第18話 消えないように

 こいつのことで、なやんだことがある。

 自分は、おかしいんじゃないかって。

 ふらっとやってきては、おれの部屋でだらしない格好でゲームしまくる女の子。


 そう、女の子だ。


 年は三つしかちがわなくて、しかも血がつながっていない。でもって、かわいい。

 そんな子が、ときどき脚を広げたりお尻を向けたりしている。

 なのになぜおれは、こいつにムラムラしないんだろう。ドキドキしないんだろう。


「ほら、ついたぞ」

「……」


 無言で電車をおりる智花ちか。14才の中学二年生。ほのかに姉の花梨かりんに似ている。

 二人で駅の外にでると、もう空は暗くなっていた。


 悩みは、いちおう解決した。

 ネットでずいぶん調べたんだ。

 すると、どこかに〈長い間、ひとつ屋根の下で暮らした異性には欲情しにくくなる〉って書いてあった。ウェスタ―マーク効果っていうらしい。難しい話じゃない。よく友だちとかが「姉(妹)じゃ興奮しない」っていってるアレ、それがこのウェスタ―なんとかだったんだ。 

 そうか。

 つまり、おれは智花を本当の妹のように思ってるってことだ。


 こいつでエッチな気分になるほうが、おかしいんだよ。


(キスキス、ファーストキス……智花とおれが……)


 だが頭の中はピンク色。

 はっきり言って、うわついている。

 表面的にはおだやかな顔でいながら、内心、あのくちびるの感触を思い出して、何度も何度もトレースしていた。

 くそっ。大ウソじゃないか、ウェスタ―のヤツめ。

 一回、立て直そう。

 なんとなく、このまままっすぐ家には帰れない。


「ちょっとコンビニ寄るけど」

「……外でまってる」

「なんか飲むか?」

「……コーラ」


 買ってきて、智花に手渡した。

 おれは滅多に買わない缶コーヒーを買い、ぐいっとプルタブをひいた。


「ムリにとは言わないけど、ちょっと公園で話さないか?」

「アニキ……怒ってる?」

「怒ってないよ。だから、いつものおまえに戻れ」


 時刻は7時前ぐらいだろうか。

 日が沈んだとはいえ8月なので蒸し暑いが、ときどき吹く風が涼しい。

 もう夏も終わりだな。

 略奪愛できないと、また同じ夏がくるんだが。


 おれと智花は、いつかカツと花梨が座っていた、公園のベンチに座った。


「学校はどうだ? 楽しくやってるか?」

「はぁ?」


 まずい。

 話題のチョイスをまちがった。

 智花が、めっちゃイヤそうな顔してる。

 だがこの状況――どうしてキスしたんだよ、なんてダイレクトにきけるか?


「あっ」


 道路のほうで声がした。

 見る必要はない。おれはこの声だけで、あいつだとわかった。


「よかった~。帰りが遅いから心配してたんだよ?」

「お姉ちゃん」

「となりにいるのはシンちゃん? もしかして、二人でデートしてた?」


 高速。超高速。

 ばっと智花の右手がのびて、むぐっと口をおさえられた。

 おれは、花梨に後頭部を向けている状態。


「そうだよ。デートしてた」


 むぐ?


「……どう思う、お姉ちゃん? 私がアニキをもらってもいいの?」

「えっ」

「今日なんか、アニキといっしょにホテルにいって、たっっっくさんエッチしてきたんだからっ!」


 むぐぐっ⁉

 おい、事実をネツゾウするなよ。

 どういうつもりだ?


