第13話 つづける?

 タイミングがいいのかわるいのか、そこで母さんがお盆にムギ茶をのせて部屋に入ってきた。


「あ。すみません」


 と、あぐらをかいていたカツが正座に座り直して頭を下げる。

 ごゆっくりね、と母さんは出ていった。

 場の空気が、リセットされてしまった。


 四角いローテーブルをはさんで座っているおれたち。


「……まだあるんだな、このシール」


 テーブルの脚に貼られた色あせたシール。

 小さいころ、カツがイタズラで貼ったやつだ。にんじんのシール。おれは昔、それが一口も食べられないほど大っ嫌いだったから。


「シラケン」


 ムギ茶を豪快に一気飲みして、ふたたびカツはあぐらをかいた。


「おれは今日、午前中から部活だったよ。昨日ラインしただろ?」

「いや……」おれはおれの親友にウソはつきたくない。正直でいたい。「街で見かけたんだ。おまえと花梨かりんが歩いていたのを」

「まじか」

「まじかってなんだよ」


 そこでカツの目つきが変わった。するどくなった。


「そっちこそ『なんだよ』じゃねーだろ……シラケン」


 からっぽのコップをつかんだままで言う。


「おれ知ってるんだぞ。毎朝、おまえが花梨をさそって、いっしょに登校してたのを」

「それは……」

「ただの幼なじみとしてか? 下心、いっさいナシか?」

「あ……」

「一学期のぶんは目をつぶるよ、おれ、シラケンとケンカしたくないからな」カツが片膝をたてて、立ち上がった。「でも二学期からはやめろ。花梨は――――」


「おれの彼女だ、か……」


 イスにすわって、ぼんやりと昨日のあいつのセリフをくりかえす。

 夏休み二日目。

 いきなりおれはユーウツだった。


「カツに何発かぶん殴られるのは、覚悟しとかないとな……」


 なぜなら、おれはやめる気がないからだ。

 二学期になっても、毎朝、家の前で花梨を待つだろう。

 はっきり言って、もう高二をくり返すのはごめんだ。

 ほぼ一年がまるまるループって……頭がおかしくなるよ。

 でも花梨がいて、あいつと同じ時間を過ごせているという感覚があるから、どうにか耐えれてるんだ。


「読書でもするか」


 時間をさかのぼっても記憶が保持できること。

 これだけがループの利点だ。

 おかげで定期テストはいい点が取れるようになったし、ふだんは読むのに躊躇ちゅうちょする何巻にもおよぶ長編小説にもトライすることができる。


「シンちゃん」


 ドアがあいている。

 あけたドアを片手でささえていて、あいつの体は敷居の向こうがわ。

 一目でわかった。

 花梨は、なぜか落ちこんでいる。


「ちょっと待て」

「えっ」

「ムギ茶もってくる。適当に座ってろ」


 と、おれは横を通り抜けた。

 キッチンにいって冷蔵庫をあけてムギ茶をコップに、コップをお盆に、とやっている間、ずっとどきどきしっぱなし。

 ガードの甘い水色のキャミソールに、下はひざ丈の白いパンツ。

 部屋にもどると、部屋の前で花梨はまだ立っていた。

 華奢で肌の白い肩があらわに露出していて、あまり直視するのはわるい。


「花梨?」

「昨日は……ごめんね」


 ごめん、っていうのは――

 街でおれを見かけたのに、冷たくシカトしたことだと思うけど。

 ここは空気が重たくならないように、明るく言ってやったほうがいいな。


「いや~あれはキズついたな~。ヘコんだわ~。まじでキズ……」

「だからシンちゃんも、あやまって!」


 へっ? と、思わぬ反撃にあっけにとられる。

 ま、まあまあ花梨、となだめつつ部屋に招き入れて話をきいた。


「私にだまって女の子とデートなんて、ひどいじゃない!」

「おいおい」


 言いぶんは、まるでおれの〈彼女〉だ。

 おれが浮気したみたいな形になってる。


「えと……どうして、おれが女の子とデートするのがひどいんだ?」

「言ってよ」

「なにを」

「デートするほど仲のいい子ができたんなら、フツー私に教えてくれるもんでしょ?」


 いの一番にさー、と花梨はほっぺをふくらます。

 すこし、いつものあいつの元気がもどってきたか。


「私たち、家族みたいなものじゃない……」

「わかったよ。じゃ、そこはあやまるよ」

「よろしい」

「なら次はそっちだぞ」とんとん、とおれはテーブルを指でタップした。「おまえこそ言えよ。カツとデートならデートって。そしたら、街でバッティングして気まずくならずにすんだんだ。そうだろ?」


 ずび、とムギ茶をすすった。

 あごをひいて、上目づかいにおれを見ている。


「あの子、文芸部の後輩だったっけ?」

「こら。話をらすなよ」 

「シンちゃんの〈好きな子〉って、あの子だったんだ」


 好きな子……?

 あんまりこいつと恋愛系の話はしていないはずだが、どこかで「好きな子がいる」っておれが口にしたんだろうか。


「また近いうちにデートするの?」


 横顔を向けたまま、花梨はそう言った。


「ん?」


 おれに顔を向けて、口元だけでほほ笑む。

 最初よりも、きけそうな空気にはなったが……。

 そもそもこんなこと、きいていいのか?

 と言って、今さらカツにはききにくい……。

 ええいっ!!


