猫なのに


「はいよ~、エールお待たせー」

 厨房と客室の間のカウンターでサーバーの空樽と交換すると、すぐにケリーがジョッキを持って注ぎに来た。


「コリン、グッドタイミング!」

 ケリーが突き出した右手に、コリンも拳を合わせる。


「じゃ、あとは頼んだねー」

 そう言ってコリンは慌てて厨房へ戻り、たまっている料理の注文リストを見る。


[えっと、ラムチョップとザワークラウト、ソーセージとジャーマンポテトにチーズオムレツ……今日はエールに合わせた注文ばかりだな……」

 コリンは厨房で忙しく働き始める。


 恐らくニアはそのまま客席に行って、常連客に挨拶をして回りながら食べ物をねだっていることだろう。


 ペリー家が代々食材を得ているヴォルトと呼ぶ食糧庫は、この店の心臓部だ。

 ヴォルトはいくら使っても中身が減らない、謎の食糧庫。


 どこからかは知らないが、自然に在庫が補充される、夢のような玉手箱だった。

 それだけで、この店は無限の価値を持つ。


 これさえあれば、砂漠の中でも人類は飢えから永遠に解放される。

 ……のだろうが、実際には、この過酷な環境の惑星上でも、飢えている人など誰もいない。


 ついでに言うと、彼らが使う電力や水も宇宙船本体から供給されていて、下水処理を含めて町のインフラからは、完全に独立しているのだ。


 この一連の事実は、町の誰も気付かない、ペリー家だけの秘密だ。

 しかしそれがどんなに稀有な事実であろうと、基本的にはどこの町でも余力があって、さほど状況は変わらない。


 水を大量に使うことに対して罪悪感を覚えるという習性だけが、砂漠の住民を今でも縛っている。


 その点では、ペリー家の面々は、湯水のごとく水を使うことを厭わない。


 さて、コリンと一緒に暮らす父親の名は、エドガー・ペリー。十歳年上の兄の名はフレッド・ペリー。そして末っ子のコリン・ペリーは十四歳だった。


 父と兄は筋肉質で立派な体格の朗らかな男で、笑顔で立っているだけで多くの人を引き付ける何かを持っていた。


 よく似た二人はおよそ何でも器用にこなす、優秀な人間だった。


 対して、母親に似て小柄で内気だったコリンは、小さいころに母を亡くして以来、人前に出るのを極端に嫌がり、地下の食糧庫の中に一日中隠れて過ごしていた。


 八歳からコリンは店の手伝いを始めたのだが、その時にはまだ人見知りで友達もいない、自信のない子供だった。


 でも、彼は完全に一人ではなかった。



 ニアという名前の雌猫は、コリンが一歳になる前に店へやって来た。


 ニアは、頭から背中と尾の先までは薄い茶色で、残りは全部白くて短い毛並みの美しい猫だった。

 尾は長く体は小型で、まあ、ごく普通にいる雑種猫だった。


 亡くなった母親の友人で今でも給仕頭として店を手伝ってくれているリンダが、病気がちの母に代わって、少しでも小さなコリンの孤独を癒そうと連れて来たのがニアだった。


 コリンと同じでまだ一歳にもならなかったニアは、知ってか知らでか、その使命を懸命に努めた。


 そのころからコリンの母親は病気がちで、コリンが三歳の時に亡くなってからは、本当の兄妹以上に親密に過ごした。


 幼かったコリンは、ニアと共にほとんどの時間を地下の食糧倉庫で過ごした。

 そのころのコリンの思い出は、ニアと、ヴォルトと、不思議な光る飲み物が占めていた。



「にゃにゃにゃ~」

 ニアがフルーツ棚の上で騒いでいる。


「ニア、見つけたね!」

 三歳のコリンは大喜びで、ニアの所へ駆け寄る。


「あっ、今日はこのリンゴと同じ、真っ赤な色だね」

 コリンはニアが見守るガラスのボトルを、真っ赤なリンゴの間から持ち上げた。


 薄茶色の液体が、透明な瓶の中で揺れている。その揺れと共に、液体の発する赤く淡い光も揺れた。


 これが毎日二人で探している、光る飲み物だ。

 そのころのコリンとニアは、毎日飽きずにヴォルトの奥を彷徨っていた。


 目的はある飲み物を探すこと。ヴォルトの中には、不思議な飲み物が隠されていた。それは彼ら二人にしか見つけられない、特別な飲み物だ。


 コリンは、物心ついたころから、その光る飲み物を飲んでいた。


 ヴォルトの中でたまに見つかるその光る瓶には、とても美味しい飲み物が入っていた。瓶の種類は毎度違うのだが、光っているのはその中身で、コリンもニアもそれが大好きだった。