 ふぅ、と息の音。

 花梨の口元からだ。

 こいつのため息なんて、はじめて聞いた。


「シンちゃんは、そんなことしない」


 こつん、と彼女のおでこの上を、にぎりしめてないグーで軽くたたく。

 座っている妹を見下ろす花梨の顔は真剣で、強い目をしていた。


「……お姉ちゃん」

「さ、帰るよ」

「帰らない」

「智花」

「アニキ!」助けをもとめるように、おれのうしろに回った。「アニキもアニキだ! どうしてお姉ちゃんに……お姉ちゃんと……」


 おれは味がしない缶コーヒーを飲み切った。

 智花は、コーラのふたをあけなかった。

 だまって智花の手をひいて、家にかえっていく花梨。

 後ろ姿だとあいつのほうがちょっと背が高いだけなんだが、不思議と母親のようにみえた。


 そして夏休みは終わって、二学期がはじまった。

 朝イチ、


「これ、花梨からもらったよ」

「誕生日プレゼントだってさ」


 と、カツから画像つきでメッセージがきた。

 ブルーのソックス。

「よかったな」とおれは返しておいた。「あいつの誕生日にはお返ししてやれよ」とも。おせっかいだけど。

 そういえば……花梨の誕生日って12月だったな。

 なら、だいぶ先だ。


「そっちは、どうですか?」


 放課後の教室でゆきさんにラインする。


「それが……」

「やっぱり彼は、私のことなんか……」

「誕生日のプレゼントも買ったんですけど……」


 帰ってきたメッセージのすべてに「……」が入っていて、どうやら元気がなさそう。


「受け取ってもらえませんでした」

「プレゼント?」

「そうです」


 それは、ほっとけないな。

 そこは拒否しちゃいけないだろ、カツ。

 おれはその日、カツの家にいった。あいつの学校の始業式は明日で、ふつうに家にいた。


「なんか、文句言いに来たって顔だな」


 感情が外に出てたのか、一言目がそれだった。

 あがってくれよ、と言われて、部屋にあげてもらう。


「あのな、雪……さんみやさんのことなんだけど」

「あー、だいたい想像つくよ。プレゼントのことだろ?」

「受け取ってやれよ。お返しするのがめんどくさいとかなのか?」

「バカ。おまえの彼女から、そんなの受け取れるわけないだろ」


 部屋の真ん中のテーブルにインスタントラーメン。フタの上にハシをのせて。

 今日は始業式しかなかったから、ちょうど昼食どきだ。

 おまえも食うか? とあぐらをかいたカツが言う。


「ラーメンができる前に話を終わらすよ。なあ、たんプレは彼女……花梨からしかもらっちゃいけないなんてことはないだろ?」

「ははっ。シラケンはあれか、男女の間の友情はあるっていうタイプか?」

「カツ」

「おれは……そういうタイプじゃない。彼女じゃない女から、プレゼントなんて欲しくないよ」


 これは手強てごわい。

 3分以内にケリをつけられるか?


「三ノ宮さんのことは好きだろ? すくなくとも、嫌いじゃないよな?」

「まーな」

「じゃあ……もらえよ」

「智花がな」

「智花? あいつの話はあとでいいだろ。今は」


 きけよ、とカツがあごを引いた。

 フタのスキマから流れ出るラーメンのうまそうなにおい。


「おととい、おれの家にきた。でな、あいつ……まっすぐな目でさ」

「え?」

「お姉ちゃんと別れてくれ、って言ってきたんだ」

「いやそれは、あいつの冗談だろ? に受けるなよ」

「お姉ちゃんにはアニキしかいない、もしダメなら、私が彼女になってあげるしかない、そう言ってたよ」

 

 ぴんぽーん、とチャイムがなった。

 なんだか、イヤな胸騒ぎがする。


「花梨だ。おれが、来てくれって呼んだんだよ」


 玄関に、制服姿の花梨があらわれた。9月の始業式なので、まだ夏服だ。

 おれも制服。カツだけが、リラックスしたジャージ姿だった。


「おー。この三人だけで集まるのって、けっこう久しぶりじゃない?」


 なんだかテンションがあがっている。

 そしてフローリングの床にスカートで体育座り。

 目のやり場にこまるだろ……。

 むかしから、こいつにはこういうガードのゆるいところがある。 


「いや、この前、な――」


 夏祭りでいっしょだっただろ、と言いそうになった。

 あぶなかった。

 あの日は、こいつが告白されて逃げだしたりして、いろいろ気まずくなった日だからこの場の話題にはふさわしくない……と思った。

 が、


「夏祭りの日に、三人で遊んだよな」


 カツはそうは思わなかったようだ。

 むしろ、あえて口にしたような気配すらある。


「あ、あー……、そうだったっけ? マサちゃん、記憶力いいんだから。あはは……」

「花梨。おまえに話があるんだ」


 白いケムリを細く吐き出すラーメンをみつめながら、あいつは言った。



「おれと別れてくれ」



 なんだと⁉

 おれはカツをみる。

 悪ふざけの空気は、一ミリもない。

 花梨をみる。

 にこにこと笑った表情のままで、固まっていた。


 文字どおりのストップ。

 壁にかかった時計の、秒針が動いていない。

 これは……


 おれの背後に誰かがいる。


「警告にきた」


 赤いジャケットに赤いタイトスカート。

 おれのシリを蹴って、ループを再始動させた女の人だ。


「警告?」

「そうだ。このままでは、略奪愛は成立しない。なぜならこの二人がわかれた瞬間から、遠山とおやま花梨は誰のものでもなくなるからだ。そういうのは〈奪う〉とはいわない」


 ケムリが不規則な形のまま、空中で静止している。

 と、それがまた動き出した。ゆっくりと天井にのぼってゆく。

 女の人はもういない。


「それって……私をフッてるの?」

「……もう一度いうよ、おれたちわかれよう、花梨」


 こういう展開こそ、おれは望んでいたんじゃないのか? 心の底から。

 まったく矛盾してる。

 気でも狂ったか、と友だちの佐々原ささはらなら言うだろう。


「考え直せよ、カツ‼」


 おれはテーブルをドンとたたく。


 女の人は、さっき、消えぎわにこんなことを言ったんだ。

 ――全力で、二人の仲を修復せよ、と。

 ――二人がわかれたら、また最初からやり直しだ、と。

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