砂丘の底


(一年前・砂漠の町エギム)


「コリン、三号個室に〈鍋の底〉二人前追加だ!」

 厨房のインターホンから、三階にいるコリンの兄、フレッドの声が響いた。


「了解!」

 コリンは端末に向かい叫んでから、中華鍋の料理を大皿に移した。


「二〇五番テーブル、エビチリ上がったよ!」

 コリンは出来上がった大皿料理をリフトに乗せて、二階の給仕頭リンダに伝える。すぐに〈鍋の底〉用にガーリックトーストを焼く支度を始めた。


〈鍋の底〉は大衆向け料理が多いこの店の看板メニューで、普通に呼べば〈鍋の底に残った二日目のビーフシチュー〉というところだ。


 最初から濃厚な味付けにしたシチューと付け合わせのガーリックトーストの相性が良く、汗をかいた後には濃い味の料理が好まれるという定石通りの人気料理だ。


 コリンが父と兄と三人で暮らしながら営業しているこの酒場の名は、『砂丘の底』という。


 エギムの町を砂漠から守る二重の防壁の外、町で一番大きな東門から二百メートル少々離れた砂丘の頂上にある、三階建ての酒場だ。


 丘の上にあるのだが、何故か店の名前は『砂丘の底』。

 この惑星では、泥酔して足腰立たなくなるまで飲むことを、砂丘の底へ沈む、と表現する。


 町の男たちは毎日懲りずに、この店へ沈みに来るのだった。



「一〇二番テーブル、トマトとアボカドのサラダ。あとエールを二杯追加」

「はーい!」


 店主である父エドガーの声に、ウエイトレスのサムとケリーが答える。簡単なサラダなどの料理は長男フレッドの婚約者であるサムが手伝っている。ケリーは樽からエールをジョッキに注ぎ始めていた。


 こうして『砂丘の底』は、今日も大繁盛だった。



 ここは、惑星エランド。

 海がなく、全体が砂と岩に覆われた砂漠の惑星だ。


 本格的に人類が移住を開始してからまだ四百年しか経過していない、いわゆるフロンティアの一つだ。


 エランドの静止軌道上にあるステーションには、当然他の星系と繋がる転移ゲートが備わっている。しかし、ここは特産物もなく観光客もあまり訪れない辺境の惑星なので、ゲートの稼働率は低い。


 元々移住した人類が惑星全土に及ぶ気候改変(テラフォーミング)を拒否し、生態系を破壊せずに共存することを選んで開拓した惑星である。

 住民の環境保護に対する意識は高い。


 場合によっては高すぎて、自分たちの生活環境を犠牲にしてでも、原生生物を守ろうとする。


 何しろ初期の入植者たちは、高温で乾燥した砂漠の気候に適応可能な地球上の生物をこの星へ持ち込まないよう細心の注意を払い、徹底的に厳しい規制を課したのだ。


 おかげでエランドの砂漠には、今も地球由来の野生生物はほぼ存在しない。


 この星の地表環境が厳しすぎるため、開拓時には大深度地下に都市を築いて地下トンネルで繋げる予定だった。地上は原生生物の楽園のまま自然公園として、銀河中から観光客を呼び込む、そんな計画だった。


 しかし今もこの星の住民を悩ませる、電子機器に悪影響を与える「モス」と呼ばれる微細な植物性の浮遊物が引き起こす様々なトラブルが相次いで、地下都市の建設計画は遅れに遅れた。


 その間に低コストで地表へ設営可能な小さなコロニーを幾つか作ったのがきっかけとなり、結果的にはそれが無差別に増殖して、砂漠に点在する都市群が出来てしまった。


 以後、原生生物への影響が少ない岩場の穴に居住し惑星環境を少しでも守ろうという旧勢力と、砂漠のコロニーで呑気に暮らす新勢力との間で対立が続いた。

 岩場と言っても、人の住める場所は極めて少ない。


 凍結した南北両極地と灼熱の赤道直下にある岩場、ある意味砂漠よりも過酷な三か所に暮らす旧勢力は、それぞれが内乱を抱えて、勝手に衰退してしまった。


 結果的に何もしなかったコロニーの新勢力が惑星の主導権を握ったまま、今に至っている。


 砂漠の暮らしは、思ったほど厳しくはない。町で呑気に暮らす一般市民は健やかで、衣食住に困ることもなく、豊かな暮らしを謳歌している。



「おいコリン、ちょっとヴォルトへ行って、新しいエールの樽を二本持ってきてくれ。今日の客は吞兵衛が多いみたいだ」


「はーい」

 コリンは父親の指示で、厨房奥のエレベーターに乗って地下二階へ降りた。


 エレベーターを降りると廊下の奥にある扉が、ヴォルトと呼んでいる食糧倉庫だ。

 コリンは倉庫に入る。


 倉庫の前室部分に棚があり、よく使う食材はあらかじめ奥からここへ運んでおく。それもコリンの仕事の一つだ。


 コリンは手前の酒類が並ぶ一角へ向かう。

「さて、エールの小樽を二つ、と」


 この店で出すビールはエールだけだ。この乾燥した星ではもっと飲み口の軽いラガーが好まれているが、何故かこの店ではずっとエールばかりが売れるので、他のビールはメニューから消えた。


 小樽とはいえ結構な重さのエールを台車に乗せていると、足元で雌猫のニアが鳴いた。


 ニアはコリンが一歳の時から一緒に暮らす相棒で、同い年の十四歳。猫としては結構な老齢だ。


 いつもこの時間は店の中で客に食べ物を貰っているころなのだが、どうしたのだろうか。


 ニアは台車に飛び乗り、コリンがヴォルトを出るのを待っている。

「もしかして、ニアはヴォルトから出られなかったの?」


 聞くと、コリンの顔を見上げて「にゃあ」と鳴く。なるほど、扉を開けられずに閉じ込められていたのか。

「そりゃごめん」


 開店の準備で扉を開けたまま食材を何度も運んでいると、時々奥で寝ているニアを忘れて扉を閉めてしまうことがある。


 ヴォルトの扉は二重で、前室の奥にもうひとつ同じ扉がある。奥の扉は開けている場合が多いが、猫のニアには入口の重い扉は扱えない。



『砂丘の底』はエギムの町の外にあり、彼らペリー家はそこで代々酒場を営んで暮らしている。

 彼らの住むこの酒場は、大昔の葉巻型巨大宇宙船のブリッジだったと言われている。しかしエギムの町が開拓されてから三百年、この場所を1ミリも動いていない。


 元々の宇宙船は、上部を少し削って平らにした葉巻の中央に、小さな船橋が突き出ている、そんな姿だったのだろう。


 葉巻の本体は長年砂丘に埋もれたままでなだらかな丘を作り、船橋部分だけが地上に露出している。


 彼らが利用しているのは巨大な船体のほんの一部分だけで、地上に出ている船橋部分と地下にある倉庫だけだった。


 巨大宇宙船のブリッジとはいえ、元々の船が戦艦ではなく長距離客船だったらしいので、船橋部分は単なる飾りの要素が強い。


 元はVIP客用のラウンジになっていたらしく、そのまま大半の設備を流用しながら酒場として使っている。


 酒場は比較的町の門から近く、門前には天気さえよければ移動式キャビンの屋台が並んで小さな門前町を作り、夜は酔客で賑わっていた。

  

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