13
「今週末、あなたの事を教えて下さい」
たった一言、lineで乾から話しかけられただけなのに、えらくご機嫌になってしまって、でも乾に声を掛ける勇気なんてものはなかった。自分の行いを忘れてしまうくらいに浮かれ気分になっていた。
その日はあっという間に乾にどういう風な返事をすればいいのか、どこに乾を連れて行けばいいのか考えている内に、午後の授業は終わってしまった。勿論、ノートは全く手に付かなくて、何を教壇の先生が言っているかなんてわからないまま放課後になって、俺は通学カバンを掴んで急いで家に帰った。
帰る電車の中で、なんどもlineを開いて、返事を書こうとして、でも乾の言葉が嬉しくて、乾の気持ちが分からなくて、なんであんな失礼な事をした人間に声をかけるんだろうと思った瞬間に、それまで浮かれていた気分が一瞬で吹き飛んだ。
…坂口と呼んでくれなかったのはなんでなんだろう。
立った一言、人称が少しだけ距離のおかれた言葉になっただけなのに、たった一言に俺の中の思いが落ち込んでいくのがわかった。俺は何に浮かれているのだろう。心君が俺に向かって何か言っていた事を思い出す。急に。何を言っているのかなんて、内容は覚えていなかった。でも、心君の人を見下したような、醒めたような目線だけを思いだす。
心君の行動は乾を取られた俺に対するやっかみだと思っていた。し、実際にそうだと思う。執拗なlineは常に乾の事に関する言葉で、俺に向けられた言葉ではないと思っていた。乾に近づこうとする俺に対する嫌がらせ。乾に俺が近づいて仲良くなるのをやめさせようとしているとしか思えなかった。
でも、今日の俺をみる心君の視線はいつもと違ったと思う。
なんで、急にこんな冷え込んだ気持ちになってしまうのか、自分が分からなくなってきた所で、乾の言葉の意味が腹落ちしてくる。
「今週末、あなたの事を教えて下さい」
…俺は、乾に何を紹介すればいいんだろう。
いつの間にか俺は自分の家の部屋の中の、ベッドの上に寝ていた。制服は脱がずに、一心にスマートフォンの画面を見ていた。乾から追加の返信はなく、心君からのlineなどなくて、俺は、乾に何を紹介すればいいのか分からなくなっていた。
先週からの流れで言えば、今度は俺の番で、俺が乾に俺の事を教えないといけないというのは、明確だったし、でも乾が俺に興味を持っているとも思っていなかったので、乾が俺の事を知ろうとしているのか、それとも、町の中にある乾が定点観測している事物の1つとして俺をみようとしているのか、それとも、俺は単純に試されているのか。何も分からなかった。
ただ、1つだけ確かな事はあった。
乾は乾の中の筋に従って俺の事を知ろうとしてくれているのだ。
そして、俺は自分のメモ帳を久しぶりに開いた。
認めたくないし、時間は残されていないのに、ああ、俺には何もないのだ。
挨拶の向こう側。
さらけ出す自分などどこにもない。なのに、俺は乾に自分をさらけ出さないといけないのだ。
俺は、乾に何を紹介すればいいのだろう。
二つ返事で、浮かれて、舞い上がったり、色々な邪推を働かせて人を勝手に判断してきて、拒絶してきた自分の行いがフラッシュバックする。高校に入ってからも、結局の所心君と、乾にしたように、俺は人に振り回される事は多分好きなんだと思う。嫌いな感情もあるけど、でもそれ以上に、俺は自分になにもない事が嫌いなんだ。
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