10


「なんで、80円の自販機好きなの?」「好きじゃない、まだ、存在がある事を確認してます」「なんで確認しているの?」「確認する事で、自分が存在している事を確認できるからです」「なんで自分が存在している事を確認してるの?」「私は私が分からないからです」


 lineのやり取りを切りだして考えると痛いやり取りだと思われてしまうのだろうかと、一瞬思考が引っ張られるが、乾は多分本気で言葉を返してくれていると思った。だから、余計な突っ込みを入れずに、俺は俺が気になる事や、乾の言葉を引き出せるような言葉をlineで返していった。


「なんでわからないの?」「昨日いった場所と今日行った同じ場所で見える景色が違います」「ちがくみえるんだ」「坂口と一緒に巡った今日と同じ場所を私はずっと巡っていました」「そうなんだ」「一緒に歩いて、坂口が一言感想を言ってくれましたね」「そうだね」「それを見て私は、私を確認しました」「確認できたんだ」「今日は楽しかったです。ありがとう」


 その言葉を最後に乾からのlineは途絶えた。


 俺は、乾の言葉の意味を考えて、とりあえず、乾が喜んでくれたことが嬉しかった。俺と一緒に自分の巡っていた場所を巡る事で、乾が思っている事に対して、何かできたのかなと思った。


 俺が漫然と過ごしてきた日々の中で、乾が何を思っていたのかは分からない。乾が見ている世界と俺の見ている世界や。世界を見る感覚は多分違うに違いない。俺は乾が見てきた世界を今日初めてしったのだから。


 俺が生きている毎日の中で、自販機1つで楽しめたなんてことはなくて、毎日繰り返される惰性の塊みたいな日常にうんざりしていて、その日を過ごすことで頭がいっぱいだった。俺がやったことというのは、メモ帳を開いて物を書く事と、こうして頭の中で考える事ばかりだった。


 俺はメモ帳を開いた。乾と話した内容で面白かった事を書き留めている欄の下に、なんとなくだが、俺が生きてきて、見た世界を書きたくなったのだ。挨拶はできた、乾と会話できた、それで感じる事があった。それを文章にしようとしたのだ。不意に。

 

 主人公は自分だ。自分を主軸して、色々な場所をめぐる主人公が見る世界は、他の人が見ている世界とは違うのだ。違う事を書いて行けば小説になるかもしれない。それが面白くなるかもしれない。自販機の下にある100円玉を見つけたらその日はラッキーだ、高校に行く途中の路地には鯉が泳いでいて、パンを投げたらかわいかった。行きつけのカフェに行って、お気に入りのコーヒーを飲んだ。そんな事を書いて行こうとしたら、しかし乾の見ている世界に比べたら、別につまらないなとなってしまった。


 土曜日、猫に繁華街に戻る途中に、乾が墓の前で立ち止まった。墓の名前を数えて、その中に珍しい苗字があるのを見つけて、喜んでいた。彼岸でもないのに、新鮮が仏花が添えられている。この墓は暫く誰も来ていないみたい。だとか、そういった事を言っていた。それは興味本位で見る視線とはまた別の優しいまなざしがあって、その時、乾は自分の生きている世界の事を、そう、美しいものだと思っているのだなと分かった。


 俺は同じ墓を見ているのに、そう、俺は墓ではなく、乾を見ていたのだ。


 まがい物みたいな物を書いて、乾の話を形にする事に必死になっている自分に嫌気がさしてしまった。


 日曜日は本当に宿題をする気がなくなって、一日寝た。


 寝ている間に心君からlineが来ていて、土曜日はどうだったのか何度もしつこく聞いてきたが、無視した。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る