れられた。




翌日の夕方、各家の世帯主に当たる男たちが庄屋の家に呼び集められた。

都から来たという商人の話を住民に説明するためだという。


 商人は、山内伊蔵やまうち よしぞうと名のった。

四十がらみの小太りの男で、七三分けの短髪は髪油かなにかでテカテカに光っていた。白い開衿シャツに黒いズボン、和装が基本のこの村ではひどくハイカラな姿に見えた。


 一緒に来た信夫のぶおと呼ばれている若い男は、伊蔵の使用人兼護衛であるらしい。痩せていて着ている服がダボダボで体に合っていない。

伊蔵に忠実なようで、言いつけを素直に聞いているが、無表情で何を考えているのかは良くわからなかった。


「皆に集まってもらったのは、この伊蔵さんが持ちかけてきた話のことになる」

庄屋の富野が口を開いた。

いつものように紺の袴姿で、広間の上座に座っている。


富野の左隣には客分の伊蔵が、右隣には森守神社の宮司である鷲宮司わしみや つかさが座っていた。


鷲宮は、神官にふさわしい、紫地に薄紫の八藤丸文様が描かれた袴をはいている。五十過ぎたくらいだろうか、もの静かな中にも意志の強そうな強い眼差しをしていた。


「説明は、私からいたしましょう」

伊蔵は身を乗り出して、笑みを浮かべた。


 伊蔵によると、都に架かる大橋が古くなって架け替えをすることになった。そのため大量の木材が必要になり、各地を探してまわっているという。

村の西にある森の木は、太くて真っ直ぐに伸び、質も良いように見うけられる。これほどの木は他にはないと言う。


「つきましては。かの森の木を幾ばくか売っていただきたく」

伊蔵が話終えないうちに、宮司の鷲宮が割って入った。

「西にある森といえば加見ノ森だ。加見ノ森は、神の守り、つまり、この村を護ってくださっている神域だ、売れるはずがない」


「そんな迷信を、いまどき信じているのですか、木は木ですよ」

伊蔵がやんわりと当てこすると、宮司はあからさまに嫌な顔をした。


「まあまあ宮司さん、気持ちはわかるけど、落ち着いて、伊蔵さんの話を最後まで聞きましょうよ」

庄屋がなだめて、二人にお茶を勧めた。


「西の森は、加見ノ森と言うのですね。森は大きく、どれほどの木が茂っているのか、数え切れないほどです。時には間引いてやることも、風通しのためになるものですよ」

伊蔵は、もの柔らかに微笑んだまま続けた。


「われわれが欲しいのは五十本。できれば百本と言いたいところですが、村の皆さんの気持ちを汲んで五十本いただきたい。森の木をすべてと言っているわけではありません。どうか、考えてみてください」

深々と頭を下げてから、集まっている村の男たちを見渡した。


 それからの数時間、話し合いは続いた。大まかな意見としては、宮司の絶対に売れないという意見と、庄屋の五十本なら良いのではないかという意見に二分した。


 庄屋は、木を売った金で、村の灌漑用水路の整備をしたいという。村の農民にとっても、それはありがたい話だ。


今は近くの川からくみ上げた水を長いホースで引いてきている。それが、田畑のすぐそばで使えれば、どんなにか効率が上がるだろう。


宮司が顔を真っ赤にして力説しても、話し合いはしだいに木を売る方へ傾いて行くのだった。


 伊蔵は一切の口をはさまず、微笑みながらそのようすを眺めていた。

そろそろ話し合いに決着がつくところで、一本あたりの買い取り額を若干増額して、一気に取引をまとめた。


「それでは、私は明日、一度戻って、お金と工員の手配をしてきます。数日ほどで戻れると思いますので、それから木の伐採にかかります」

そう言って伊蔵は、使用人の信夫を伴って村を出ていったのだった。

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