うっせーわ!

瀬田 乃安

うっせーわ!

「お帰り・・・」


 と、母・奈津子の優しい声が聞こえた。しかし、悟志は独り言のように小さい声で

「ただいま」と答える。


「おーい、聞こえないんですけど・・・もしかして、今のは田村正和なのかい?」

 と母は更に小さい声で問い掛けるが、悟志がそれに応えることはない。これが、篠沢家の日常である。それでも、母は、そのやり取りで嬉しそうに微笑んでいた。

 悟志は、現在最も多感な中学二年生をばく進中であった。中学二年というのは中二病と称され感受性の強い、ある意味、素直な時代とも言えよう。大人の階段を上る為には欠かせないステップと言える。


「外から戻ったら手洗いうがいやってね。あっと、洗濯物はカゴに入れといてね。それから、宿題終るまではゲームはダメよ・・・」


 悟志は「うっせーわ!」と言い放つ


 男の子にとって母親とはとてつもなく口うるさい存在である。それは、夫に対する妻以上に。大抵の男は母親で鍛えられる。慣らされると言っても過言ではないだろう。その厳しい洗礼を受けて成長するのである。


 かと言って、そういう老練なことを言えるには五十年は掛かるだろうか。そして、それを知るジージが悟志に「大変だね」と労いの言葉を掛けるのであった。「まあね」と苦笑いで返す悟志を見てジージも笑顔で答えた。


 宿題を適当に済ませ、ゲームを始めようとすると


「悟志、ご飯できたよ」という母の声が聞こえる。無視してゲームを始める悟志。

「おーい、早く食べて、冷めちゃうよ」という優しい言葉が飛んでくるが、無視してゲームを続けると、段々と言葉が荒くなってくる。


「聞こえてないの!早く食べなさい」と怒鳴るようになってくると、遂には悟志の部屋に怒鳴り込んでくることになる。


「あんたさ、いい加減にしなさいよ。ゲームしているけど勉強は終わったの。それより早く食べて」と言いながら、ゲーム機を取りあげる。


「てめぇークソババーなにするんだ!」と激高する悟志に


「何その口の利き方は・・・」と言って悟志を思わずブってしまう奈津子。『お帰り・・・』と出迎えた優しい母の顔は鬼の形相へと変わっていた。そして、悟志は部屋を出て階段を駆け下りドアを開けて外に出て行ってしまう。


 その瞬間母は『しまった・・・』と思うが、後の祭りである。急いで階段を降りリビングにいたジージに

「悟志は?」と尋ねる。

「血相変えて出て行ったけど、なにがあったの?」と逆に聞き返された。

「口の利き方がなってなかったもので、ついカッとなって叩いてしまいました」と正直告げると

「まあ、そういうこともあるよね」と笑顔で答えた。

「帰ってくるでしょうか?」

「飯は食ってないし、お金も持ってないだろうから一時間も持たないと思うけどね」

 という返事が返ってきたが、奈津子には初めての事であり、色んな悪いことが頭に浮かんで不安になった。


 そうこうしていると、夫の達夫が帰って来る。

「おかえりなさい・・・あなた、実はさっき、カッとなって悟志を叩いてしまって、家から飛び出して行ったきりまだ帰らないの」と涙目で夫に相談する。


「おう・・・そうか。ついにやっちゃったのか」と、大して驚きもせずに答えた。

「あいつ、最近生意気だからな・・・」

「いやいや、そういう事じゃなくて・・・」

「大丈夫だよ。飯は食ってた?」

「まだ食べてない」

「なら大丈夫。腹減ったら帰って来るよ」

 とジージと同じ答えをする。


 しかし、二時間経っても悟志は帰らなかった。


 時刻は夜九時を回っており、奈津子は居ても立っても居られない様子でうろうろしていたが、それを横目に、食事を終えたジージと達夫はテーブルに座って酒を飲みだしていた。その様子についイラっとした奈津子は

「お二人は悟志の事心配じゃないの?」怒って聞いたが、二人はさっき終わった巨人ヤクルト戦の話で盛り上がっており全く聞こえてない様子であった。業を煮やした奈津子が


「心配だから警察に届ける」


 と言い出すとようやく二人は奈津子の方を見た。そして口を揃えて

「大丈夫だよ。もう帰って来るから」

 というと、玄関の扉が開く音がした。その音に素早く反応したのは、もちろん奈津子である。そして、玄関で悟志を見るなり

「悟志、どこ行ってたの?」と目を真っ赤にして聞いた。その母の姿に悟志はびっくりして

「山田ん家」と答えた。それを聞いて母はその場にしゃがみこんだ。その後ろからジージと達夫が顔を出して

「お帰り」とほほ笑んだ。

 涙目の母と笑顔の父と祖父。その光景に奈津子は傷つくのであった。リビングに戻ると母は項垂れる。その様子を悟志が見て

「ごめんね、母さん」と申し訳なさそうに深く反省した態度で謝った。


「悟志、母さんに酷いこと言っちゃダメだぞ」と達夫。


 その横でジージが


「お前もそういう事が言える年になったんだな」とジージが感心すると


「うっせーわ!」と達夫がジージに言った。


 その光景を見て、奈津子に笑顔が戻った。



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うっせーわ! 瀬田 乃安 @setanoan

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