「それより花梨。昨日――――」

「なーに?」

「カ、カツとホ、ホ」

「ほ?」と、花梨が口笛みたく口をすぼめる。

「ホテル……いった、か?」


 さあ、どうだ。言ったぞ。パンドラの箱をあけた。

〈した〉かどうかなんて、たいしたことない?

 たいしたことだよ。おれにとっては。花梨にとっても。


「なんでホテル?」


 口の下に人差し指の先をあて、そのまま上体ごと斜めに傾く幼なじみ。


「バイキングかなんか? それとも、めずらしいイベント?」

「あー……」


 おれは目を皿のようにする。

 なんとか花梨の〈本心〉を見抜くべく。

 答えはすぐに出た。


(演技じゃない。ほんとに、「ホテルってなに」って思ってるぞ、こいつは)


「シンちゃん? だまってないでさー」

「いや、言いまちがえた」

「なにと?」

「忘れた」


 く、苦しい。

 我ながら、苦しい言いわけすぎる。

 しかし、もう押し切るしか……っ!


 立とうとした花梨が、ローテーブルをじーっと見つめていた。

 その脚を。


「にんじんだ」


 おれからは見えないが、その部分を指先でなでているようだ。


「これって、マサちゃんに貼られたんだっけ?」

「そうだよ」

「シンちゃん、きらいだったもんね。いつもり分けてた。カレーに入ってたやつも」

「今でも、あまり好きじゃないな。一口か二口だけかんで、飲み込んでる」 

「マサちゃんってイタズラする子だったからね……こんなの、すぐにがせばよかったのに」


 そのシールは、カツのイタズラだ。

 あるいはカツのジェラシー。

 幼稚園のとき、嫌いなにんじんを、横から花梨が食べてくれたことがあった。

 ずるいずるい、シンジくんだけずるい、ってあいつはしつこく文句をいってきたんだ。で、その日にシールを貼られたと思う。


 きらいだったんだ。あいつも、にんじんが。

 おれたちは、似た者同士だった。

 いつから、こんなに差がついたんだろうな……


縁日えんにちの日にさ」

「えっ」

「ちゃんと言えなかったから言うよ」


 おまえが好きだ、と伝えた。

 遠山とおやま花梨が好きだ、ともう一回伝えた。

 私も好きだよ、と伝え返してきた。

 白取しらとり真次くんが好きだよ、とフルネームでくり返した。


「えっと」


 キャミソールの肩ひもをひっぱり、片手で胸元をおさえつつ、立ち上がる。


「あの子によろしくね」

「お、おい……花梨」

「じゃあ」


 視線が正面からぶつかった。

 瞬間、電気のようにビリッと花梨の〈本心〉が読み取れた。

 今の告白はふざけて言ったのではなく、



「バイバイ、シンちゃん」



 ありのままを言っただけだって。

 花梨は――おれが好きだ。


 その後、夏休みの間、カツとも花梨とも一度も顔を合わせることはなかった。

 季節は秋になった。


「……」


 家の近くの公園のベンチに、あいつらが座っている。

 二人で肩を寄せ合って、どこから見てもカップルだ。

 ループがはじまる前は、こんなに堂々としてなかった。おれの目か、ご近所さんの目か、とにかくそのどっちかを避けて、この公園にあいつらがいるところは見たことがなかったのに。


「……」


 だまってたってラチはあかない。

 おーい! って、間のわるいお邪魔虫になって、声をかけようか。

 きらわれると思うけど。

 てか、すでにきらわれてるかもだけど。

 道路のわきの電柱のかげに立ってただ眺めていたら、カツが花梨の首のうしろに腕を回して、


 キスした。


 ほんの短い一瞬の接触だったけど、確かにキスだった。

 何かがちがう。

 二人の距離感が。

 おれのせい――たぶん、そうだ――で。

 おれの言葉や行動が影響して、こうなっているんだ。

 一回目の高二の10月だと、まだあいつらはデートすらしてなかったはずだ。カツはああ見えてオクテだから。


「ムリクリはよくないのネ」

「―――え?」


 たしかに電柱だったはず。

 無機質な灰色の柱が、同じような灰色のスーツを身にまとった女性の姿になった。


「あの子の深いところにハートがくいこむと、もう、奪えるものも奪えないんだな、これが」

「あなたは」

「残念賞。さー、はりきってツギ、いってみよーーーーぅ!!!!!」


 うそだろ。

 う、そ、だ、ろっっっ!

〈モミジ〉をつくろうとするイタズラのように、おれの背中にむかって、平手のフルスイングが…………


「まて」

「おろろ」


 ちがう人の声。

 そっちを見ると、真っ赤なジャケットとタイトスカートの女の人が、おれをループに巻き込んでいる女の人の手首をつかんでめている。 


「これ以上は負担が大きすぎる。彼の」と、おれをちらっとみる。二重まぶたで目元と目尻が鋭角な、ゾッとするほどきれいな目だ。「心が壊れるおそれがあるぞ。もうやめろ。彼をループから解放したまえ」

「んー? ま、それも一理あるカナ」


 二人の美人が、おれに向いた。

 グレーのスーツのほうの人が、いったん口をアヒル口にして、にっこり笑ってこう言う。



「もう戻らずに、このまんまがいーい?」



 時間がとまったように、砂場で遊んでいる子どももそれを見守る親も、そばを通る車も自転車も、空をとぶ鳥も、すべてが静止中。


 もちろん、あいつらも。

 ベンチで至近距離で向かい合ったまま固まっているカツたち。

 花梨は、すこし顔を赤くしている。


 このまま……


 おれはもう、略奪愛をしなくていいのか?

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