 不思議なことにその飲み物が光って見えるのはコリンとニアだけで、しかもそれはいつも同じ場所にあるわけではなかった。


 整然と食材の並ぶヴォルトの中で、それは極めて異質な存在だった。


 使った分が自然と補充されるヴォルトの中は、食材の並びも分類されていて、飲み物は飲み物の場所に種類ごとに配置されている。


 しかし彼らの大好きな光るボトルは、それとは別にでたらめな場所へ置かれていた。


 例えば巨大なカボチャの陰に隠れるように。

 ある朝には、山と積まれた小麦粉の袋の後ろに。

 はたまた、整列するオリーブオイルの瓶に紛れて。


 しかし、その独特の揺らめく光を探すのは、ゲームのようで楽しかった。


 コリンとニアは毎日、美味しい光る飲み物を探してヴォルトの中を走り回っていた。


 彼らの求めるボトルからは明るい炎のような光がゆらゆらと立ち昇り、色も様々で中には黒い炎のようなものもあった。


 二人は次第にその光を見つけるのにも慣れて、より光の強いボトルが美味だと気付くと、益々熱心に探して飲むようになる。


 毎日朝から晩まで、何本ものボトルを見つけては二人で飲み尽くした。それがずっと、二人の毎日の楽しみだった。


 ところで、二人が四歳になる前から、朝起きて晩に寝床に付くまで一緒に探し回っては飲み干していた光るボトルの中身の正体がなんと、お酒であることに気付いたのは、もう取り返しがつかなくなった七歳のころだった。


(僕も大概だけど、猫のニアが毎日あれだけ大量のお酒を飲み続けて、よく無事だったよなぁ……)

 コリンは今でもそう考えると、冷や汗が出る。


 ウイスキーやブランデーのような強い酒を、子供と猫が毎日二人で四、五本は空けていたのだから、全く狂っている。


 ヴォルトに隠れて飲み続ける光る酒は、とにかく彼ら二人だけにとっては特別な美味で、しかし他の人にはその光が見えず、例え口にしても、味も香りも抜けた古い傷んだ酒としか、認識しない。


 そんな謎の光る酒を毎日浴びるように飲んで、二人は幼少期を過ごした。いくら飲んでも飲んでも、気持ちがよいだけで、不思議と酔いつぶれることはなかった。


 ある日、コリンはおかしなことに気が付いた。

「あれ、ニアの体が光ってるんだけど?」


 ニアの体を持ち上げて、近くでよく見る。

「にゃうにゃう!」

 ニアに言われてよく見ると、ニアを抱き上げている自分の腕も同じように光っていた。


「これは、光る酒と同じだよ……どうしちゃったんだろ?」

 子供心に、コリンは何かとんでもないことになってしまったという恐れが広がった。


「光る酒の飲み過ぎで、こんなになっちゃったよ、どうしよう、ニア」

 その日は、怖くなってもうそれ以上光る酒を飲むのを止めた。


 しかし、コリンとニアには見えるその体から発する光も、酒と同じで他の誰にも見えないようだった。


 ニアはそんなことを気にせずに、相変わらず光る酒を見つけては飲みたがっている。

「まあ、いいか」

 そのうちコリンも開き直って、また飲み始める。


 元よりニアは勝手に光るボトルを自分で探してきて、器用に開けて飲んでいる。猫なのに……


 二人は体から発する不思議な光を強めたり弱めたり色を変えたり、体の一部分だけを光らせたり消したりと、様々なことができるようになった。


 二人で競うように試しているうちに、それが面白くなり一日中そうやって遊んだ。


 ある時、コリンは気付いた。

「この光は、エギムの町の中央に建つ尖塔と、町を囲む外壁が僅かに帯びている光に似ているよ」


 実は、以前から知っているその微かな町の光も、コリン以外の人には見えていないようだった。


(いや、僕に見えるということは、きっとニアにも見えているのだろう)


「結局は、僕らの体から光が出ないようにすればいいんだ。それなら、僕らの秘密が知られることはない。町の精霊魔術師には、この光が見えるのかな?……」


 コリンは光る酒を飲み続けるためにそれだけを決めて、ニアにも話して聞かせた。


 賢い猫はその話が分かるようで、一緒に体から出る光をコントロールする遊びに付き合ってくれた。



  

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