09

「この公園が好き」


 乾は、なぜこの公園に連れてきたのか、この公園がなぜ好きなのか、教えてくれなかった。俺は、「なぜ」という一言をなんとなく飲み込んで、「そうなんだね」と小さな返事をした。


 乾は俺の返事を確認したのち、公園を通り過ぎた先にある路地を複数曲がり、「油屋」という暖簾のかかった個人商店に入っていった。

 

 軒先には、「カレーパン」の小さな昇りが立っているのだが、店の名前と微妙にかち合わない所や、なぜ「カレーパン」がこんな所に売られているのか、という事、それから店の中に入ると、東南アジアや南米あたりの民族衣装や、アクセサリーが飾られていて、売られていて、ますますこの店をどうして見つけたのか、乾が俺の事をどういった世界に連れて行こうとしているのか分からんくなっていた。


「ここのカレーパンおいしいんだよ」


 1つ200円という高くも安くもないカレーパンを乾は2つ買ってきた。俺が200円払うというと、乾はカレーパンを突き出して来るばかりで、その様子を見た店の店主が、「あらー青春ですねぇ」と何か適当に言っていた。ちなみに店主は、色黒で、男か女か分からなくて、頭にコック帽をかぶっているが、服は割烹着を着ていてアンバランスの塊みたいな人だった。


「うまいな」


 カレーパンは正直うまかった。

 

 サクサクな衣に包まれた、もちもちのパン生地。中のルーは、スパイスばっちり効いていて、店に漂っている香りを数段濃くした感じだ。


 辛さは中辛で、あまり辛い物が得意ではない俺にも許容できるくらいでよかった。味と触感と香りを楽しむ事のできるちょうどいい塩梅のカレーパンで、あっという間に食べてしまった。そういえば今日は家を急いで出てきたので、何も食べていなかった。


 乾は俺にいつの間にか持っていた水のペットボトルを差し出し、俺はそれを飲んだ。色々と肩ひじ張っていた緊張みたいなのが解けて、「カレーパンおいしい」という感想がふっと湧いてきて、いつの間にか声に出していた。


「それは本当ですね」


 乾は表情を崩さずに俺にそういってくれた。


 凄くドキッとしてもらったペットボトルを落としそうになる。


 俺たちは、カレーのたっぷり入った程よいカレーパンを、口からルーを溢れさせそうになりながら、ほおばった。

 

 乾は俺がちびちび食べている間に、あっという食べ終えて店の中の物を見ていた。


 乾の行動、言動は不器用なのかもしれない。けれど、乾にとって大切な物を教えてくれているのかもしれないと、それを見た俺の反応の事も見ていて、だから、俺の感想は嘘やごまかしをした所で意味がないのだなと食べながら思い始めたのだった。


 乾はそこから俺をまた連れ出した。


 ずんずんと先を歩く乾の足は、街から離れて行った。


 どこまで行くんだろうと思っていたら、商店街から離れた住宅街の方まで来ていて、そこは長屋やボロボロのアパートが立ち並ぶ、近くでも治安が悪い所で有名な土地だった。

 

 俺はどこに連れていかれるのか、そこに不安などなかった。乾が連れて行く先は、今までの3スポット共、自分が普段行かない所ではあるが、しかし、乾の目的は「私が好きなものを俺に見せてくれる」訳であって、何かしらの勧誘が目的ではないし、俺を乾の世界の中に引き込もうとするような強引な物ではないと思っていたからだ。


「地域猫が集まるんです」 


 乾が連れてきたのは、またしても公園だったのだが、そこには大きな木が立っていて、出来た木陰には、猫が溜まっていた。そう、乾は俺にお気に入りの猫スポットを紹介してくれたのだった。


 猫の背中を撫でる乾の隣で、俺も生まれて初めて猫を撫でた。


「猫すきなの?」


 乾に聞いてみる。


「猫の毛並みが好き」

「それ以外は?」

「私はこの子たちの面倒を見れない」

「乾は猫を飼ってないんだね」

「坂口は猫好き?」


 聞いてくれたのが嬉しかった。


「初めて触った」

「猫どう?」

「気持ちいい」


 そういうと乾は立ち上がってもと来た道を戻り始めた。


 昼からずっと歩きっぱなして、地図も視ずに歩いているのをみると、多分このコースは彼女にとってお決まりのコースなのかもしれないなと思った。


 繁華街に戻り、今度は北口から南口にむかった。


 ついた先は映画館で、乾が見る映画は既に決まっていた。SF作品だ。上映時間は狙ったかのように、開演15分前で、チケットを買い、ジュースを買って着席したらちょうどいい時間だった。映画はハリウッドの大作という程凝った作りではなくて、言って仕舞えばB級映画のノリで、これまた俺にはなかった価値観の映画だった。


 「エイリアンが人間の土地を襲ってきたので、人間が武装してエイリアンを殺す」話だった。映画館の傍にあるカフェに入り、乾に普段映画を見ているのか聞いてみたが、話は覚えていないと言っていた。本を読んでいる理屈と映画も同じみたいだった。


 乾は、人間の首が吹き飛ぶシーンと、エイリアンの首が弾けるシーンの演出の違いについて30分程語っていて、俺は映画はストーリーを追うものであって、映像そのものを見るという思考がなかったから、乾の話は新鮮だった。饒舌に映画について語る様子を見ているだけで、そう、俺は楽しかったし、幸せだった。


 カフェを出ると、デパートの7階にあるヴィレッジヴァンガードへ立ち寄った。


 乾は緑文字でエイリアンと書かれた宇宙人の黒いTシャツを買っていた。

 映画に当てられたのだろうか。


 あっという間に時間は過ぎ去って、俺たちは陽が落ちてきた6時前に駅で解散する事にした。乾と俺は電車の方角が真逆で、だから、今日の朝集まる予定の場所だった所で解散した。何もなかったといえばそうだし、次の約束もしなかったのだけど。帰りの電車の中で今日あった事を直ぐにlineして、乾も今日はいつもより早くlineを返してくれた。lineをしている間に駅を乗り過ごしてしまうくらいに楽しくて、歩きスマホをしながら家に帰った。


 ベッドに倒れこむ。


 汗ばんだ服の汚れがが布団についてしまって、一瞬風呂にちゃんと入ろうと思うが、今更になって痛くなった、じんじんになったかかとが、俺がこの現場から動く事を許してくれなかった。そう、今日は何気に滅茶苦茶あるいたのだった。


 スマートフォンに備え付きの万歩計をみたら、10000歩以上あるいていた。多分、乾の中にある行動力は普段こんなものじゃなくて、多分俺がいなかったらもっと色々な事を一日の中で見ているのかなとも思った。そう考えると、乾がいつも早足で廊下を歩いている理由が少しわかった気がして嬉しくなった。




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