『こころの交差点 CROSS』

N(えぬ)

人とロボットは近づき、やがて同じこころになるか?

端整な顔立ち。つるんとした、皮を剥いたゆで卵のような肌。体型もスマートでいわゆる八頭身。

見た目、非の打ち所が無い。けれど、少し顔が青ざめていて、自信なさげに見える。

田口結子の前に座った男性は、そんな感じだった。

彼は100%人工のロボットだ。


「私は警察官という仕事に従事して5年……それは何度も先生に話してますね。そして日々危険にさらされている。……それが不安で不安で」

テーブルの向こうの椅子に座る男は、うつむき気味にしかし正確に話した。


「この間も話していましたね。物理的危険、精神的重圧。そういうものが苦しいと」


「ええ。こういうことは上司や同僚には、あまり話たくないんです。弱いと思われるのがイヤで……仕事のときは胸を張って、自信に満ちあふれたようにしています。でも内心ではいつも臆病です。そんなギャップで溜まった気持ちを……ですからその、先生に時々こうして話を聞いてもらえるのが、助かるんです」

男は顔を上げて田口結子医師に明るい顔をした。


「ですが私から見て、山田さんのお顔は、初診の頃よりずっと穏やかでよくなりましたよ」


「そうですか。自分でもそう思ってたんです。やっぱり、誰かにそう言ってもらえると自信になります、特に田口先生だと。……ですが、どうしても振り払えないのが『自分はいつ死ぬのか』そのことです。それは先生にも誰にも、わからないことですね」


「ううん、そうですねえ。でも、山田さんは今、何の不安も無い健康体ですよ。うちの病院の施設で隅々まで検査をしたじゃありませんか。安心して過ごしていいんですよー」


「そうですよね。僕は健康なんだから、安心していいんだ」


「そうですよー」


山田という警察官は、診察室に入ってきたときとはまるでちがう、明るく自信に満ちあふれた彼になって帰って行った。


田口医師は、過度に安心させないよう、かといって弱々しく自信なさげにならないよう、ほどほどの力で彼を励ました。

これも田口のテクニックの一つなのだ。

田口医師は、緩やかで穏やかな自然の振る舞いに常に細心の注意を払って、患者を注視していた。



S総合病院は表向きは他の病院と変わらないが、ある巨大企業が資金を投じて作られた病院だ。

この病院では各種の『実験的試み』が導入されていて、その詳細は一部の人間以外には完全に伏せられている。

そのため、勤務している職員は選ばれた人たちであり、特に医師は厳選され選抜された医師だった。


心療内科、田口医師の診察室は、常に緩やかなインストルメンタルが聞こえるかどうかという大きさで流れている。他の科の診察室に比べると広く、天井も高い。


部屋全体の配色も病院によくある白っぽさを強調せず、暖色の家庭的雰囲気を醸し出すことに力を入れている。花瓶に花が生けてあるが、これは電子フラワー。つまり造花で、日毎や時間毎など設定で様々な花に精巧なホログラムが自動で切り替わる。今は、こぼれそうな真っ赤な薔薇の束。触れれば花びらが落ちそう。香りは抑え気味に調整されていた。


次の患者が診察室に入ってきた。


「こんにちは……」


「松沢さん、こんにちは。おかけになってください」

田口は、この患者を見てすぐ、様子が悪いのを感じた。


「私、いつ死ぬのでしょう?それが心配で」


ほら来た!とそんな感じに田口は思った。


「松沢さん。松沢さんは健康体ですよ。検査の結果は良好です。今のところ、死ぬようなことはありません。事故でケガをするとか、そういうことは、心配したらきりが無いでしょう?それに今は人工のパーツですぐに交換できるんですからね!」


松沢という彼女も、ロボットである。


「でも、ほら、突然、体のどこかがおかしくなってポックリ!なんてこともあるじゃないですか?」


「そういう可能性は捨てきれませんが、それもやっぱり誰にでも言えることですよ。気にしていたら生きていくのが辛くなるだけですから、もっと楽しい方向へ気持ちを向けましょう」


田口は突然、松沢の手を握ると、前後にかなり力を込めて腕相撲のような形で揺さぶった。


「ほーら。ほらほら。松沢さん、私なんかより、ずっと力があって元気じゃ無いですか?!」


二人は手を握り合って数回、そんな風に力比べのようなことをした。


「わたし元気ね?力もある。……明日からの仕事もまたがんばれますね」


「うん、だいじょうぶ。できますよぉ」


「田口先生の顔を見ると元気が出るんだわ」


「そうですかぁ?ありがとう」


それから少しの間、二人は世間話をした。

患者にとっては文字通りの世間話だが田口にとっては相手に探りを入れて情報を聞き出す手段なのだ。

田口は、相手の言葉つきや仕草、克明に記憶し記録する。


「じゃあ、今日は失礼しますね、先生」


松沢はお辞儀をしいしい、田口を振り返り部屋を出て行った。


「はい。次はまた2週間後に」


田口医師は、松沢恵子が退室するのを手を振って送った。


ベテラン看護師が田口に声を掛けた。

「次の患者さんの予約まで少し時間があるので、紅茶入れましょうか?先生」

この野際看護師が田口の信頼する人。

田口が患者を見るように、この野際看護師は田口をよく見ている。

ときにねぎらい、励まし。そんな風に声を掛けてくれる。


「ああ。お願いします。ありがとう」

田口は、椅子に座り直して、ふぅぅぅっと深く息を吐いた。


一息つきしばらくすると、次の患者が診察室へ通された。

宮沢という中年男性の患者だ。

彼は部屋に入ってくるなり、微笑みながらクルリとその場でターンをして両手を挙げてポーズを取った。そのとき、足が絡まって少しよろめいたが、田口は面白そうにそれを見て彼に拍手を送った。

