09 怒り

「どうなってやがる……!?」

 

報を受け、町へと急行したスクト。彼が目にしたのは、凄惨な光景であった。

瞳が真っ赤に染まった人間が、また別の人間を襲っている。それも無差別に、だ。

女子供、老人であろうと例外ではない。皆等しく、他者を傷つける暴徒と化していたのだ。

この地獄のような光景に、思わず汗が噴き出るスクト。

しかし、このままにしておくわけにもいかない。

 

「おい止まれっ!」

近くにいたマウントポジションを取り一方的に相手を殴りつけていた男へと駆け寄り、羽交い絞めにして引きはがす。

 

「嘘だろおい……!」

しかし、ここで問題が起きた。

男はなんと、スクトの拘束を無理やり凄まじい力で振りほどいたのだ!

訓練を受けた兵士である彼の拘束を力づくで振りほどくなど、普通ならあり得ない。

明らかに異常なことが起きている――そう彼は確信した。

 

「ちっ!」

舌打ちをしつつ懐から携帯用のスタンバトンを取り出すと、男へ押し当てる。

流れ出た電流によるショックで、男は昏倒した。

 

「すまねぇな」

スクトは倒れた男を見つめると、そう言った。やむを得なかったとはいえ、守るべき民間人に手を出したのだ。気分のいいものではない。

だが今は、この事態の原因究明と解決が急務だ。多少の手荒な真似は目を瞑る他無いだろう――そう彼は割り切った。

 

「おい、大丈夫か」

しかしだからと言って、被害者を放置しておくわけにはいかない。

倒れた男に駆け寄り、声をかけてしゃがみ込む。

脈を取るも、止まっている。男は既に死んでいた。

ぐ、と歯ぎしりをし、立ち去ろうとしたその時であった。

 

「ぐああっ!?」

なんと、男が突如起き上がり、スクトの首筋へ噛みついたのだ!

常軌を逸した顎の力に、たちまち血が溢れ出す。

目線を後ろへやると、男の眼もまた真っ赤に染まっていた。

 

「こん……の野郎!」

背負い投げの要領で無理やり男を引きはがすスクト。首筋を抑え、一瞬膝をつく。

 

「はぁ、はぁ……どういうことだ!?」

困惑するばかりの彼であったが、これだけでは終わらない。

なんと――

 

「マジかよ……っ!」

投げ飛ばされた男が再び立ち上がり、またも襲い掛かってきたのだ!

キリがないと判断し、応戦するのをやめて走り出すスクト。

一刻も早く原因を探り、解決しなければ――その一心で、彼はただこの地獄を走り抜けた――

 

 

「……撒けたかな」

『付近に反応はありません』

 

そう言いながら物陰からゆっくりと立ち上がる。

異常事態の真っただ中に、俺はいた。

宿を出て数時間後、早めの昼食にありついていたのだが……

そんな中、何の前触れもなくアラートを鳴らし、マリスが言った。

 

『強大な魔力反応を検知。警戒してください』

 

しかし、付近にそれらしい姿は無い。こんな優秀な人工知能でも、ミスは起こすんだな――そんな呑気なことを考えていた、その時であった。

突如として、隣の席にいた老夫婦が飛び掛かってきたのだ。

すんでのところで避けた彼であったが、周囲を見渡すと――

 

「ワタセ……」「ヨコセ……」

 

そんな言葉を繰り返し呟きながら、近くにいた人間すべてがこちらに紅い瞳を向けていた。

これは明らかにヤバい――そう理解し、一目散に走り出した。

 

「ヘイ、マリス!ナビを起動してくれ!」

『かしこまりました。避難経路を検索……案内します』

そしてすぐさまナビ機能を起動。

 

この機能に気づいたのは、つい最近のこと。宿を見つけるために使った機能であったが――まさかこんなところで役に立つとは思っていなかった。

画面を見ると、自分を示す青い印の他に、大量の赤い印がある。

 

「これって?」

『先程の人々から検出した魔力パターンを解析、反映しました。赤い点は追跡者を示します』

「なるほど……!」

 

