二人の日常とある再会 後編

    ♤


 のどかな田園風景の中を蒸気自動車で走り抜けていく。


 クランと出会った頃は右も左もわからなかったが、今はそれなりに土地勘を得ている。

 穏やかな自然を楽しみつつ、朝から活気の溢れるであろう市場へとハンドルを切った。



 宗教国家都市はその特性上、祝日というものが多い。

 一日は二十四時間、一週間は七日で一ヶ月は三十五日。

 そして一年は十四ヶ月なのだが、その半分近くは祝日だった。


 これは主と神鎧アンヘルと聖霊からもたらされる祝福や恩寵を日々忘れてはならない、という意味も含まれているらしい。



 賑やかな大通りを見回しながら歩く。

 蒸気自動車は市場の入り口に停めてきた。


 せっかくなら、クランに何か贈り物がしたい。

 そう思い、通りの出店を覗いていく。

 食べ物が良いか、それとも鉢植えの植物か、髪飾りなどの小物か。


 清楚で優しい彼女なら何を選んでも喜んでくれるだろう。

 それゆえに、考えるほどに選び悩んでしまう。


「ふぅむ、こんなことならもっとクランの好きな――欲しい物を調べておくべきだったな……」


 そこでふと、俺の右隣りに誰かが並び立っていることに気づいた。


 左肩に禍々しい紋様と十字の入ったフード付きのケープコートを羽織った小柄な少女。

 六位巫女神官のエノテリアだった。


「君は……どうしてここに……?」


 いつの間に傍にいたのだろうか。

 普段から周囲を観察している俺が気づかないとは。

 それほど夢中になってしまっていたのか。


 フードを深く被っている彼女は前傾気味に出店を眺めていると、ゆっくりした動作で指し示す。


「……わたくし――いえ、クランフェリアに贈り物をするなら、これが良いと思います。」


 それは十センチほどの小さな鉢花だった。

 薄い桃色の花弁に十字の雌しべのある可憐な花で、街の路端でもよく見かけるものだ。

 俺自身、この花は目を引くほど気に入っている。


「そうだな。食べ物はクランが食事を作っているだろうし、突然の高い小物は困惑させてしまう。手頃な値段の小さな鉢植えなら、ふとした贈り物にも良さそうだ。」


 さっそく購入して鉢植えを小脇に抱えた。


「ありがとう、エノテリア。助かったよ。」


「……い、いえ。気になさらないでください。それより、あなた様。お話したい事があるのですが――」


 彼女は俯きながら、遠慮がちに口を開く。


 ――そこで市場の賑わいの中、大きな鐘の音が鳴り響いた。

 昼前の時間を示す九つの鐘だ。


「もうこんな時間か。そろそろ帰らないとクランが心配するな。エノテリア、とりあえず移動しようか。話は道すがらに聞かせてもらうよ。」


「あ。あのっ、あなた様っ……!」


 エノテリアはおずおずと後をついてくる。



 やがて、蒸気自動車が停めてある市場の入り口まで来ると、彼女は何の迷いもなく俺の車の助手席に座った。


 俺はわずかな疑問とともに既視感を持った。


 他に何台か車が停めてあるにもかかわらず、彼女が知らないはずの俺の車にまっすぐに歩いて乗り込んだこと。

 その仕草が普段から目にするクランフェリアと重なったのだ。


 一瞬だけ頭をひねってから運転席に乗り込み、車を始動させる。



 風景が流れていく中、俺達の間に会話はなかった。

 てっきり何か話をするものと思っていたが、エノテリアはフードを押さえながら景色を眺めている。

 しかし、それでもどこか奇妙な安心感があり、彼女が隣にいることは自然なものに思えた。


 もうすぐクランの聖堂が見えてくるところで、不意にエノテリアが言葉を発した。


「――あの、やはりここで停めてもらってもよろしいでしょうか。」


 言われるままに車を止めて、俺は彼女に目を向ける。

 フードから覗くその蒼い瞳には涙が溜まっていた。

 そして、せきを切ったように泣き出してしまった。

 口元を押さえ声を殺して、ただ静かに。


「……ああ。その、なんだ。エノテリア――」


 声をかけようと口を開きかけると、エノテリアは前方を指差す。

 つられて前を見るが、特に変わったことはない。


 不思議に思いながら視線を戻すと、助手席に座っていた彼女の姿は跡形もなく消え去っていた。


 なんとも言えない思いを抱きながら、再び車を走らせる。

 きっとエノテリアにも深い事情や身の上話があるのだろう。

 いつか、少しでも助けになってあげられる日が来るといいが……


    †


 わたくしはキッチンでパン生地をこねていました。

 それを円形に薄く伸ばして、トマトのソースを塗りこんでチーズや香草の葉を載せていきます。


 火を入れておいた窯に具材を載せたパン生地をそっと置くと、焼き上がるのを待ちます。

 香ばしい匂いが広がり、様子を見ながら食器を用意していると母屋の外から蒸気自動車の音が聞こえてきました。

 あの人が帰ってきたのでしょう。


 しばらくすると彼がキッチンへと顔を覗かせました。


「あなた様、お帰りなさいませ。ちょうど今、焼き上がるところでした。食事の支度をするので少し待っていてくださいね。」


「ああ、クラン。美味しそうな匂いがするな。それと黙って出掛けていてすまなかった……君に渡したいものがあるんだ。」


 そして、彼から小さな鉢植えを手渡されました。


「日頃の感謝を込めて、というかな。記憶のない俺だが、なぜかこの花は惹かれるんだ。」


 南東部の街では決して珍しい花ではありませんが、贈り物をしてくれる心遣いに嬉しくなります。


「……この花の花言葉をご存知ですか?――奥深い愛情。無言の愛。自由な心。まるで、あなた様のようですね。」


 そう言って笑いかけると、彼は照れながら顔をそらしてしまうのでした――

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