宮沢は、先日まで100%生身の人間だった。


「おかけください、お久しぶりです。今日は宮沢さん、好調そうですねえ?」


「そう見えますか?」


「はい。とっても」


「2週間前に臓器換装を受けたでしょ?それ以来、体は絶好調ですよ!」


「それはいいですねぇ。顔色もいいですよぉ」


「そういわれると、うれしいなぁ。……単純に口で励まされたり、検査の数値を示されて『いいですね』なんて言われるだけじゃ無い。私自身の体から湧き上がるものを感じるんです。健康の実感と言うんですかねえ?」

宮沢は、椅子に座ってもまだダンスをするようにオーバーアクションで田口にアピールした。


「換装術の前の宮沢さんは、『もう過去の人』、っていう感じですねぇ」


「そうなんですよ。検査でこの数値が通常の何倍だから治療が必要だとか、このままじゃ何歳まで生きられないよとか、そんな数字とはもう無縁ですから。

私は若返った。いや、若返った以上のものを手に入れましたよ。

これから、順次、体各部位の換装を受けるつもりですよ先生」


「それはそれは。宮沢さんは、はじめ、人工人体パーツ換装術にも不安があるって、真っ青な顔してましたのに、もう正反対ですねぇ」

田口が続けて、

「不安がきれいさっぱり無くなったなら、うちの外来に来なくてもいいかもしれないですね」

田口医師が正直な顔でそう言うと、宮沢は急におとなしく神妙な顔つきになった。


「こちらの通院は、まだしばらく続けます。田口先生に話をするのも、私の心の安定のひとつです。そう思ってるんです。……まあ、今回の臓器換装は、私に『無限に生きられる可能性』を示してくれたのですから、とても大きいことは間違いありませんが」



その日の全ての診察予約が終わった後、田口医師は、いつものように残った事務仕事をこなしながら、野際看護師と話した。


「それにしても興味深いわ……。これは、開発者にとっては、当然の成り行き。予測の範囲内のことだったのかしら?」


田口は、今度は自分で紅茶を入れ、一つを野際看護師に出した。

二人は、いつもなら田口と患者とが対峙するテーブルで対面して座った。


二人の間には紅茶のカップがそれぞれ置かれ、野際はカーテンの向こうの机から箱を持って出てくると、蓋を開けてテーブルの中程に置いた。


クッキーの缶だった。

数種類のクッキーがペーパーカップで仕切られた詰め合わせのうち、3割ほどは先に空になっていた。それが人気だったということだろう。このクッキーを食べるのは田口と野際だけでは無いと分かる減り方だった。どのクッキーに人気があったのか、今となっては分からなかった。


「何が興味深いんです?田口先生」野際看護師はクッキーをひとつ指先で取り、田口に話しかけてから、クッキーを一度かじった。


「ううん、それがね……。聞いてくださいよ。

最近、人間の身体のあらゆるパーツは開発が進み、複雑な臓器でさえ人工のものに換えても何の問題もありません。それどころか、さっきの宮沢さんのように、病気の恐怖から解放されたばかりか、以前より体の調子がいいとさえ言います」


「ふんふん」野際看護師は紅茶を一口。


「人間の患者さんで、身体パーツの換装術を受けた人は、99%満足を口にしていて、今までの健康不安とか、漠然とした不安、いつか来る『死』への不安などを感じる人は激減しています」


「フムフム」野際看護師は、もう一つクッキーを取った。


田口医師は、体の力を抜いて、部屋の一角を見ながら話を続けた。


「で?」野際看護師はお茶でクッキーを流し込んで言った。


「で、ですね。人間と入れ替わりに、もう、爆発的に増えているのが、ロボットの皆さんの相談なんですが。高性能化とかAIの急成長に伴って増えているのが、『私はいつまで使ってもらえるのか。用済みになったらどうなるのか』『自分に内蔵されたエネルギーパックはいつまで持つのか』『定期点検で一度電源を切られたあと、自分はちゃんと元通りに目を覚ますのか』とか、自身の命、寿命に関することが大半なんです」


田口のその話を聞いた野際看護師は、

「そういえばそうですねえ。今日、自分の命に関わる悩みを訴えてくるのは、最新型ロボットの皆さんばかりでした……そういう悩みは、かつて人間のものだったのに」そういって考えに沈んだ。


「今日の宮沢さんのような生身の人間は、体のパーツを新しくして行って、『これで永遠に生きられる』ってくらいに喜んでる人が多くて、全身人工パーツのロボット達は、突然の故障やエネルギー切れ、最新型への入れ替えによる自身のお払い箱の危惧、などなどいつ自分の命が途切れるかにビクビクしている……。興味深いでしょう?」


「そうですねえ……」野際看護師は深く頷いた。


「人間はロボットに近づいて死を恐れなくなり。ロボットは人間に近づいて死を恐怖する。この現象をどう考えればいいでしょうね?」


ほんの少しの二人の沈黙の後、田口はふと体内時計を確認した。もう退勤時間だった。

彼女は腕組みをといて慌てて椅子を立ち、ロッカーへ行こうとしたが、白衣を翻してきびすを返し診察テーブルのところまでもどると、

「これから出かけるから、充電しておくわ」

そう言って、壁からケーブルを引き出し少し体を斜めにすると長い髪をより分けて自分の後頭部に差し込んだ。


「あら、デートですかぁ?ウキウキして見えますけどぉ。……それにしても次世代アンドロイドのプロトタイプも、抱える悩みは似てますねえ、田口先生」

すると田口は野際を振り返り、口元に歯を見せてVサインした。


おわり

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