位置が分かったのはありがたいものの、余計に絶望的な状況であることが分かり、内心頭を抱えた。

何せこの町一帯全てが、既に赤い印で埋め尽くされているのだから――

だが、絶望している場合ではない。今はただ、マリスを信じて走る。それだけだ。

 

――そして数十分走った後。ようやく反応がない場所へと辿り着き、身を隠すことには成功した。

高鳴る鼓動と息切れを抑えつつ、マリスへ話しかける。

「いったい、何が起こってるんだ……?」

『不明です。ただ――』

 

『この魔力パターンは、先日の鎧の男のものと酷似しています』

「そんな!アイツは確かにあの時!」

しかし、ここでふと気づく。あの時、襲い掛かってきた人たちは何と言っていた?

 

渡せ、寄越せ……確かあの男も、「小僧、命が惜しければ貴様の持つ魔法具を渡せ」――

そう言っていた。

そのことに気づいた瞬間、俺はスマホを落とし、膝から崩れ落ちた。

奴はまだ生きている。そして俺に負けた怒りからなりふり構わなくなったとするのなら――この事態を引き起こしたのは……

 

 

「俺……なのか?」

 

その言葉を口にした瞬間、一気に吐き気が襲ってきた。体は震えだし、過呼吸一歩手前のような息遣いに陥る。

 

「素人が首突っ込むんじゃねぇ」――スクトさんの言っていたことは正しかったんだ。

例え力を手に入れたからと言って、不用意に手を出すべきじゃなかったんだ。

それなのに、俺は突っ走って……

 

顔を上げると、自分を見失った途端に互いに殺し合いを始める夫婦の姿が見えた。

 

「俺の、俺のせいで……」

『心拍数、呼吸の異常な上昇を確認。落ち着いてください、マスター』

 

マリスの言葉ももはや耳に入らず、ただただ後悔し、泣きじゃくる俺。

そんな時――

 

『マスター、後方より反応を検知。回避してください』

マリスがアラートを鳴らし、警告する。しかし反応が遅れ――

 

「ぐぅ……あが……!」

背後から窓ガラスを突き破って飛び出してきた男の接近を許してしまった。

馬乗りで首を締め上げられ、呼吸困難に陥る俺。

男の腕を叩いて足掻くも、びくともしない。

声を出すこともできず、マリスのスキルを起動することもできない――

絶体絶命の状況。

俺はここで、また死ぬのか――?そんな考えが頭をよぎった、その時だった。

 

 

 

『……に』

マリスの、声がした。意識が薄れつつあった俺には、それははっきり聞き取れなかった。

そして、次の瞬間――

 

 

 

『マスターに、手を出すなぁ!』

 

今度はマリスの声が、はっきりと聞こえた。

明らかな、《怒り》の感情のこもった声だった。

そして――

 

「ウゥ……!?」

 

なんと、液晶画面から無数の細長い金属のような質感の触手がはい出し、男の首に絡みついたのだ。

男の腕の力が緩み、解放される俺。

急いでスマホを見ると、その画面は、紅く染まっていた。俺はせき込みつつ、血相を変えて叫んだ。

 

「ゲホッ……もういい!やめるんだマリス!これ以上はその人を殺してしまう!」

『……!』

俺の叫びに、マリスが気づく。すると触手はデータの粒子となって四散し、画面も元に戻った。

 

『今、私は何を……』

自分の行いを理解できず、困惑する彼女。

俺もまた、同じだった。

俺が何も指示を出していないにもかかわらず、自発的に男を攻撃するなんて――考えたこともなかったからだ。

それでも、助けられたのは事実。

 

「……ありがとう、マリス。俺を助けたかったんだよな?」

『マス、ター……』

「俺のために、怒ってくれたんだよな?本当にありがとう」

『怒、り……」

 

俺は感謝の言葉を、彼女へ送った。

 

だが、この状況が解決したわけではない。一体どうすれば――?

途方に暮れていた、その時。

 

 

 

「ったく。毎回毎回面倒ごとに巻き込まれてやがるな。趣味か?」

 

ぶっきらぼうに吐き捨てる声が、後ろから聞こえた。俺が振り向くと、そこには――

 

「スクト、さん」

 

腕を組み、俺を見るスクトさんの姿があった――

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